画像の左側は、震災の翌日に、隣組の各家庭に配布をしたもの。震災当日の夕方は、隣組の各家庭に、「どうでした」、「水はありますか」と、声をかけて回った。拙宅では、湯船が大きいので、断水前に、満杯にしておいた。飲み水が無いという、ひとり暮らしの人のは、汲み置いたみずを、やかんに一つを届けた。トイレの水というところもあって、風呂おけの水を、ばけつに、二杯届けた。近所に、ブロック塀が、倒れそうな所には、車に積んであった、黄黒のロープを張り、危険の張り紙をした。余震のたびに、見回りにいった。自分の所は、店先のガラスが割れた。ありあわせのベニヤ板を、三枚張り付けた。余震の恐怖と、震災のテレビ報道に、見入りして、布団にもぐり込んだのは、午前三時だった。