例年ならば、暑さからのがれて、涼みを楽しむのだが、下界も曇り空。車で駆け上がってきたが、雨が降ったり、止んだりしていた。10メートル先も見えない、霧が立ち込め、流れていたりだった。参詣の人の、祈祷の読経は、響いていた。梵鐘の鐘の音も、余韻が残らず、静か静かの、境内だった。月末には、大祭りがあり、賑わうことだろう。
盆の18日に、菩提寺の施餓鬼会で、卒塔婆に、閼伽水を、蓮の葉に貯めた閼伽水を、振りかけて、法要をしたのを、カシャッとした。施餓鬼会には、和尚さんが、20人ほどで、読経があった。葬儀とは違って、荘厳。施餓鬼会は、ご先祖様の供養と、ご先祖様以外の霊の、供養をする法会という。お盆の行事が、終わると、来月は、秋の彼岸になる。
画像は、送り火が、燃え尽きるとき。小生、よわい八十一歳になる。どのように燃え尽きるのか、分からない。ならば、どのように、生きていくのかだろう。今の老体をいたわりながら、粗食でも、食べれるのに、ありがとさん、なのだろう。粗食していれば、経済的にも、健康的にも、労はないのかも。願望の一番は、ボケないこと。寝たきりにならないこと、そして、ほどほどに、おさらばをする。俗世間では、願望が叶わないという。でも、願いだけはする。