まだ八月なのに、夜になると、虫がないている。米騒動の時は、いつも届てもらっていた米屋さんは、心配することない。多量にあるといっていた。後日に聞いたことだが、あるスーパーでは、精米をして、棚に並べると、すぐに無くなって、すぐ補充する。精米日を印刷しない袋に入れて、どんどんと、販売をしたとか。在庫していた米は、この際、売りさばいてしまったとかだつた。ここのところのお天気は、米の不作になるお天気だなぁだ。
髪を梳いてもらい、すっきりした顔でいる。今も元気でいるが、介護になる前は、「枯れ木が枯れるように死にたい」と、終い方を考えていたようだ。「枯れ木が枯れる」とは、生きる力がなくなることなのだろう。生きる力の基は、よく食べること。これは、よくできている。環境も整えている。現在の状況では、枯れ木が枯れる状況ではない。肉体的には、生きられる。気力もある。物思いの顔を見ていると、終い方を考えているのかも。喜びや、怒り、悲しみの感情は、今もある。笑っているときは、一緒に笑い、怒っている時は、悲しんでいる時も、「みんな居るから、大丈夫だよぉ」って云って、肩をとんとんとんと、たたいて、慰めている。ばあちゃんの終い方は、知る由もない。自分の終い方も、知る由もない。今を元気でいるだけ。ばあちゃんは、時々、「じっちさん、ばっぱぁさんさ、行くんだぁ」って、べそ泣きをしている。
お施餓鬼会での、横浜のお寺の和尚さんの法話。飢えている、鬼や餓鬼に、たくさん食べてもらう行事という。鬼や餓鬼でも、産んだ母親は、はぐくんで、育てたはずだ。どんな命でも、人に憎まれるようにはしない。どこかの道で、間違って、鬼や餓鬼になってしまったという。それらに、食べ物を、たくさん食べさせて、改心させようとするという。盆棚に供えられた食べ物を、腹いっぱいに食べ、ありがとさんと、感じさせる行事という。盆棚の四隅に立てる笹は、人間の世界の輝きを、笹の葉で、眩しさを、少し減らして、安心をして、食べられるようにという。家々では、お盆にお先祖様を迎える。どこの家にも帰れない、鬼や餓鬼にも、施しをする。鬼や餓鬼になってしまっても、親の愛を、もう一度、思ひ出させる行事でもあるという。施餓鬼会には、和尚さんが、20数人で、お經を唱える。しかし、自分の家の仏壇に、その家の人が、經をあげるのが、先祖様が、一番うれしいことですと。毎日、仏壇に手を合わせる。その日の、心の安らぎが、得られるはずだ。で、〆になった。