磐城平城の古絵図を拡大してみた。画像の中央のあたりに、「米倉」とある。「磐城平藩政史」によると、米倉は、四八扉で、城付23000石の、籾や大豆を収納していた、とある。戊辰戦争で、明治元年七月十三日に、落城した、その時の、糧食は、四、五日分だったとある。米倉の火は、翌年の明治二年の正月まで、二万石の籾を焼き続けたとある。いわき市史史によると、御用米蔵二棟焼失とある。「本丸ニ火を懸ケ次ニ穀蔵二ツニ火を懸けーー」とある。古絵図を見ながらのこと書きました。
磐城平城の古絵図を拡大してみた。画像の中央のあたりに、「米倉」とある。「磐城平藩政史」によると、米倉は、四八扉で、城付23000石の、籾や大豆を収納していた、とある。戊辰戦争で、明治元年七月十三日に、落城した、その時の、糧食は、四、五日分だったとある。米倉の火は、翌年の明治二年の正月まで、二万石の籾を焼き続けたとある。いわき市史史によると、御用米蔵二棟焼失とある。「本丸ニ火を懸ケ次ニ穀蔵二ツニ火を懸けーー」とある。古絵図を見ながらのこと書きました。