八十路徒然なるままに

のどかなる日影に、垣根の草もえ出づるころより、やや春ふかく霞わたりてーーー。徒然草より

拡大しいみると

2020年05月27日 16時08分55秒 | Weblog

画像の、中央の下のあたりに、「土橋」と読める。中央の上の辺りに、「才槌門」と読める。中央から上に、逆L字状に、黒く染めてあるのは、水濠だったのかも。


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拡大をしてみた

2020年05月27日 16時00分16秒 | Weblog

古絵図の真ん中あたりは、現在の、JRいわき駅になるのかも。戊辰戦争の、明治元年の七月一日と十三日に、平城と侍屋敷が、焼失したという。当時の日付けは、旧暦なので、今の暦では、ひと月遅れになると思う。


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拡大してみた

2020年05月27日 15時56分23秒 | Weblog

画像の、左側に「長源寺」とある。左側は、武家屋敷だったのかも。現在の、磐城桜が丘高校なのかも。


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拡大してみると

2020年05月27日 15時34分39秒 | Weblog

磐城平城の古絵図を拡大してみた。画像の中央のあたりに、「米倉」とある。「磐城平藩政史」によると、米倉は、四八扉で、城付23000石の、籾や大豆を収納していた、とある。戊辰戦争で、明治元年七月十三日に、落城した、その時の、糧食は、四、五日分だったとある。米倉の火は、翌年の明治二年の正月まで、二万石の籾を焼き続けたとある。いわき市史史によると、御用米蔵二棟焼失とある。「本丸ニ火を懸ケ次ニ穀蔵二ツニ火を懸けーー」とある。古絵図を見ながらのこと書きました。

 


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