八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

ミニ盆栽

2020年09月20日 16時41分51秒 | Weblog

拙ブログの、季節の早や取りの画像は、真上から。これは、全体のもの。手のひらの大きさになる。接ぎ木のようで、ミニ盆栽として、楽しめるように、細いが根もはっている。少しの間は、目で楽しめる。

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鉢植えの巨木

2020年09月20日 16時19分19秒 | Weblog

これも、花屋さんから、買ってきた。手のひらほどの大きさ。「姫林檎」と添え書きある。赤く大きくなったら、食べなれるなぁと。鉢植えは、水やりも忘れるような、手入れもできない。ちょっと、目で楽しんだ後は、地植えにしょう。数年後、枝もたわわに、実をつけたら、収穫することにする。またまた、無粋のことを考えている。盆栽にして、この時期に、実を付け、育てて、売っているので、へぇと、驚いている。

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季節の早や取り

2020年09月20日 15時48分01秒 | Weblog

暑さ寒さも、彼岸までのように、しのぎやすくなった。残暑も、ちょっと我慢をすればいいのに、少しの暑さで、冷房で、体を冷やして、体調を崩してしまった。どうでもいいことですが、八十五回目の誕生日だつた。「門松は冥土の旅の一里塚」といわれている。門松よりも、誕生日のほうが、現実味がする。人の一生は、距離ではない。終わりのない時間なのだろう。一日、一時間、一分を大事に、日常を暮らすのだろうが、終末期高齢者になっては、今更、先々をあれこれと、考えるのだが、ちゃらんぽらんちゃらんぽらん。若い方、人生の目的をもっている方には、失礼千万のこと、ご容赦のほど。画像は、季節の先取りで、紅葉になっている。拙ブログに、たびたび、ネタに使っている、「人里の巨木たち」の、向こうをはって、鉢植えの巨木のつもりで載せた。イヤイヤ、たまたま、彼岸で、仏壇と墓に供える菊の花を買った。その花屋さんにあったのを、買ってきた。この時期に、紅葉になる樹なのだろう。「出猩々」という名が、添えられている。

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