これも、花屋さんから、買ってきた。手のひらほどの大きさ。「姫林檎」と添え書きある。赤く大きくなったら、食べなれるなぁと。鉢植えは、水やりも忘れるような、手入れもできない。ちょっと、目で楽しんだ後は、地植えにしょう。数年後、枝もたわわに、実をつけたら、収穫することにする。またまた、無粋のことを考えている。盆栽にして、この時期に、実を付け、育てて、売っているので、へぇと、驚いている。
暑さ寒さも、彼岸までのように、しのぎやすくなった。残暑も、ちょっと我慢をすればいいのに、少しの暑さで、冷房で、体を冷やして、体調を崩してしまった。どうでもいいことですが、八十五回目の誕生日だつた。「門松は冥土の旅の一里塚」といわれている。門松よりも、誕生日のほうが、現実味がする。人の一生は、距離ではない。終わりのない時間なのだろう。一日、一時間、一分を大事に、日常を暮らすのだろうが、終末期高齢者になっては、今更、先々をあれこれと、考えるのだが、ちゃらんぽらんちゃらんぽらん。若い方、人生の目的をもっている方には、失礼千万のこと、ご容赦のほど。画像は、季節の先取りで、紅葉になっている。拙ブログに、たびたび、ネタに使っている、「人里の巨木たち」の、向こうをはって、鉢植えの巨木のつもりで載せた。イヤイヤ、たまたま、彼岸で、仏壇と墓に供える菊の花を買った。その花屋さんにあったのを、買ってきた。この時期に、紅葉になる樹なのだろう。「出猩々」という名が、添えられている。