表題の「泡沫夢幻」は、「水のあわと夢まぼろしの意から、人生のはかないたとえ」と、読んだ。我が身の「人生のはかない」は無いし、「貧すれば鈍する」の「貧」の時はあったが、「鈍」ー「こころがさもしくなる」ーは、胆に命じて、こころしていた。食は「食わず貧楽高枕」ー「気楽で穏やかーー」と、思い、美味しい物は、横眼で見て、「武士は食わねど高楊枝」で、貧者の食事を続けている。時々、拙い文に思いを書き、ネットにあげて満足をしている。前述の昨夜の初夢は、なんかも、もやーやもーもやーだった。この歳では、夢や希望は無くて当たり前、そうなんだろうなあー、なるほどなるほどだった。実際の夢は、拙い冊子の第10集の完成で、今は拾い出したものに、表題を貼り付けて、流し読みしながら、構成を考えている。遅れ気味で少しあせっている。今回は、印刷所に依頼する予定で、フルカラーで百五十ページの予定で、かなりの額になると覚悟している。画像は、暮れに来年も宜しくと、頂いた。おおっーこの分厚さは、50枚かなぁ、「拾ってくれる神がきたぁー」と、でも、糠喜び。「来年もお世話になります」と、頂戴をした。発券銀行の、波露出の世界で使える。別の事。「今日の誕生日の花と花ことばは、「スノードロップ」ー「初恋のため息」。誕生日の方、おめでとうございます。突然ですが、「何かをしようと決心したときの純粋の気持ちとかけて、信じている事柄とかけて、また、最初の診察ととく。そのこころは」。「ととのいました。どちらもーしょしんー初心ー所信ー初診ーです」。またまた机上の空論です。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます