画像は、20日頃の、緑地公園の細道。このころは、枝から、はらはらはらと、落ちて積もっていた。地面も木々も、晩秋の風情。細道を、踏みしめて歩く、ふたり連れの人。ビルの合間に、晩秋の陽光が降りそそぐベンチで、お弁当を食べているひと。タバコの煙りを追いながら見ている人。長閑な晩秋の風情。ここのところの強風で、落ち葉は、吹き飛ばされているのだろう。降雨があれば、濡れ落ち葉に。別のことだが、濡れ落ち葉と、称される夫の世代があったと思う。先日一年ぶりにあった女性が、「うちの母の、認知症が進んだ」という。聞くと、父親が、なにかと、気難しいらしい。聞いているだけで、解決する方策は、分からない。どちらかが、認知症になれば、今までの普通の生活が、一変する。「大変だねぇ」と、云うだけ。我が身が、そう称されないように、過ごすだけ。
先日、20日頃、通りすがりの公園の一角の樹。離れた所からの一見は、樹全部が紅葉して見えた。近すいて見上げると、緑緑の葉の枝先が、紅葉をしていた。降霜の影響なのかなぁ。落葉をする前に、葉に赤くなる栄養分が、葉と枝の堺で、気温の変化で、栄養分が通る管が、詰まるのかなぁと、ながめていた。今日は、28日。今年もあとひと月になった。ここのところ、冬の陽光だが、風が吹き荒れている。この風で、コロナとか放射線が、どこかに吹き飛んでいけばいいのに、なんて、無らぬことを思っている。