画像は、当地から、中通りの郡山方面へ、走行時間は、一時間10分前後くらい、「道の駅ひらた」。晩秋の行楽日和で、往来をする車も多く、駐車場もほぼ満杯だった。思い出すのは、先の東日本大震災で、原発事故が発生した当時の、三月十五日に避難するために立ち寄った。自宅を、午後の2時30頃に出発した。途中数か所で渋滞、夕暮れになった頃、平田町の街並みが見え始めた。そこも渋滞。対抗してきた車を手を挙げて停め、「先はどうなっているのでしょうか」と、尋ねたら、「給油場へ入る車の列だよ」と、知らせてもらった。ならばと、ほぼ100メートルの車列を追い越して、平田の街並みを通り越して、「道の駅ひらた」に着いた。駐車場は、大型車専用の場所も満杯。数回ぐるぐるぐると周り、空きを捜した。「出るよ」と、手で合図をしてくれたひとがあり、手で合図をして、頭で礼をして、止めた。すでに夕闇になりはじめていた。所用時間は、ほぼ3時間だった。薄ぼんやりな車内の明かりを頼りに、持参したおにぎりと、ペットボトルの茶で、空腹を満たした。「道の駅ひらた」中は、ごった返し、毛布にくるまって、寝てる人も多く、すごい事態なんだぁと思った。避難する時は、ハイエースのバンに、介護中のばあちゃんを、車椅子に安全ベルトをして、乗せたまま、荷物車なので、固定することもできた。今日の帰り道に、避難の当時に、世話になった駅と、思い出したことです。