八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

三心四修

2024年07月08日 12時32分39秒 | Weblog

表題の、「三心四修」は、法然上人御遺訓の中からです。昨日、我が家で法要があり、和尚さんの読経と法話があり、読経の一部で、内輪の者が御遺訓の唱和をした。「三心」とは、「まことの心」、「深く信ずる心」、「回向発願心ー生まれかわるー」。「四修」は、「命終わるまで続ける」、「うやまって念仏する」、「念仏以外の行いを交えない」、「絶え間なく念仏する」こと。日常では、線香をたむけ、南無阿弥陀仏と、となえている。コロナ禍以後、四年ぶりに、先月、お施餓鬼法要があって、その折に、法話を拝聴をした。現世の終期の我が身が、来世を思うと、読経と法話が、一番と思っている。画像は、浄土宗、白土山福寿院、宝国寺の本堂の前のハス、未だ多くの蕾がある。純白のや、花弁のふちが、薄赤紫色のや、画像の色の花が、楽しめるようだ。朝のうちは、見事に花開いていると聞いた。和尚さんが株分けして丹精に育てていて、昨年より倍数ほど、増しになっている。持ち帰って、育ててみてはだった。連日、猛暑、酷暑、今日は曇り空でも、蒸し暑い。東北地方の日本海側で、局地的な大雨情報を報じていた。突然ですが、梅雨期が終わったあとの夏のこととかけて、オリンピックの開催日に、ギリシャで採火したのを、点火する火のことと、とく。そのこころは」。「整いました。どちらもーせいかー盛夏ー聖火ー」。またまた、無為無知でした。


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