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2.26事件

2025年02月26日 20時09分58秒 | 昭和という時代
 今朝は久しぶりに雨らしい雨が降った
この冬は快晴と良い雨降りの日がほとんどなく、曇りか雪ばかりだった
雨が降ると良いこともある、温かいから雪でなく雨が降る
積もった雪は太陽で溶けるが、それは表面だけ、でも雨は表面を溶かして雪の中に流れ込んで、内側からも溶かしてスカスカにするから雪解けが早い
今日一日でだいぶ積雪が減った。

1936年2月26日は昭和11年、青年将校によるクーデター2.26事件が起きた日だった。
昭和11年の日本は、今の日本とは全く違う国であった
徳川幕府が滅んで明治時代となってから70年ほど、日本史上最大のクーデター明治維新を成功させた薩長の英雄たちはすべていなくなり
維新の第三世代が国家を運営する時代
東洋の「眠れる獅子」と言われた清国と1894年に戦争をして一方的な勝利をおさめ、これが元で満州族の清国は10年後には滅び、漢民族の中華民国が誕生する
まさに今日の大国中国を生き返らせたのは日清戦争であった
10年後1904年には、日本の10倍の軍事力と経済力の世界の大国ロシアを相手に互角の戦いを行って勝利をおさめ
国家はボロボロになったが、満州権益、北方領土、千島列島、樺太の半分を得た
またまた10年後の1914年には第一次世界大戦で、日本は連合国に加わってドイツに宣戦布告
中国のドイツ占領地、青島要塞を攻撃して勝利した、連合国も勝利して日本は南太平洋一帯の統治を世界から任された
すでに1910年には朝鮮国を併合して日本国に組み入れ、それは台湾も同様であった

こうした破竹の勢いの日本であったが1910年ころの世界恐慌で、日本ももろに影響を受けて大不況となった
東北地方などがとっくに悲惨で飢えの苦しみを味わっていたが、政府は薩長財閥と組んで苦しむ国民を顧みず、わが世の春に浸っていたという。

このころ軍も相次ぐ勝ち戦で絶頂期にあったが、軍部は皇道派と統制派に割れて勢力争いをしていた
軍はこのころには政治にも関与する大きな力をもって圧力さえかけることができる立場になっていた、海軍、陸軍それぞれに大臣ポストを得ていた
その中の皇道派に属する青年将校が2.26事件を指導した
皇道派は政治家を排除して天皇陛下を中心に仰ぎ、軍部による政権をもって日本を動かそうという考えであったと言われる
一方の統制派は軍部と政財界が組んで日本を動かそうという考え方だったといわれる
第一仮想敵国をソ連か中国かという点でも意見の相違があった
これとは別に朝鮮半島から中国満州地方に進出して、すでに中国軍と戦争を行っていた強大な満州軍もまた、この地で本国の軍から独立するという噂もあった。
すでに昭和16年からの戦争へのルートはできつつあったのだ。

青年将校らは約1500~1600名の兵を率いて東京の中心部永田町界隈に分散して、首相官邸、国会、警視庁など襲い、高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣らが殺され、鈴木侍従長も重傷を負た
青年将校は、東北出身者もいて、多くの国民が娘を身売りしてその日の食料を得るという窮状を訴えるべく立ち上がり、政商と政治家がつながって国益を独占していると怒り、これを誅罰して天皇陛下の親政国家をつくり軍がそれを支えるという考えだったという。
しかし鈴木侍従長が襲われたことに天皇陛下が激怒してクーデター軍の討伐を命じた
天皇陛下を中心にいただくという理想を掲げていた青年将校は、まさかの天皇陛下の激怒に朝敵とされて落胆して投降した
そして彼ら責任者は銃殺刑となった。

父は、この事件の時に神田で働いていた、12歳
飛行機からビラを撒いているのを見たと言っていました
有名な「兵に告ぐ」のビラなのでしょう。




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