アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
遅い時間の更新です。
整形外科クリニックでリハビリを受けてきました。
毎週1回の行事で、このところ紐を結ぶ訓練をしたりして、生活に根付く、理学療法士によるトレーニングがメインです。
さて、昨日もまた生涯の師であるジョセフ・ペルグリーノ博士の映像と向き合っていました。

「共同体感覚」の話題になったところで、博士が英語の”Social Interest”の部分の一文字一文字を別の言葉にして板書していた姿に微笑ましい気持ちになりました。

絶頂期の映像を今年のうちにDVDやデータでお届けできるのがうれしいです。
私は”Walking Encourager”(意訳:勇気づけで生きる人)で「共同体感覚」を完璧に備えたペルグリーノ博士からアドラー心理学だけでなく人格的な影響も受けました。
その人格は、お互いを”Brother”と呼び合う仲で啓発されました。
人の本領は人生の一大事で発揮されます。
日本滞在中の2000年11月に最愛の妻、リサ夫人の逝去を巡るエピソードを2000年12月号のニュースレター(172号)巻頭言に書いた文章を今日・明日の2回に分けて転載します。
ブラザーの大粒の涙
ブラザーがカートを引いてエレベーターから姿を見せたとき、私たち夫婦は、全く人目もはばからず、ホテル・グランド・パレスのロビーで、ほとんどことばもなく、数分間ひたすらブラザーと抱き合って涙を流していました。
しばらくしてブラザーに「あと数時間ホテルに滞在することもできるし、今すぐ空港に行くこともできるけど、どっちにする?」と尋ねると、ブラザーは「早く空港に行きたい」と言い、こぼれるほどの大粒の涙を流し、やや落ち着いてから“It’s life.”(これが人生だよ)と言って、必死に事態を受け入れようとしていました。
東京駅に向かうタクシーの中では、ブラザーは私の妻と手を取り合い、「どんなに愛していたことか」「こんなに悲しいことがあるか」と語りながら、涙を隠そうともしませんでした。
その日(11/6)の朝フロリダから私宛てに「私の父ジョセフ・ペルグリーノに次のことを早急に伝えてほしい」とメールが入りました。
リサ夫人の急逝を告げる、ジョセフ・ペルグリーノ博士の次女マリー・ルーさんからのメールでした。
私はすぐさまホテルのブラザーに電話して文章を読み上げました。
ブラザーは最初私が語る一字一句を丁寧に聞き取っていましたが、突然の死去の部分で思わず「オー・マイ・ゴッド!」と叫びました。
ブラザーは、日本でのワークショップの全日程を終え、途中の京都、倉敷、広島の観光を楽しみ、その日の夕方帰路に向かうばかりになっていたのでした。
「沢山のおみやげと写真をリサに見せるんだ」と楽しみにしていた矢先でした。
ワークショップでは、ご夫婦が出会ってすぐの頃から最近までの写真をOHP を映し出し、とても美人のリサ夫人を「ムービースター」と今回ものろけていただけに、私にとっても悲しみは、特別なものがありました。
成田に向かう電車は混んでいて、私たち三人は離ればなれに座らざるをえませんでした。
時々ブラザーの方を見ると、じっと目を閉じていました。何かを祈っている様子でした。
<明日のブログに続く>

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