IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

毎日、雨が降ってます!

2024-03-26 08:23:34 | この頃思う事

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我が家の小さな庭の中でも、今まで色の無かった花壇などにも、次々に花を咲かせて来ており、確実に、「春」を感じるようになっています。
この「木瓜」は、まだ肌寒い頃より咲き始めていたが、最近の花色が鮮やかに見えるのは、私の春を待ち望む感情移入の為なのでしょうか・・・・

 

 


 

 

3月初旬に物理的にも精神的にも解放された以降、この作業が終わるまで・・・と、脇にどけていた様々な事の対処を始めた。
まず、知人(現在、病の為に自由な行動が出来ない状況にある)から依頼されていた「ガラケーケイタイ」の購入が可能かどうか、私の地元にあるDショップに出向き機種(ともかくガラケーだから)が購入可能かどうかの確認をする。
それから資料を持って知人宅を訪ね、了承を得て「委任状」を書いてもらい、その委任状を持参して、再び我が地元のDショップに行った。
その店舗では、第三者である私が新規契約をするのはかなり難しいとの説明を受けた。
で、その内容をよく検討した後、今度は、も一度知人の地元にあるDショップに予約を取って行ったところ、結論としては、私が代理で契約するのは「法律的に不可能」という回答だったのだが、私自身としては、この件に関しては理解しつつも、でも、文句(と言うより捨て台詞的)の一つも言いたくなり、「要は、動けない知人が緊急の場合に連絡を取りたいからというケイタイさえ購入出来ないという事ですよね。納得しました、知人には、誰にも連絡できないまま死亡に至ることも考えろと伝えます」と言い放ち店を出た。
まぁ、大人げないと思うけれど、何か言いようのない怒りを感じた訳で・・・ま、そういう事。
知人には、もう私に出来ることは無いので、介護を依頼している先のケアマネさんと、出来る範囲の最良の方法を選択するようよく相談してと伝えて帰宅したのだが、良い結果が出なかったという事に疲労感を覚える。

翌朝、昨日に初めての町中(知人の住む町)でDショップを探し歩き回った為に、痛みのある足腰を庇いながら朝食を済ませて、次なる案件である友人に電話をしたが、「この番号は、只今使用されておりません」、というアナウンス、えっ?、えっ?、えっ?
今までは「只今電源を切っているか電波の届かない場所・・・云々」とアナウンスされていたのに、どういう事?
時計を確認すると現在午前9時前・・・急遽、今出かけようとしていた甥の車に最寄り駅まで便乗し、町の友人宅へ駆けつけた(電車と徒歩で数十分)。
ドアベルを鳴らし、その上にドアをどんどんと叩いたらドアが開いて、多少熱があったので今まで寝ていたという友人がそこに立っている・・・で、私が最初に発した言葉は「どうして電話が繋がらないのよ!」。
友人ポカンとしてた顔をして「え~、電話が通じないの~?そう言えば、最近電話がなかった」と宣う。
「貴女、自分からは電話もしなかったの?」と問うと、「こちらからは電話が出来たから」とか言うので、実際に友人の電話をかけてみたら、「このモバイルは・・・云々」と表示されるので「これで通じた訳?」と問い詰めると「そんなの知らない」と答えるのみ。
私自身では、もう友人はかなりボケが来ていると理解しているから、その返事に当惑することは無いが、外界との唯一の連絡網であるケイタイ(友人もガラケーだ)が通じないのは、誰が一番困るかってことをもっと認識しろ・・・と友人にやかましく注意した。
友人は、明日に販売店に行くと言ったけれど、それも怪しいと私は思っている。

続けて起きたこれらの出来事は、私にだって起こり得ることであり、他人事として放り投げることは出来ないとは思っているが、だからと言って、私自身が出来ることには限界もある。

 

「春近し」の為か、ここ数日、毎日のように雨が降っている。
その雨音を聞きながら、PCに向かって気分転換をしているが、何ともやるせない思いを払い退けられない私もいる。

 

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軽やかに「春」を迎えられそう・・・

2024-03-15 14:15:02 | この頃思う事

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この時期に、暖かさを、一層増して感じさせてくれる「リュウキンカ」の黄色い花・・・柔らかな日差しの中で、しばし、眺めていると、いつの間にか眠りに落ちそうな気分になるのです。

 

 


 

 

3月11日で、甥の申告事務が完了・・・いやいやいや~、心の負担も、肩の荷も、目の疲れも、一斉に解放されましたね。
来年はどうするか?、はたまた、どうなるか?は、とりあえず、横に置いておく事にします。


すっかり気分も緩んでしまっていた午後7時過ぎに、知人から電話が来て、会計専用ソフトが使えなくなったとかで、PCから(国税庁のHPを使って)の申告書入力方法を教えて欲しい・・・と言って来たんですよね。
「う~む、まだやるんかい!」と、ちょいうんざりしたけれど、とりあえず、知人と同時に我がPCも開いて、一項目ごとに入力を指示するのですが、私自身も初めての科目であったし、それ以上に我が脳細胞が拒否反応を示し、HP中の文章を全く理解することが不可能状態という始末(つまり、目が文字をなぞるのみ)・・・で、「申し訳け無いけれど、明日に、も一度電話をして欲しい、その時までに、内容を理解しておくから」と伝えて電話を切ったのです。
そう、それから夜半に掛けて勉強・・・HP上で、架空のシュミレーションを繰り返してみながら、思考を停止し固まった脳細胞を叱咤激励の奮励努力の末でもって、ようやく一応の理解が出来た(と思う)のでした。

翌12日の晩、再び知人から電話が入り、最初から一項目づつ、互いに確認しつつ入力を始め、行きつ戻りつのギクシャクながらも、「あぁ、申告書が出来上がったよ」と電話越しの声を聞いて、「ホント、お疲れさまでした!」と知人にはそう言いましたけれど、まぁ、自分自身を労ったというのが本音ですね。


翌13日には、延び延びにしていた東伊豆の知人宅へ出かけました(タクシー・電車・JRを乗り継いで2時間程)。
知人は、携帯電話の新規契約をしたいとの希望なのですが、ちょっと歩行困難があって、自らショップへ出向くことが出来ないため、以前からその契約代行を依頼されていたのです。
知人は私と同い年、まだボケは来ていないものの、やはり「スマホ」は覚えられないから「ガラケイ」でイイと言うのですよね、電話さえ出来ればイイのだとか・・・
私も「スマホ」は教えられないので、先にショップで「ガラケイ」に関する説明を聞き、その資料を持参して知人の了解を貰い、契約が済んだら、来週あたりに再び訪問して使用方法を教えるつもりでいます。
今、新規に「ガラケイ携帯」を契約することの良し悪し・損得はあるでしょうが、知人が今したいと思っていることを、多少でも叶えて上げられたら良しとする・・・と考えられる余裕が、一つ解放されたことによって、私にも、少しだけ、出て来ているようですよ。



いずれにしても、「この解放感は、体験しないと味わえないもの」で、「ある種の達成感でもある」と思っているのです・・・でも、ただただ、シンドイ!体験なのです。


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弥生3月は「ゆっくり、ゆっくり」と・・・

2024-03-06 13:31:04 | この頃思う事

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昨年、夏の終わった頃に、水仙の花壇の中にランダムに植えてあった「ヒヤシンス」の球根を、多少日当たりの良い場所に植え替えた。
今までの所は、日当たりに難のある場所たっだので、割合、茎の背丈だけはあるが花の数が少ない「ヒヤシンス」だったけれど、多少なりとも日当たりの良い今度の花壇では、思っていた程に茎は伸びていないものの、見た目、花の付き具合は以前より良くて、「春近し」を感じさせてくれている・・・何か、嬉しいなぁ!



 


3月になったものの、陽に光の中では暖かいが、日陰に入ると「春」と言うには、感覚的に、まだまだ、気配は少ない。
それでも、一番、気にかかるのは、その暖かさを見逃さず、一身に取り込む「雑草」であり、「除草作業」なのである。


ゴミ回収の日に、ついでに(わざわざ出かけていくのが億劫になっている)その途中にある畑の花壇の様子を見に立ち寄った。
丁度、ご近所さんも畑に出ており、今年になってから新年のご挨拶もしてなかったので、もう2か月以上も過ぎてしまったいるのでさしたる意味もないが、それでも、一応、挨拶は大事だから、ご近所さんの畑にも寄り道(当然、井戸端会議の長話となるけれど)して、帰り際にはご挨拶土産にと、ご近所さん栽培の「大根」と「根深ネギ」を頂いた、野菜は有難い!
その時の話で「如何にしても、もう、草取りを始めないと、見る間に草茫々の畑になってしまうよね」となり、「じゃぁ、次回、お互い草取りの時にお目に掛りましょうよネ」と言って、会議は解散となった。
その時は2月最終日だったような・・・で、既に1週間過ぎているんだよね。

毎晩、就寝時には「明日は草取りだ」と自分自身に言い聞かせて寝ているが、次の日になって、急に友人に呼び出され「ランチに行かない?」など誘われると、ついつい「いいよ!」と答えてしまう私なのだ。
そんなこんながあって、「草取り」は一日延ばしで、繰り延べされるのである。
また、先週の日曜日に終わる予定だった甥の申告作業も、担当している姪が職場で「コロナ」に罹ってしまったとかで、又しても、一週間(今度の日曜日)先送りになって、我が気力も萎えてしまった。
だから、草取りをする気力も無くなった(ただ、やりたくないという事の言い訳に過ぎないが・・・)。

まるで生きているのか死んでいるのか不明のような私の日常ではあるが、ともかくも、遅ればせながらも、一つ、一つと問題(?)は解決していると思っている。
来週は、野暮用でちょい遠出(東伊豆だけれど)する予定なので、多分、「草取り」と「畑での井戸端会議」は再来週辺りなりそう・・・かな?
ま、ゆっくり、ゆっくり・・・とね。

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❣❣「伊豆の国桜」で~す❣❣

2024-02-27 09:12:49 | この頃思う事


ご近所さんの畑の隅には、ある植物学者さんから頂いたのだという(新種発見されたのか、品種改良されたのかは知らないけれど)「伊豆の国桜」が咲いている。
多分、「河津桜」の系統ではないか・・・と思われるが、河津より多少遅く開花するみたいだ。
暖かな当地と雖も、まだまだ寒風が吹き抜ける時期、鮮やかなピンク色の(かなり派手に見える)花に気持ちが温まり、頬も心も緩むが、却って、一層に春の訪れが待ち遠しく感じるのも事実で・・・あぁ、もうあと1か月の辛抱!

今朝は(27日)は少し寒い。
この場所に桜の木は一本しか無いのだけれど、撮って来た写真をすべて掲載して「咲き乱れる満開な桜」を装ってみた。
ま、少しだけ「春爛漫も近し」を感じ取って頂けたら嬉しいな・・・と、願うのみである。

(追伸:恒例の仕事も、一応、最終段階に入り・・・です)

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「中だるみ」中ですが・・・

2024-02-21 11:43:23 | この頃思う事

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畑の隅に、多分「南高梅」ではないかな・・・と思っている梅の木がある。
一時は、かなりの量、梅の実が収穫出来ていたので、収穫するのも、その後の漬け込みなどの作業が大変だったが、数年前、余りにも大きくなった木をかなり大幅に剪定したことで、現在、殆ど実の収穫はない状態。
でも、新しい枝が成長してきているから、今年は、少し、収穫出来るかも・・・と、密かに期待をしている。

 


 


甥の事業の「決算と確定申告」のお手伝い(させられている)状況は、2月前半には中途まで完了してはいたものの、その後の資料が届かないために一向に捗らず、せっかく盛り上がっていたテンションが、すっかり、下がってしまっている。
でも、漸く、昨晩(20日)になって、残りの資料を持ってきた甥に(実際は、兄の為に実務を手伝っている姪が持ち込んだのだが)、とりあえず今月中に、一応の数字を確定する積りだと伝えたので、本来ならば、すぐ作業に入らなければならないのに、まるでテンションダダ下がりの為、今は、持ち込まれた資料を眺めながら、かなり弱含みのやる気UPを図っている状況であり、果たして今月内に出来るだろうか、ちょい不安もある。
それでも、やらねばならぬと言う思いだけで、多分、今日の夜(夜中の方が集中出来る)頃には始められそう・・・な気がしている。

 

この「中ダルミ」中に、ぼんやりと(つまり集中しないで)「YouTube」を聞き流して(映像はあまり見ない)いた時に、どうしても聞き流せない箇所が、度々あることに気が付いて、思わず映像を見直した。
それは、多分、文章を見ながら(入力するのかな?)「AI」が語っているのだろう日本語がオカシクない?・・・たとえば、「2つ(フタツ)」と言って欲しい場合に「ニツ」と読んで、「ニツ」って何だよ!と思い、「金(カネ)」の場合には「キン」と言うし、まぁ、こんな具合に、ちょいちょい「AIの不完全」さが表れて来て、聞き流しているつもりが、ついつい、集中してしまい、半ば怒りに似た感情さえ沸いてしまうのである。
同じ文字でも、状況により読み方が違う日本語は難しい・・・と言われる所以なのだろうが、聞いているだけの私としては、常にイラつくのだよね。
まだまだ「AI」は未熟なのだと思うべきか、いやいや、実際の「AI」はこんなダサくはないよと認識すべきかは、「AI知識」に疎い私としては判断出来ないものの、発信者が日本人であり(外国人は許す・・・は差別かな?)、「YouTube」など「SNS」で世間に拡散しようとする意図であるならば、ネットにUPする前に、も一度、文章(読み方)を検証してからにして欲しいと思うが・・・これって無理筋なのかなぁ


しかし、「AI」で翻訳をしている場所(部署?)って、実際はどこなのだろうか、それさえも分からないのが私なのだもの、文句は言えないのかも・・・
何せ、暇な人間の代表みたいな私だから、こんなクダランところに拘っているのであって、現在の進んでいるであろう「デジタルテクノロジー」というか「デジタルテクニック」に対して、オカシナ見解をしているのかも知れないよね。
だからと言って、日本語を通常的言語としている身には、イラツキを我慢するのはちょい苦しい。

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「蠍座」の運勢は?

2024-02-04 14:12:48 | この頃思う事

これは、我が家で一番最初に咲く「さざんか」で、今日現在(2月4日)では、もう、殆ど、散ってしまっている。
で、次は、別の「さざんか」や「つばき」が、次々と咲き始めるだろうと心待ちにしているのに、何故か、一向に、花は咲かないのだ・・・「咲いても咲かなくてどうでもいいや」とイイ加減な剪定しているのが原因なのだろうと思うが、かと言って、今更、それぞれの植木の選定方法を勉強する気力もないのが、何とも致し方ないという事。

 


 

 

2月に入り、私の義務感だけ満載の事務仕事も、漸く、始まりそうな運びとなった。
しかし、すべてとは言えないがある程度の資料は届いたけれど、肝心な事務用必要資材(未使用の振替伝票等)が我が手元に無いから作業が出来ない(以前は、私自身で買い揃えていたが、甥には依存生活卒業の機会を与えようと考え、用意することを止めた)。
で、「振替伝票」と「コピー用紙(PC作業に必需)」を買ってくるよう依頼したものの、3日間、経過しても届かないという有様で、当然の如く、私はイライラと待ち続けることに我慢出来なくて、やっぱり、自ら、チャリを飛ばし(ちょい暴走族的な私)、百均に買いに行ってしまった。

イライラ解消と退屈しのぎに、何とな~く「YouTube」を見ていた時、「2024:蠍座の運勢(私の星座)」が目に留まったとお思いあれ。
ホントのところ、私は、「おみくじ」にも「占い」にも、全く、興味はなくて、多分、試してみたことは無いと思う(忘れている出来事もあるから、断言はできないが・・・)。
あえて掘り下げようとは思っていないが、最近、私の性格って、少し狂っているのかなぁ・・・と思う節もあって、一応、中の文章を、ざっと、漁ってみた。

つまり、私的イイ加減解釈(これは常に重要ポイント)で見ると、「2024に於ける蠍座の運勢」は「自分に合ったやり方で淡々と粛々と進む」のだそうだ。
で、性格はと言うと・・・逃げない。常識や一般論の順位が低い。絶対的真実・主観的事実には公平さ。価値観は自分自身が感動するかどうかが基準であり、一点集中で忍耐力を持つ・・・という事らしい。
まぁ、すべてが合っているとは思わないが、なかなか、いいところを突いていると思った。

毎年繰り返される事務的作業の段取りにせよ、最近、頻繁に起きている友人のトラブル紛いのことについても、解決する手間を避けることは無いが、その準備(段取り?)と速度には、自分なりの法則があり、それに沿わないと、私に心理的ちょいヤバ風な症状が起きてしまうというパターンは、昔も今も発症し、その相手方から理解を得る事が少ないと感じている、つまり、私がイライラしていることを口に出さない限りは、傍目には何の問題もない・・・と映るみたいだ。

この歳をして、相手にギャンギャンと叫ぶのも嫌だし、結局は、「自身で淡々と粛々と進める」しか道はない・・・正に「2024蠍座の運勢」そのまま・・・って事なのよね、蠍座の「運勢」だか「占い」なのかは知らないが、「合っている」って事?

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2024年「お手製年賀はがき展」

2024-01-22 09:31:07 | この頃思う事

本日は1月22日・・・昨日が雨だったからか、案外、暖かな一日の始まりである。

漸く、今年頂いた「年賀はがき」の整理を始める。
最近は、印刷された「年賀はがき」も多い(基本的に安否確認としているので、それで良い・・・と思っている)が、年賀状を頂けるのは、管制であれ、お手製であれ、有難さに違いはない。

お手製の素敵な「年賀はがき」を眺めていると、作り手の姿が思い浮かび、楽しくて、自然に笑みが出て来るし、結構、心待ちしている部分もあるが、やはり、先行き諸々の条件もあり、この先、何時まで手書きで頂けるのかなと考えることもある。

我が手もとに来る「お手製年賀はがき」には、手書きのもの、彫刻彫り版画のもの、家族等の写真をコラージュしたもの等があり、いずれにしても、私には、到底、作り得ないものだと思うと、記念に残しておこうかな?な~んてことも考えたり・・・で、今回はブログに掲載して残すことにした(写真はプライバシーを考慮して除外)、それぞれの芸術作品をご覧あれ!

以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

最後の愚作品は空蘭を埋めるためのものでして、悪しからず

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相変わらず起動力不足ですが・・・

2024-01-18 10:52:49 | この頃思う事

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もう、一月も中旬に入る10日に、庭に出ると、ふぁ~と匂って来たのが「蝋梅」・・・そういえば、蝋梅の咲く時期だったのだ・・・と気付く。
毎年のことだが、我が家の「蝋梅」は花が咲き始めても落葉しない(他の家の状況はよく知らない)から、ホント、開花したのも気付かないのが通常となってしまっていて、気づいた時点で自然落葉が待てなくて、人間の手(私です)でして落葉のお手伝いをするのである。
ま、何かオカシイけれど、花の姿が目にできると、一段と香りを感じられるというのは、嗅覚的な事も視覚的な作用が、案外、大きいのかも知れない。

 

 


 

 

ボケーと過ごした正月も、既に、「七草」も過ぎてしまった。
もう、我が家(姉宅)では「七草粥」も作ることはしない。
その原因としては、まず、料理が面倒だという事、次は、お供え餅が無い(但し、3が日間食すお雑煮用餅は買うようだ)という事、そして、誰も食べたいと言わない事・・・ま、およそ理由にもならない理由で積極的に作る事を止めたみたいだ。
かく言う私自身は、あまり餅好きでない(だからと言って嫌いな訳ではないけれど・・・)から、元旦の朝、一回、お雑煮を食したら、それで一年すべてOKという感じなのだから、自ら作ろうと思う事も全く無い(エバることではないよネ)。

そんなこんなで気が付けば、既に10日を経過していて、如何にせよ、このままの状態でいるのは世間的にみっともないし、自身でも気持ちが盛り上がらないし・・・と、すっきり作戦の定番である「髪をカット」するために美容院に予約を入れた。
ともかくも、すっきりしたいから美容師さんに全面的にお任せで、清々カットと前髪の部分染めをする。
以前から美容師さんには、「あなたがプロとして、どんなことであっても、このおばさんに似合うと思う事をしてくれ、その結果をどうこう言うつもりは何もないから安心してトライして欲しい」と伝えてあったので、全面的オマカセにしても不安は感じない。
本音で言うと、もう少しこうしたらいいのでは・・・と思う事も、時折、あるが、でも、数か月すれば解決する事案なのだし、あえて注文を付けることもあるまいと考えているからだ。

12日に髪をカットした事で、随分、頭も気持ちも軽くなり、次の計画も自然に湧いてくるというものだ。
で、今のところ、一月中に友人らと3回のランチを予定し、自らの気分を挙げてから、例年の全く前途の見通しも見られない(私にとっては苦痛しかない)作業に取り掛かろうと思う。
ホント、人間の進歩とは、「3歩進んで2歩下がる」のは順調な歩みであって、「すればするほど後退する」という事実もあるのだと、半ば、諦めの境地になっている私なのだ。
でも、頑張るしかないのも事実なのだから・・・放り投げることも出来ないもの私なのである。

 

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ボケ~と3が日を過ごして・・・

2024-01-05 08:57:59 | この頃思う事

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今年は「センリョウ」が、例年に比べても綺麗な姿を見せてくれている(傍らに植えてある「ムラサキシキブ」は色づかないうちに実が落ちてしまったのに)のを見る度に、にんまりとするのを抑えられない自分が可笑しい。
ま、それなりにお世話をしたことが結果を出したのかも・・・という気持ちがどこかにあるんですよね。

 


 

 

今年の年賀状は、来なかった人もあり、今年で中止すると宣言された人もあり、大体、2割程度が、事実上、今年で終了になる感じだ。
私自身があれこれ迷うことなく結果が出て来たことに「それでいい」と、却って安堵感すら覚える。
ただ,その内の一人には、このまま「はい、了解しましたよ」と済ませて置けない気持ちもあり、時間があれば、一度、会って置こうと思っている、あくまでも、自分自身の為であって、あちら様には迷惑かも知れないけれど・・・

 

 ←本物のエスプレッソ(拡大してよ~く見て下さい)

先日、東京・新宿の「イタリアンカフェ」で「本場エスプレッソ」を味わう機会が有った。
私は、珈琲には目が無いと自認しているけれど、高級とか本場ものとかには、さほど、気に掛けてはいない。
ただ、美味しい珈琲を、静かな環境で、ゆっくりと味わえたらそれでよし・・・という感覚だ。
で、その「本場イタリアンカフェ」で味わった「本物のエスプレッソ」に私は驚いた・・・という話をしたい。
確かに香りと味は良かったのは事実、でも、出てきたカップの中の量に我が目を疑ったのである、少ない!とても少ない量で、これって中身を入れ忘れたんではないの?、そう、二口啜ると(飲んだのではない)カップは空になった。

誰に聞いても、「エスプレッソ」とはそういうものであって、その店は正しい流儀だと言うが、私は納得できない、飲めない程の量は必要は無いが、此れしきの見た目(あくまでも量に拘る)で商売し、「これが本場の常識だ」と言われることに納得出来ないのであるよ。
まぁ、お前には本物を味わう常識も持っていないのか・・・と非常識な自分を、全世界に晒されたようで逆切れたのかもしれないが、一方で、此れしきのものを出されて、しっぽを振って満足!満足!と諸手を挙げて協賛する人間の方が狂っている・・・とさえ思えたという訳で。
結果として、私には「本場エスプレッソ」を味わう知識も常識もないと理解したが、珈琲飲みを自称する者として、この商売、何か許せないなぁ・・・と感じる気持ちも尊重したいと思ったのであった。

最近、これって「常識」なのか「非常識」なのかを判断できない出来事に出くわす機会が多いように感じている(多分、自分自身を装おう事が苦痛になってきたのだろう)が、かと言って、「常識」「非常識」で色分けをするのではなく、私にとって心地良いか、また相手にとって迷惑でないかで、冷静に判断出来て行ければいいと考えるようになった。
実は、昨日の夜、手術を前にしている知人から電話が来た、多分不安な気持ちが重なって、その負担を払いたかったのだと思うが、私は、「そういう話は医者に問いなさいね、医者には答える義務があると思う。私には何も判断できない。但し、お見舞いに行く予定をしてるから連絡は必ずしてね」と、もしかすると、知人には冷たく感じたかもしれない返答をした、世間的には「非常識」な態度と言われそうだが、でも、これは私の出来る精一杯の「常識の範囲」なのだから。


何もしない3が日中、目的も無く配信映画をボーっと見ながら、いつの間にか、またしても埒の明かない思いを巡らしている・・・そうスッキリ思い切れないのも、私の持っている「現在の常識」か。

 

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〝本年もよろしくお願いいたします〟

2024-01-01 03:09:54 | この頃思う事

元旦の富士山(令和6年1月1日 午前9時 撮影)

 


 

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