この2日間の雨と暖かな気温で、「蕗のとう」も開花したようです・・・お天婦羅にするには、育ち過ぎ?
母を看取ってから一年余月過ぎた。
その当時から一周忌辺りまで、周りからは、「気落ちしていない?」とか「気が抜けて空しくない?」と、励ましやら、ご心配を頂き、恐れ多くも、煩わしいなと思ったりしていたが、さすがに、現在は、その種のご配慮も少なくなった。
当時も今も、私自身の気持ち(気分)は、殆ど変わりないつもりだが、私を見る周りの目が変わったような気がする。
それを、とやかく言う訳ではなくて、人の世は忙しいというか、人の心は移ろい易いというのか、何時までも、係わっていられないのが、普通なのだろうと思う。
2月14日付 毎日新聞「今週の本棚」欄で、「この国の冷たさの正体・・・一億総「自己責任」時代を生き抜く(和田秀樹氏著)」の書評(佐藤優氏評)が載っていて、ざっと目を通してみた。
米国流の自己責任論は責任回避をしやすい傾向の文化にある米国だから導入する必要があった訳で、共同体意識の強い日本に人為的に持ち込む事で、日本社会が内側から解体してしまった・・・のだそうなのですね。
和田氏は「人間は生まれてから死ぬまで人の助けが必要です・・・人間は生きているだけで「迷惑」の塊だと気づく事が大事だと思う」と述べているそうです。
それに応えた佐藤氏の書評では・・「迷惑」をかけ、そして「迷惑」をかけられて、私たちは生きている。日本は「迷惑をかけあう共同体」なのだ。この現実を認識すれば、日本人ひとりひとりがもう少し心に余裕を持って、自分に対しても、他者に対しても優しくなることができる」・・・と、評している。
私自身には、「迷惑」を蒙ったとか、「迷惑」をかけたとか、とりわけ認識している事実はないが、ここ10年間の事ですら、確かに、一人では生きていけないということは認識できる。
「他人様の手を借りたくない」という依怙地なまでの考えも、年齢を重ねる程、それを押し通す事は出来ないのだから、自分が「迷惑」をかけた分、また他人様から「迷惑」をうけとるという相互意識(お互い様意識?)を、まず、自分から育てて行くべきだと感じた訳でして・・・そしたら、もう少し、優しい私になれるかも・・・とね。
和菓子店で見つけた「おひなさまクッキー」を姉にプレゼントしたら、「どこから食べたら良いの?」と悩んでいた。
やはり、姉の方が「優しい」性格のようだ。