IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「一汁一菜」のススメ?

2017-01-13 07:48:57 | この頃思う事

「椿」の開花が遅いような気がするが・・・単に、我がセッカチな性分に因るのかも。

 


今週末からは、大寒波襲来とか・・・雪国の皆さんは大丈夫でしょうか?

さてと今更、公言する必要もないが、名実ともに「料理嫌い」である。
料理に関して、いろいろ取り揃えたり、考えたりするのが面倒だから、母が亡くなった後、ほゞ「一汁一菜的料理」で済ませている。
否、家事全般が嫌いと言っても、過言ではないだろう。
掃除をしたくないから散らかさない、洗濯も、度々したくないから回数を減らす、料理に至っては、調理をしたくないから、簡単に出来るもの、尚言えば、調理なしでも食せるものを買う・・・というように、全く、努力も研鑽もしない私なのだ。
でも、それは、私が嫌なだけで、しない事は良い事だと思っている訳ではない。

毎日新聞、1月9日付 山田孝男氏著「風知草」欄に、歓迎すべき記述を発見した。

「一汁一菜こそクール」

「一汁一菜でよいという提案」(グラフィック社)・・・著者は料理研究家、土井義晴・・・
「和食の神髄は一汁一菜という、高度成長以前の家庭料理の伝統的なスタイルの中にこそある」
「昔は、ご馳走は特別の日に作られた・・・・グルメ番組で披露する「仕事」が日常の理想と誤解され、混乱している」
「特別と日常の区別がないから無理が出る。外食が増え、基本無視・季節無視の手抜きに流れ、食の崩壊を招いた。簡単で健康な日常を取り戻そう」
・・・・
土井氏は言う。
「家庭料理は理想化され、あまりに多様になった果てに、何を作ればよいかさえわからなくなった。
(中略)私は和食を初期化することでストレスにならない持続可能な家庭料理を取り戻せると考えている。
それが「一汁一菜」、汁飯香という和食の原点だ(文芸春秋)」・・・
食に限らない。
複雑になりすぎたものを初期化する年ではないか。(以上新聞記事より抜粋転載)


私は、この記事を読んで、「そうだ、その通り!」と叫びたい気持ちになった。
そうなのよねぇ・・・最近、盆にも正月にも感動が無いのは、日常にご馳走を食べ過ぎているからで、感動も何もありゃしないと言うもの。
とは言っても、私の作る「一汁一菜」と土井氏の言う「一汁一菜」は、まるで質の違うものと承知しているが、基本的理念は相通じると確信しているが・・・・
人間誰しも、自分の生き方を否定されるより肯定されたいもので、私には打ってつけの後ろ盾を頂いたような・・・と勝手に解釈している。

そんな訳で、既に初期化を果たした私の夕食は、「一汁一菜:みそ汁・御飯(一応、炊き立て)・大根おろし・赤ワイン・レモンの蜂蜜漬け」。
えっ、菜が無い?そうかぁ、目玉焼きでも作ろうかなぁ・・・

人、これを「貧食」と呼ぶ・・・判ってる、判ってる


参考資料:実は、昼食の「ハンバーグ・ランチセット」が胃にもたれて(常には無い食物の乱入に、我が胃はその対処に苦しんでいるようで・・・)、夕食を取る気分にならない状況で・・・でも、大体、こんな程度が日常。

 


腰痛も、大分、改善してきました。ご心配を頂きましてありがとうございました。
末尾になりましたが、御礼申し上げます。



 

コメント (8)
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