勝手に「侘助」と吹聴しているが、ホントはどうなのだろうか・・・暖かな今年は、花びらが全開となって「侘助らしき風情」が見られないのが残念な気がする。
予定では5日(外出の予定があるから)に買い出しを・・・と思っていたが、冷蔵庫の中が、ほゞ、空状況となってしまい、とりあえず食せる物を仕入れようと、近くの「ドラッグストア(多少の食料品もある)」に出かけた。
帰り際、「そうだ、マスクを買わなくては・・・」と取って返したが、案の定、今、必要な品(用途・サイズとか)のコーナーはスッカラカンである・・・ふ~ん、こんな田舎でも買い占めする人なんているのかなぁ・・・と思いつつも、無いものは無いのだから、喚いたところでどうしようもない。
自分だって、ウイルスが怖くてマスクを買いに来たのでは・・・と思われるだろうから、ま、一応、言い訳を言わせてもらうと、病気で免疫性が極端に弱くなっている姪に接するためには、マスクが必需品となっているのだ。
これだけ物があふれた日本でも、必要な物が手に入らない・・・何かオカシクナイ?
買い出してきた物を収蔵しても隙間の残る冷蔵庫の空間には、保存容器が空のまゝ、半分を占めている。
大概が空状況な我が冷蔵庫は、冷蔵庫として役を果たしてないな・・・と思った。
そう、私にとっては必要でない物・無用な物の一つだとも言えるわなぁ・・・と。
そんな事もあって、偶々、ネット記事を眺めていた時、「無用の用」というフレーズが目に留まった。
「老子道徳経」という書物に記されている名言だそうだ(内容にご興味があればお調べくださいね)。
つまり、形ある物に価値があるのは、形の無いものがその役割を果たしているから・・・だと老子様は言うのですね。
まぁ、私が無理勝手にコジつければ、店頭にマスクが無いということは、如何にマスクに価値があるか・・・と言う事であり、私の空の冷蔵庫は、まだまだ物を詰め込める余地がある事で精神的余裕を高らしめている・・・と言うことになるのかなぁ・・・・な~んてね。
だから何?って気もするけれど、こんなバカげた思索が出来るってことが、一番の「無用の用」なのかも知れないね。