庭の一角に「十二単」が絨毯状況になっていたけれど、一部を残して急に枯れてしまった(?)と思っていたら、絨毯の中に紛れ込んだ草が取り除きにくくなったと言う姉が、除草剤を撒いて草を一掃したのだそうだ・・・「十二単」が枯れたのも当然の結果という事。
とは言うものの、既に、それを見越して別の場所に移植していたから問題は無しなのだが・・・新たな絨毯になるのは、もっと先の話。
先週辺りから、庭や畑の雑草取りを始めたが、久しく怠けていたから、やっぱり腰痛も出て来る。
先日も、午前中に2時間ほどの作業だったのに、午後からダウン気味で、夕食を取り風呂にも入って、早々と寝込んで居たところに、叔母が訪ねて来た。
半分認知のような叔母が、夜にわざわざ出向いて来る(従妹が付いて来た)のは、もう決まった理由があるからと承知はしている・・・そう、選挙である。
以前から、その都度、宗教と選挙の話は御免よ・・・と言い続けているので、突き放してもよかったのだが、齢90(多分)の叔母を邪険にするのもどうかと思い、「ゴメンねぇ、畑の草取りで腰を痛めてしまい起きられないの、悪いけれどパンフだけ置いて行って」と、体よく逃げた。
それにしても、私が、家に閉じ籠っている叔母を訪ねて話をしている時には、私が誰なのか、分かっているのか分からないのかさえ定かでないのに、選挙となると生き返った様になるというのは、一体、何なのだろう・・・と、不思議な気がする。
叔母がそれを「我が勤め」として生き甲斐を感じているならば、そう、邪険にしても悪いかなと、ちょっと反省をしたりもするが、ま、ちょい面倒だと思う気もある。
でも、元気でいてくれる事を有難いと思うようにしている(母方の叔母では、ただ一人になってしまった)。
先日の、友人らとのランチ会の日時間違いといい、叔母の訳の分からない元気といい、少なからず、「我が行く道」と心して置かねばならないのが現実であろう。
本日、午前中に少しだけ、畑の花壇(薔薇)の世話をしていると、引きも切らず選挙カーが回って来て、「畑で働くお母さん、ご苦労様です」なんて心にもない言葉を撒き散らしているが、果たして叔母は誰を推薦していたのかを知らない私である(パンフは見ないで破棄)・・・まぁ考えようでは、私も叔母に似たようなものよね。