管理担当者である姉が、自己流で剪定した「白藤」の花が、咲くかどうか懸念していたらしいが、結構、いい具合に咲いてくれた・・・17年前に亡くなった父の遺品だそうだが、ま、遺族としての役目は、十分、果たしていると思っている。
3月中旬頃だったか(もっと早かったかも?)、まだ早いと言われながらも、何時までも待つという事が頭痛の種なので、手持ちの種をポットに蒔いた。
案の定、4月に入っても芽が出て来ない・・・しびれを切らしながら、それでも待ち続けていたら、ほんの少し、頭をもたげて来たのだ。
やれやれ、やっとだねえ・・・と、多少、ワクワクしたものの、それから成長するのが遅い事と言ったらイライラが増す一方で、そう、待ちきれなくなって、ついに「ゴーヤ」の苗を買ってしまったという次第・・・ホント、短気だという証である。
で、明日は雨という予報が出ていた昨日(15日)、「ゴーヤ」の苗を畑の定位置(既に10年近く同じ場所に植えている)に移植して一安心と言うか、やるべき事が収まり、常に「しこり」となっていた気持ちがようやく落ち着いたのであった。
昨年の収獲から採った種の「白いゴーヤ」 農協から仕入れた「緑のゴーヤ」
毎年、同じ場所で育てているから、それなりの季節には自発的発芽があるけれど、昨年の草取りで、この場所を掘り起こし掻き回してしまったから、自発的発芽も期待は出来ないという考えも、少~しあったのだ。
その内、連休頃には、ポットの「白ゴーヤ」も畑に移植出来るだろうと思っているけれど、これも、天候次第、神様次第という事だろうが、すべて上手く行けば、今年のゴーヤは大豊作(獲らぬ狸の何とやら?)かも知れない。
ただ、我が家人は「ゴーヤ」があまり好みの野菜で無いことが問題なのである.・・・ま、その問題は収穫があってから考えればいい事よね。
これからは、週2回くらいは畑詣でをしないと、すぐに草茫々になってしまいそうだから、秋まではそれなりに忙しくなるだろうが、気持ち的に週2回は、結構、負担だ(我が家の庭の草取りもあるし・・・ね)。
仕事がある事に感謝しようと思ってはいるが、時々、ため息も出て来そうである。
まぁ、楽しみながら(つまり、草が茫々となるのも大自然の営みの内と理解して)ボチボチと続けられることを願い、時折、友人らとお茶して美味しい珈琲が味わえたら、案外、コロナ禍でも平常心が保たれるような気がしている。
明日は、その平常心を保つため、友人と「ランチ&珈琲」に出掛ける予定・・・雨の予報が出ていると言うのに・・・である。