ご近所さんの畑には「枝垂れ桃」が見事な花を見せてくれている。
写真を撮ってもいいよという申し出に、余りにも豪華絢爛たる姿に気おくれしたので、前面にひっそり咲いていた「菜の花」を撮って、「枝垂れ桃には菜の花が良く似合う」と、「太宰治・富獄百景」風に気取ってみた・・・しかし、残念ながら、この被写体の構図自体には、如何ほどの芸術性も感じる事は無い・・・というお話。
ここ十年程、気に掛かっていた知人が、昨晩(4月6日)彼岸へ旅立った。
私と知人とは同年齢で、同じ地区内に生まれて幼稚園から中学校まで(高校は違っていたと思ったが、定かな記憶はない)一緒に学んだ間柄で、親友ではないが幼馴染(遠い親戚でもあった)としての付き合いをしていた。
知人が結婚と同時にこの町を去り、私は仕事などで都会に住むようになって、お互いの関係も薄れて行った。
が、私が定年を迎えた時点で、実母の介護のこともあり地元に戻って来た時に、周囲に遊び仲間(正式には飲み仲間)もない寂しさもあって、我が地区の同級生(11名)同窓会を地元で開催すべくアプローチし、8名から賛同を得られて開催にこぎつけたが、知人はその時の賛同者の内の一人であった。
その時を境に、急速に戻った付き合いの中で、知人の現況を知り、他人事だと無視出来ない気持ちを持つようになったが、知人の現居住地も近くは無かったし、交通手段も一本で行ける環境で無かったから、足繫く出かけられないので、「用事があったら電話をしてね。その時には、出来るだけ来れるようにするから」と話し、時折頼まれたことをこなしながら現在に至っていた。
昨年暮れ辺りから、知人の健康状態も思わしくなくなって来て、呼び出されて出かけるという事より、気になって様子を見に出かけるという事が多くなってきたが、私の個人的な判断でも、もう一人(介護は入っていた)で暮らすのは無理ではないか・・・と感じるようになって、なるべく、ケアマネさんと相談するよう勧めたところ、知人自身も先行きを考えていた(今更もう遅いよ・・・とも感じもしたが)みたいだった。
「3日後に病院に行くからその結果をみて判断する」という知人からの電話で、「行く先が決まったら連絡してね、持ち出す荷物やら、自宅の片づけなど出来ることを手伝うからね」と電話口で話した時、何か息苦しそうなのが気になったが・・・その翌々日の晩、知人の姉(80歳になる)から連絡が来て、救急搬送され、現在危篤状態だと言うが、私は、内々に既に想定もして、別れの心構えは出来ていた事もあって、今から駆けつけることは時間的に無理なので看取りには行けない旨を了解して貰った。
幼少時代はさておき、ここ十数年の付き合いから思えば、何と呆気ない別れだなぁ・・・が実感だが、一方では、知人の晩年の生き方を見ていて、過去に囚われて現在を悲観し心に平安の無い人だったから、ある意味、これはこれで良かったかも知れない・・・という思いもする。
私自身は、人間の生死の場に接しても、ある程度(かなり?・・・かも)感情希薄であることを認める、人間として当然の(避けられない)経過・・・という諦観的な思いがある。
どう生きるか、どう死ぬか・・・は、一概に標準化は出来ない事だし、前もって老後に際しての生活の準備・心の準備が出来ていることが理想的ではあるが、人間(だからこそ?)、皆、そう出来るとは言い難い。
「死」を泰然自若として迎えるか、悩み恐れながら「死」に至るかは、良し悪しではなく、個人差でしかない。
ただ、自分自身が、だんだんと年を経る毎に、身近な死の体験を通して、何となく、自身にも心構えが出来て行くように感じているのは、余りにも「終活・終末」を安易で楽観的に考えているのかなぁ・・・って、思ってはいるけれどね。