春一番に花を持った「クリスマスローズ」の花に、ようやく、色が付いて来た。
それにしても、この名称は、どうしても季節に似合わないと感じてしまうが、しっくりとくる別称はないのかな?
姉の孫が、この3月中旬から、まだ、研修期間であり直に仕事に就いた訳では無いが、新入社員として勤めを始めた。
本来ならば、本部だか研修センターは知らぬが、九州にある施設で研修する筈が、コロナの為、それもならず、県内の施設に通って研修を受けていると言う。
孫自身がが、これをマイナスと受け取らず、通常では得られない貴重な体験だと捉えてくれるとイイナと思っている。
思い起こせば、私自身は、ある都市銀行に入行し研修を受けたのは勤務場所である支店で・・・だった。
50数年も前の事を、何故に覚えているかと言うと、同じ年に入行した男性行員らは(同じ支店に勤務予定男性子行員も)、本店(本部?)で研修を受けたからだった・・・そう、何で、男女で扱いが違うの?と、その時に強く憤った記憶が蘇る、姉妹ばかりで育ち、元から男女の違いなどとは縁遠かったから、とても印象的な出来事だったのかも。
その後、システムをコンピュータ化する際の講習(その頃からコンピュータに興味を持っていたから受講したいと願っていた)にも、女性行員は対象では無かったと記憶している(システム化のデータ登録は、何も講習を受けていない私が、退職後に来店して、処理をした)。
そう言えば、女性行員には転勤も無いし、採用条件に、実家から通うと言う条件も付いていた等々、結構、様々な不平等があったと思っている。
昨今、「男女間差別」について、大分、姦しくなっているが、「平等」と言わず「差別」と表現する事に違和感を感ずるのは何故なのだろうか・・・
考えてみれば、45年間程、会社勤めをして来て、「平等」では無いと感じても、「差別」とは感じなかった私は、「平等」を勝ち取る闘争心が無いために、暗黙の裡に「差別」も認めていたのだろうか・・・いやいや、当時から、人間から「差別」を取り除くのは無理な事・・・という考えであった為と思う。
確かに、私自身が「頂点に立ちたい」という意欲は無かった、しかし、「機会は平等」にして欲しかった・・・が、偽らない気持ちなのだ。
孫が職に就くに於いて、他の社員と「平等の機会」を得るために、彼への助言はただ一つ「あらゆる機会を捉えて勉強しなさい」そして「勉強は他人の為ではなく自分の為」と付け加えた。
本日は雨・・・当地方も、かなりの量(総雨量250ml?)になるという予報だが、雨音がとても心地良い。
先日、種を蒔いたばかりのポットを庇の内に取り込ん置く・・・まだまだ、発芽は先の様だが、毎日様子を見るのが、ちょい楽しみな日課になっている。
手もとに保管してあった種を、適当に蒔いて、残りは廃棄した・・・何が出て来るか・・・お楽しみ!ってところね。