3月24日と26日に、近辺の桜開花状況を知りたくて、2、3か所の桜を見に出かけたが、何処も3分~5分咲きという具合だった。当地の開花が、平年より遅れているのだろうか・・・それでも、来週辺りには満開になりそうな気がする。
標題の「悩むな 考えよ」というのは、40代で早逝された哲学者:池田晶子氏の言葉だそうだ。
我が唯一の図書館である「100分de名著」の番組「災害を考える」に中で、池田晶子氏の「14歳からの哲学」の講義があり、「生きる意味を問いなおす」という副題が付いている。
「14歳から・・・」と銘打たれているが、古稀を過ぎた私にとってもちょい難解な論説であるが、何故か、惹きつけられるものを感じた。
まぁ、この歳になって「生きる意味を問いなおし」たからって、どう人生が変わるものでは無いけれど、14歳(人が社会に向けて開かれる年齢であり、自分の存在があるかたちを帯びて来るのだそうだ)に向けて、どんな語り方をしたら自己の発見に繋がるのか覗いて見たいと思ったので、とりあえず「テキスト本」を取り寄せたものの、まだ、読んではいない。
でも、一番先に目に飛び込んできたのが、この言葉「悩むな 考えよ」だったのだ。
その本当の意味(真理)について不確かながらも、分かるような気がした・・・私自身が、常に、ヘタな考え(これって悩む事では?)休むに似たり、前を見据えて行動するのみ・・・を、我が身上としているからだ。
我が家の近くに、ここ数年、ちょっとワガママ(甘えている?)ご主人の介護を続けている友達が居る。
買い物帰りなどに、時折、寄って話をしているが、デイサービスを拒んでいたご主人が、今週から、週2回、リハビリと言う名目(介護と言うと気を悪くするらしい)でお世話になる事になったとメールが来た。
前々から、ご主人がデイに出掛けられるように為ったら、ゆっくりお茶でもしようと約束をしてあったので、早速に、お花見がてら近所の公園に、珈琲・茶菓子持参で行く話にしたが、出かける直前に電話が入り・・・公園の桜は、まだ、満開になっていないので、ちょっと別な所に付き合って・・・と言うから、OKした。
その用事というのが、やっとデイに出掛けたご主人が、デイ以外はどこにも外出出来ない(歩行困難)ので、気分転換に出掛けられる場所を探したいのだそうで、「足湯」やら「桜並木」やら、数か所を車で巡って状況の検分をしたのだ。
その後、お茶屋で珈琲を飲みながら、毎度の如くの介護の苦労や愚痴を小一時間聞く・・・その事自体は、何も言うつもりは無い、それで一時的にも気が晴れてくれればそれで良し(但し、毎度、進歩が無い話だから真剣さは欠けるが・・・)。
まぁ、あえて一つだけ提言させて貰えるならば、やっと解放された3時間の貴重な時間を愚痴で終わるのはモッタイナイ・・・という事だ。
介護で悩んでいるなら、それを解決する方法を探せばいいし、自分では出来ないと悩まないで、その道のプロに頼ったらいい、介護状態(認知も含めて)になる事は世間体の問題では無いし、その人格を貶めるものでも無い等々・・・現実をしっかり認識すれば、手間を省けるところが見えて来る、それを非難や噂話をしたい人にはさせて置けばいい、彼らにやっかいになっている訳では無いのだから無視でOK、今、自分の出来る事だからと必死にこなしたとしても、悲しい事に、やっぱり後悔は起きて来るのが人間なのだから、今は、無理のない範囲で対処して行けば良しと自分で自分を納得させる事と、まあ、イッパシブッて助言した。
100歳までは生きたいご主人が葬式はお前が出してくれと言うのだそうで、友達は、そうすると、後20数年は生きなければならないと愚痴るから、「まず、当面の目標が決まったね、目標があるのは良い事よ」と励ましたつもりだけれど、励ましになったかどうか・・・
つまり、私は友達に「悩むな 考えよ」と伝えたかったのである。