若い時、名門大洋フェリーで月に 2回 8年間 ( 200回以上 ) 瀬戸内海を往復しました。 仕事です。 乗客も少なく予約が取れないなんて事はあまりありませんでした。 しかし、USJ ( 2001年 ) が出来てからは、韓国、中国の観光客で大賑わいです。 おまけにマナーが悪いので、夜中まで廊下で大声で騒ぎます。 これにはチョット参りました。
そんな訳で予約も早めに取らなくてはならなくなりました。 以前は 4 人部屋を一人で使うのは当たり前だったのですが、詰め込まれると嫌なので、一等洋室 ( ちょっと贅沢です )を取ります。 一等洋室は最後部に 2 部屋しかありませんが、殆ど空いています。 バストイレが室内にあり、部屋も十分に広いです。
夕食は出航前から開いている船内のレストランでとります。 ショーケースに並んでいる単品料理を選んで行き、会計を済ませテーブルにつきます。 食事中に出航します。 もう暗闇になっていますから、港の光が移動するのが見えるだけで景色は見えません。
私は船旅が好きで、太平洋フェリー ( 名古屋港 ⇔ 仙台港 ⇔ 苫小牧西港 )、オーシャン東九フェリー ( 東京有明港 ⇔ 徳島港 ⇔ 新門司港まで、34時間の船旅 )、名門大洋フェリー ( 大阪南港 ⇔ 新門司港 )、新日本海フェリー ( 博多ふ頭 ⇔ 上越市 )、コスモライン ( 鹿児島 ⇔ 種子島 ) などのフェリーに乗りました。 勿論、仕事で必要上フェリーに乗るって事です。 運転からも解放されて私にとっては旅気分、至福の時でした。
フェリーの旅で一番の思い出は、瀬戸内海の濃霧です。
オーシャン東九フェリーの船上から TOKYO HY-POWER HT-750 ( 21MHz 2W SSB 内蔵ホイップ ) で VK と QSO 出来た事 ( この事は、先のブログに投稿しました ) も想い出ですが、やっぱり、一番は瀬戸内海の濃霧です。
大阪南港から新門司港に向けての帰路でした。 位置的には中間点位だったでしょうか。 全船停止命令 が出て、なんと 20時間の足止め です。 濃霧は 3月~5月に多く発生するらしいのですが、残念ながら何年のいつ頃だったか、思い出せません。 ネット上に記録が残っているかと検索して見ましたが、探し当てる事は出来ませんでした。 船長さんも 「 私の 25年のキャリアでもこんなのは初めてだ 」 と言っていました。
どういう状態かと言うと、まず、周りは真っ白です。 デッキから下を見ても海面が見えません。 デッキに並んでいる乗船客も、左右 3 ~ 4 人まで ・・・ その先は見えません。 視界は 3m くらいでしょうか。 まるでミルクの中に浸かっている様でした ( 大袈裟な表現ではありません本当です 山岳遭難もこんな状態で発生するのでしょう 山岳の場合なら動いたら迷子必至です )。 テレビの臨時ニュースにも流れた様です。 結局、通常は 12時間 30分で到着するところ、33時間程かかりました。 当時の濃霧停船時間の記録だったと言っていた様な気がします。 貴重な経験となりました。