○魚住昭『野中広務:差別と権力』講談社 2004.6
これはスキャンダルではないのだろうか? 日曜日、久しぶりに実家に帰り、新聞を広げた。短い書評欄が本書を取り上げていて、巻末のエピソードが、ほぼそのまま引用されていた。
2003年9月、政界引退を決めた野中広務は、最後の自民党総務会の席上、政調会長の麻生太郎に向かって「あなたは『野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。私は絶対に許さん!」と厳しく噛み付いた。総務会の空気は凍りつき、麻生は否定せず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。
本書が刊行されたことにも、大新聞の紙面が引用したことにも、麻生が異議を申し立てないということは、これは事実なのだろう。これが事実なら、麻生太郎は、政治センスも人権センスもゼロの政治家ではないか。この発言に比べたら、山拓の女性スキャンダルなんてかわいいものだし、菅直人や小泉首相の年金未払いも大した汚点ではない。
それなのに、どうしてこのスッパ抜きが麻生太郎という政治家にとって、致命的ダメージにならないのか? 情けない、腹立たしいことだけど、それは我々日本人の多くが、差別の構図を内心で許容してしまっているからなのだろうか?
野中広務は被差別出身者であることを隠してこなかったという。しかし、この評伝が月刊誌に掲載された直後は、「君がのことを書いたことで私の家族がどれほど辛い思いをしているか知ってるのか」と涙を浮かべて著者を叱責したともいう。
私は本書を(正確には本書の書評を)読むまで、野中の出自について全く知らなかった。読後感は複雑である。差別との戦い方はさまざまであると思う。政治家として、別の選択肢もあったように思われる。しかし、それは言うだけならたやすいことかも知れない。
1999年、数々の議論と反対を押し切り、国旗・国歌法案を成立させたのが、差別の闇を知る野中の意思であったということには、何か暗澹とした現実の重みを感じてしまう。
そういえば、「毒まんじゅう」騒ぎのとき、野中氏の自宅の玄関にまんじゅうを置いて反応をうかがっていた若い記者がいて、いくら何でもはしゃぎ過ぎじゃないかと思った。彼ら、屈託のない若いマスコミ関係者には、差別の闇の深さなんて分かるのだろうかね。
※私の読んだ朝日新聞の書評はこちら。http://book.asahi.com/
たぶん1週間遅れで掲載されるようだ。
これはスキャンダルではないのだろうか? 日曜日、久しぶりに実家に帰り、新聞を広げた。短い書評欄が本書を取り上げていて、巻末のエピソードが、ほぼそのまま引用されていた。
2003年9月、政界引退を決めた野中広務は、最後の自民党総務会の席上、政調会長の麻生太郎に向かって「あなたは『野中のような出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。私は絶対に許さん!」と厳しく噛み付いた。総務会の空気は凍りつき、麻生は否定せず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。
本書が刊行されたことにも、大新聞の紙面が引用したことにも、麻生が異議を申し立てないということは、これは事実なのだろう。これが事実なら、麻生太郎は、政治センスも人権センスもゼロの政治家ではないか。この発言に比べたら、山拓の女性スキャンダルなんてかわいいものだし、菅直人や小泉首相の年金未払いも大した汚点ではない。
それなのに、どうしてこのスッパ抜きが麻生太郎という政治家にとって、致命的ダメージにならないのか? 情けない、腹立たしいことだけど、それは我々日本人の多くが、差別の構図を内心で許容してしまっているからなのだろうか?
野中広務は被差別出身者であることを隠してこなかったという。しかし、この評伝が月刊誌に掲載された直後は、「君がのことを書いたことで私の家族がどれほど辛い思いをしているか知ってるのか」と涙を浮かべて著者を叱責したともいう。
私は本書を(正確には本書の書評を)読むまで、野中の出自について全く知らなかった。読後感は複雑である。差別との戦い方はさまざまであると思う。政治家として、別の選択肢もあったように思われる。しかし、それは言うだけならたやすいことかも知れない。
1999年、数々の議論と反対を押し切り、国旗・国歌法案を成立させたのが、差別の闇を知る野中の意思であったということには、何か暗澹とした現実の重みを感じてしまう。
そういえば、「毒まんじゅう」騒ぎのとき、野中氏の自宅の玄関にまんじゅうを置いて反応をうかがっていた若い記者がいて、いくら何でもはしゃぎ過ぎじゃないかと思った。彼ら、屈託のない若いマスコミ関係者には、差別の闇の深さなんて分かるのだろうかね。
※私の読んだ朝日新聞の書評はこちら。http://book.asahi.com/
たぶん1週間遅れで掲載されるようだ。