○斎藤孝『座右の諭吉:才能より決断』(光文社新書) 光文社 2004.12
旅先で読む本が切れてしまった。たまたま見つけたのが、めったにいかない郊外型の書店だった。読む甲斐のある本がほとんどないことに驚きながら、ようやく本書を選んで買った。最初に言い訳を書いてしまったのは、本書が面白くなかったからに他ならない。よほどの「悪条件」でなければ、こんな本、手に取ろうと思わなかった、ということを明らかにしておきたいのである。
本書は、著者が若い頃から熟読してきた『福翁自伝』の本文を紹介したもの。「自分と福沢には非常に似通ったところがある」と思っているらしいが、著者のファンでない私には、それはどうでもいい。
だが、私は福沢諭吉のファンではある。むかしは、福沢という人物に、反感と警戒を感じていたのだが、だんだん親愛の情を感じるようになってきた。たとえば「悩む暇があったら、勉強したほうがいい」。これは、著者が福沢の発言を意訳したものだが、確かに福沢が言いそうなことだ。
福沢はエネルギーの浪費を好まない。着るものに気をつかうとか、相手をへこますための議論とか、幅広い交際とか、そういったことには一切無関心である。『自伝』には「莫逆の友というような人は一人もいない」という発言もあるそうだ。「人に誉められて嬉しくもなく、悪く言われて怖くもなく」「悪く評すれば人を馬鹿にしていたようなもので」とまで言っている。いいな、この憎たらしいまでのクールさ。一般には「熱い」人間のほうが受けるだろうけど、私は、福沢の「冷めた」ところ、「冷めながら、本気で頑張る」ところが好きだ。
興味深かったのは、『自伝』に、少年の頃、「白石の塾」(儒学者白石照山の塾)で、どのような漢学の素養を身に着けたか、語っている段があるということだ。「経書を専らにして論語孟子は勿論」世説、左伝、老子、荘子、歴史は史記から五代史、元明史略まで、さまざまな漢籍の書名が上がっている。
福沢は、学問を「道具」と見なすことができた人物である。途中でオランダ語に見切りをつけ、英語に乗り換えたのもその一例と言える。しかし、その一方、「道具」とは別の価値を持つ学問があることも、よく知っていたのではないだろうか。少年時代に身につけた漢学の素養は、実は終生、彼の精神の基盤を形づくっていたのではないかと思う。ずっと気になっていた「福沢諭吉と論語」の関係に、一定の解答を見つけたように思った。
旅先で読む本が切れてしまった。たまたま見つけたのが、めったにいかない郊外型の書店だった。読む甲斐のある本がほとんどないことに驚きながら、ようやく本書を選んで買った。最初に言い訳を書いてしまったのは、本書が面白くなかったからに他ならない。よほどの「悪条件」でなければ、こんな本、手に取ろうと思わなかった、ということを明らかにしておきたいのである。
本書は、著者が若い頃から熟読してきた『福翁自伝』の本文を紹介したもの。「自分と福沢には非常に似通ったところがある」と思っているらしいが、著者のファンでない私には、それはどうでもいい。
だが、私は福沢諭吉のファンではある。むかしは、福沢という人物に、反感と警戒を感じていたのだが、だんだん親愛の情を感じるようになってきた。たとえば「悩む暇があったら、勉強したほうがいい」。これは、著者が福沢の発言を意訳したものだが、確かに福沢が言いそうなことだ。
福沢はエネルギーの浪費を好まない。着るものに気をつかうとか、相手をへこますための議論とか、幅広い交際とか、そういったことには一切無関心である。『自伝』には「莫逆の友というような人は一人もいない」という発言もあるそうだ。「人に誉められて嬉しくもなく、悪く言われて怖くもなく」「悪く評すれば人を馬鹿にしていたようなもので」とまで言っている。いいな、この憎たらしいまでのクールさ。一般には「熱い」人間のほうが受けるだろうけど、私は、福沢の「冷めた」ところ、「冷めながら、本気で頑張る」ところが好きだ。
興味深かったのは、『自伝』に、少年の頃、「白石の塾」(儒学者白石照山の塾)で、どのような漢学の素養を身に着けたか、語っている段があるということだ。「経書を専らにして論語孟子は勿論」世説、左伝、老子、荘子、歴史は史記から五代史、元明史略まで、さまざまな漢籍の書名が上がっている。
福沢は、学問を「道具」と見なすことができた人物である。途中でオランダ語に見切りをつけ、英語に乗り換えたのもその一例と言える。しかし、その一方、「道具」とは別の価値を持つ学問があることも、よく知っていたのではないだろうか。少年時代に身につけた漢学の素養は、実は終生、彼の精神の基盤を形づくっていたのではないかと思う。ずっと気になっていた「福沢諭吉と論語」の関係に、一定の解答を見つけたように思った。