見もの・読みもの日記

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格差のかけはし/「性愛」格差論(斎藤環、酒井順子)

2006-08-05 21:01:41 | 読んだもの(書籍)
○斎藤環、酒井順子『「性愛」格差論:萌えとモテの間で』(中公新書ラクレ) 中央公論新社 2006.5

 香山リカさんの『老後がこわい』に本書への言及があって、酒井順子さんも、親の介護や老後について漠とした不安を感じているらしい、云々とあった。なので、これも旅のつれづれにまかせて読んでみた。

 「負け犬」の命名者・酒井順子に対して「私は『おたく』代表みたいなものです」と標榜する斎藤環の対談である。だが、酒井順子はともかく、斎藤環はどうかなあ。私は、この人をあまりよく知らないが、それほどのタマじゃないだろう、という感じがした。

 本書は、現代日本に生息する、さまざまなトライブ(部族=集団)について語ったものだ。定番の「負け犬」「おたく」のほか、長い歴史と安定した勢力を持ちながら、学術的に語られることの少ない「ヤンキー」や、新出の「腐女子」も取り上げられていて興味深い。それから、「いま40代以下の言論人はほとんどが広義のおたく」という見解には同意できる。彼らの多くは、バブル時代の抑圧が、学問の動機づけになっているという説も、面白いと思った。

 本書で、いちばん読み甲斐があるのは、酒井順子さんの「おわりに」だろう。酒井さんは、「変わった人たち」の集団を離島に喩え、「普通の人たち」を大陸に喩える。しかし、遠目には大陸に見える彼らも、実は大小さまざまな小島が寄り集まってできているだけではないか、というのは、なかなか巧みな比喩である。そして、島と島の間に橋をかけ、両者を近づける可能性のあるものが「性愛」であろうと結論づけているが、これは古今東西、自明の理。この「性愛」の秩序攪乱力が、極端に痩せ細っていることが、いまの問題なのではないか。

 ふと蘇ってきた曖昧な記憶がある。「三年寝太郎」とか「ものぐさ太郎」として知られる御伽草子のことだ。目の前の餅に手を伸ばすのも面倒がっていた太郎が、突如、才覚をあらわして、京に上り、美女と栄耀栄華を手に入れるというあらすじである。著名な文学者が、これを子供向けに訳すことになった。彼は、太郎が起き上がる契機として、神様(?)が太郎にむかって、以下のように告げる場面を付け加えた。お前は、まだ恋を知らない。恋の喜びを知らずに、生きていても何も面白いことがないというのは詮ないことだ。これを聞いて、太郎は、俄然、奮い立って、京に向かうのである。

 私が記憶しているのは、この本を丸谷才一が褒めていたということだけだ。「人生最大の愉しみは恋愛である」ということを、子供たちに説いた文学者が誰であったかは、いま、思い出せない。恋愛力の弱まった「性愛」格差社会に必要なのは、こういう提言ではないかと思う。

【補足】上記を書いてから、探していたら、これかな?と思うものを見つけた。
結城昌治『ものぐさ太郎の恋と冒険』(新潮少年文庫)
http://www6.ocn.ne.jp/~natume/m-taro.html
コメント
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