見もの・読みもの日記

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どちらを選ぶか/自由と平等の昭和史(坂野潤治)

2009-12-28 23:11:40 | 読んだもの(書籍)
○ 坂野潤治編『自由と平等の昭和史:1930年代の日本政治』(選書メチエ) 講談社 2009.12

 本書は、1930年代の日本政治史を「自由」と「平等」の相克として描こうとしたものだという。一見、常識を混乱させるような見取り図だが、編者の坂野潤治の著作を読んできた者には、おなじみのものだ。片側に「ファシズム」とか「人権蹂躙」とか「未開・野蛮」とか、常識的に「悪」の範疇に属するものをおいて、「自由」「平等」その他もろもろ、われわれが追求すべき、近代市民社会的な「善」を、もう一方の側においた歴史は分かりやすい。しかし、残念ながら、現実は、そうたやすいものではないらしい。「善きもの」どうし、Aを取ればBが成り立たない、ということが、往々にして起こるのである。

 編者は『昭和史の決定的瞬間』(2004)において、「平和」と「改革」は、しばしば両立しないと語り、『未完の明治維新』(2007)においては、「殖産興業(富国)」「外征(強兵)」「議会設立」「憲法制定」という4つの維新の目標が、協調・対立を繰り返した過程を描き出してきた。本書は、『昭和史の決定的瞬間』と同じ1930年代を、「平和と自由」=政治的平等を唱える自由主義者と、「格差是正」=経済的平等を重視する社会主義者の相克として捉えたものだ。編者の論考は、2人の言論人、評論家の馬場恒吾と行政学者の蝋山政道を取り上げる。また、田村裕美は、民政党の2人の政治家、永井柳太郎と斎藤隆夫によって、同じ問題を論ずる。最後に、北村公子は、さらに「革命」というファクターを投げ入れ、学生の左翼運動と、青年将校の反乱、二・二六事件に共通するものを見出していた野上彌生子の視点を分析する。野上の日記は読み得だった。こんな理知的な文章を書く作家だとは知らなかった。

 編者は、「社会の底辺で何が起こっているかに全く無関心な『自由主義者』は、自陣の内側で何をしているかに無関心な『社会主義者』と同程度に嫌いだ」と断りつつも、自分の立場は「『自由』六分に『平等』四分」だと述べている。近代史の見方としては、それで正しいと思うのだけど、いまの日本の建て直しに必要なのは、「自由」四分に「平等」六分の視点なんじゃないかと思う。その点で、蝋山政道や永井柳太郎に学ぶべきことは多い。

 永井は、早稲田大学雄弁会の演説で、産業保護政策とは、関税の障壁を高くするというような「姑息な」手段ではなく、労働者に十分な生活の保障を与えることだと述べている。そうすることで、労働者は、知識と技術を磨き、健全な心身を養い、生産効率を高めることができる。だから、まず労働者に保護の手を差し伸べることが真の産業保護政策だという。なんかなー。著者の田村裕美氏じゃないけど、2009年の日本に、もう一回現れて同じことを訴えてほしいと思う。
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