○茂木健一郎、関根勤『妄想力』(宝島社新書) 宝島社 2009.9
関根勤さんは、私の好きな芸人である。子供の頃は、テレビで見ていても、気持ち悪くて、つまらなくて嫌いだった。それが深夜ラジオを聞くようになったら、すっかりハマってしまった。あれは私が大人になったためか、それともテレビとラジオというメディアの差だったのか。たぶん本棚を探せば、ラジオ番組の企画本『ら゛』が、どこかに転がっているはずである。
…というのも1980年代の話で、最近のテレビで見る関根さんは、「理想の父親」と持ち上げられたり、若手芸人の中にまじって、面白くもない平板なコメントを述べていたりする。でも本書を読むと、ところどころ、妄想芸健在を思わせる箇所があって面白かった。馬鹿だな~「関根勤がセロテープだったら」とか。そして、一度妄想を始めたら、とことん暴走させずにはおかないサディスティックな煽り役、盟友・小堺一機の存在の大きさを感じた。妄想の千本ノックとはよく言ったもの。ちょっと「ガキの使い」のコンビネーションにも似ているかしら。
茂木さんの話で面白かったのは、林望から聞いたというケンブリッジ大学の入試で、「寒い湖に浮かんでいるアヒルの足は、なぜ冷たくないのか?」という類の問題(面接)に、3時間も付き合わなければいけないのだそうだ。これは関根勤クラスの妄想力。イギリスの大学は、シェイクスピアについての知識を習うところではなく、シェイクスピアについて、2時間でも3時間でも議論する(ロジカルに妄想する)力を養うところである、という表現に、なるほど、と思った。
創造力、癒し、他者を理解する基など、妄想の効用を語るのが本書の第一の主題とすれば、もうひとつの主題は、萩本欽一の師匠ぶりである。これもいろいろと興味深い。特に、TV番組『欽どこ』時代、小堺一機と関根勤には一切アドバイスをしなかったそうで、のちにその理由を聞いたら「小堺と関根は注意するとヘコむだろ」と言われたという。分かる、分かる。理屈ではなく、注意されたらヘコむ人間はヘコむので、そういう場合、師匠は何も言わないのが一番なのだ。こういう臨機応変な師弟関係って、まだどこかに残っているのだろうか。
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…というのも1980年代の話で、最近のテレビで見る関根さんは、「理想の父親」と持ち上げられたり、若手芸人の中にまじって、面白くもない平板なコメントを述べていたりする。でも本書を読むと、ところどころ、妄想芸健在を思わせる箇所があって面白かった。馬鹿だな~「関根勤がセロテープだったら」とか。そして、一度妄想を始めたら、とことん暴走させずにはおかないサディスティックな煽り役、盟友・小堺一機の存在の大きさを感じた。妄想の千本ノックとはよく言ったもの。ちょっと「ガキの使い」のコンビネーションにも似ているかしら。
茂木さんの話で面白かったのは、林望から聞いたというケンブリッジ大学の入試で、「寒い湖に浮かんでいるアヒルの足は、なぜ冷たくないのか?」という類の問題(面接)に、3時間も付き合わなければいけないのだそうだ。これは関根勤クラスの妄想力。イギリスの大学は、シェイクスピアについての知識を習うところではなく、シェイクスピアについて、2時間でも3時間でも議論する(ロジカルに妄想する)力を養うところである、という表現に、なるほど、と思った。
創造力、癒し、他者を理解する基など、妄想の効用を語るのが本書の第一の主題とすれば、もうひとつの主題は、萩本欽一の師匠ぶりである。これもいろいろと興味深い。特に、TV番組『欽どこ』時代、小堺一機と関根勤には一切アドバイスをしなかったそうで、のちにその理由を聞いたら「小堺と関根は注意するとヘコむだろ」と言われたという。分かる、分かる。理屈ではなく、注意されたらヘコむ人間はヘコむので、そういう場合、師匠は何も言わないのが一番なのだ。こういう臨機応変な師弟関係って、まだどこかに残っているのだろうか。