見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

暴走せよ!/妄想力(茂木健一郎、関根勤)

2011-02-21 23:39:29 | 読んだもの(書籍)
○茂木健一郎、関根勤『妄想力』(宝島社新書) 宝島社 2009.9

 関根勤さんは、私の好きな芸人である。子供の頃は、テレビで見ていても、気持ち悪くて、つまらなくて嫌いだった。それが深夜ラジオを聞くようになったら、すっかりハマってしまった。あれは私が大人になったためか、それともテレビとラジオというメディアの差だったのか。たぶん本棚を探せば、ラジオ番組の企画本『ら゛』が、どこかに転がっているはずである。

 …というのも1980年代の話で、最近のテレビで見る関根さんは、「理想の父親」と持ち上げられたり、若手芸人の中にまじって、面白くもない平板なコメントを述べていたりする。でも本書を読むと、ところどころ、妄想芸健在を思わせる箇所があって面白かった。馬鹿だな~「関根勤がセロテープだったら」とか。そして、一度妄想を始めたら、とことん暴走させずにはおかないサディスティックな煽り役、盟友・小堺一機の存在の大きさを感じた。妄想の千本ノックとはよく言ったもの。ちょっと「ガキの使い」のコンビネーションにも似ているかしら。

 茂木さんの話で面白かったのは、林望から聞いたというケンブリッジ大学の入試で、「寒い湖に浮かんでいるアヒルの足は、なぜ冷たくないのか?」という類の問題(面接)に、3時間も付き合わなければいけないのだそうだ。これは関根勤クラスの妄想力。イギリスの大学は、シェイクスピアについての知識を習うところではなく、シェイクスピアについて、2時間でも3時間でも議論する(ロジカルに妄想する)力を養うところである、という表現に、なるほど、と思った。

 創造力、癒し、他者を理解する基など、妄想の効用を語るのが本書の第一の主題とすれば、もうひとつの主題は、萩本欽一の師匠ぶりである。これもいろいろと興味深い。特に、TV番組『欽どこ』時代、小堺一機と関根勤には一切アドバイスをしなかったそうで、のちにその理由を聞いたら「小堺と関根は注意するとヘコむだろ」と言われたという。分かる、分かる。理屈ではなく、注意されたらヘコむ人間はヘコむので、そういう場合、師匠は何も言わないのが一番なのだ。こういう臨機応変な師弟関係って、まだどこかに残っているのだろうか。
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良源から清盛へ/僧兵=祈りと暴力の力(衣川仁)

2011-02-21 00:41:01 | 読んだもの(書籍)
○衣川仁『僧兵=祈りと暴力の力』(講談社選書メチエ) 講談社 2010.11

 僧兵とは武装した僧侶のことであるが、かなり読み進んでから、「僧兵」という言葉が中世史料にはなく、江戸時代にようやく登場する造語であり、武士階級による武力の独占を達成した江戸幕府が、非武士による武力の保有を非難・蔑視する価値観が反映している、という説が紹介されている(黒田俊雄、1980年)。へえー知らなかった。さらに、近年のミカエル・アドルフソンの研究は、江戸期の”僧兵”イメージには、朝鮮出兵時に遭遇した朝鮮寺院武力の記憶が影響していることを論じているそうだ。これも面白い。韓国で俗離山(ソンニサン)法住寺を訪ねたとき、同寺が壬辰倭乱(文禄の役)の際、豊臣軍に対する抵抗の拠点となった歴史を聞いたことを思い出した。こうしてみると、私が小・中学校で習った日本史から、たかだか30~40年のうちに、ずいぶん常識が変わっているんだなあ、と感じた。

 というわけで、「僧兵」という言葉には留保が必要だとしても、中世寺院が、ある種の武力集団を内に抱え、寺院どうしの内部抗争を繰り広げたり、世俗権力への示威行動に使用したりしていたことは明らかである。本書は、中世の出発点を10世紀におく。この時期、「護法」の論理のもとで、寺院武力を正当化したのが、慈恵大師・良源だった。智証門徒と対立する慈覚門徒のさらに「傍流」から、延暦寺のトップに登りつめる良源の「豪腕」ぶりは興味深い。中世の史料によれば、延暦寺には「医方」「土巧」「算術」と並び、「兵法」が教えられていたという記述もあるそうだから本格的である。諸学の研究・伝承基地であったヨーロッパの修道院みたいだ。

 武力と同時に、呪術的な力(冥顕の力)を駆使し、宗教勢力の拡大に利用したのも良源である。私は、この人物、むかしから好きだったんだけど(角大師のお守り札、各種あつめている)、本書を読んで、いよいよ好きになった。

 武力+呪力を具備し、世俗権力に対して強訴をおこなう集団(=大衆、だいしゅ)の姿を、11世紀の史料は「六百人が大般若経、二百人が仁王経を携え、そのほか約二百人が甲冑・弓箭を着用していた」と描いている。経巻は武器(威圧の具)だったんだなあ。あと、異様な高声(大声)によって、人々を畏怖させたというのも面白い。大衆はしばしば神輿を担ぎ出したが、これも神威(冥顕の力)を視覚化する手段であった。そして、基本的には貴族社会も、冥顕の力に対する畏怖を共有していたのである。ところが、貴族ほどには冥顕の力を恐れない(と貴族には思われていた)のが、新興の武士階級であった。この点は、あまり詳しく論じられていないけれど、中世の新たな展開=武士の時代に向けて、興味深い視点を提起していると思う。

 ここで、当然、私の脳裡に浮かんだのは、『新・平家物語』の冒頭、日吉大社の神輿に矢を射る若き平清盛の図である。これは、どうやら史料では確認できない『新・平家』の創作らしい(だから本書にも取り上げられてはいない)。でも的確な創作と言っていいのではないか。ちなみに、覚一本『平家物語』には、清盛は良源の化身であるという伝説が収載されているとのこと(これは本書にあり)。因縁めいている。

※参考:大津市歴史博物館『元三大師良源-比叡山中興の祖-』
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