○保坂展人『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット) 岩波書店 2016.11
2016年7月、神奈川県の障害者施設「津久井やまゆり園」に元職員の男性が侵入し、重度の知的障害者を次々襲い、死者19人、施設職員を含めた重軽傷者27人となる事件が起きた。加害者は、事件の5か月前、衆議院議長公邸を訪れ、「障害者抹殺」を予告する手紙を、警備関係者に託したことが分かっている。
とにかく衝撃的な事件だったけれど、報道を騒がせたのは数週間ほどだったろうか。すぐにオリンピックや都知事選などの新しいニュースに掻き消されて、今では(まだ半年も経たないのに)人々の関心も薄れてしまったように思う。このタイミングで、本書が刊行される意味は大きい。著者のいうとおり、「事件そのもの」の全容は、これから時間をかけて解明されていくだろう。しかし「事件の波紋」の広がり方については、解明を待つよりも、今すぐ整理や反省を加えておく必要があると思われる。
この事件の特異性は、前述の手紙にある。加害者は「不幸を作ることしかできない」障害者の抹殺が「日本国と世界の為」であると考え、大島理森衆議院議長(と安倍総理大臣に)支援を願い出ている。根底にあるのは優生思想であり、個別のトラブルや怨恨に基づくものでないという点でヘイトクライム(憎悪犯罪)の特質を持つと著者考える。あらためて手紙のほぼ全文を読むと、錯乱や動揺はなく、理路整然と「首尾一貫した考え方」に基づいて述べているように見える。この手紙の内容を知った一部の人々、特に若者が、たやすく共感してしまう気持ちも分からないではない。
著者は、事件に対する反応として、知的障害の子どもを持つ親たちの会「全国手をつなぐ育成会連合会」の会長・久保厚子さん、障害のある子どもを持つ野田聖子さんの話を聞く。さらに障害者当事者の立場から、「自立生活センターHANDS世田谷」理事長の横山晃久さん、日本障害者協議会代表・きょうさんれん専務理事の藤井克徳さん、東京大学教授で全盲・全ろうの障害を持つ福島智さんの意見を紹介する。
横山さんが指摘する「施設の問題」「親の意識の問題」には、ひとことで言えない衝撃を受けた。「施設というのは特別な空間です。誰ひとり来ない。家族も友だちも来ない」と横山さんは言う。しかし障害者がそんな施設を出て暮らそうとすると、職員や家族に阻止される。障害者を社会から隔離し、見えない存在にしておきたいと思う親がいるのである。今回の事件で(一部を除き)被害者の名前が公表されなかったことについても、横山さん、藤井さんは批判的である。
しかしまた、この現実を知ってしまうと、加害者の手紙にある「保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」というのが、妄想や絵空事でないことが分かってつらい。いや、彼らに「疲れ切った表情」「生気の欠けた瞳」を強いているのは障害者の存在ではなく、原因は別にあると考えるべきだけれど。
本書の後半は、ナチス・ドイツの障害者安楽死計画(T4作戦)について。これもいくつかの点で衝撃的だった。第一に、ヒトラーが殺害を先導したのではなく、それ以前から優生思想が世界各国に広がり、劣悪な遺伝子を消すための断種が盛んに行われていたこと、第二に、20万人以上の障害者をガス室で殺害するにあたっては、医師や看護師が積極的・主導的な役割を果たしたこと、第三に、障害者殺害によって大量殺戮の手法を確立したことが、ユダヤ人の虐殺につながったこと、などである。
ドイツ精神医学・精神療法・神経学会の会長は、2010年にT4作戦の総括・謝罪談話を発表したことについて「自分の恩師が死に絶えてやっと言えた」と語ったそうである。ああ、人間ってこういうものだな、と絶望的な気持ちで共感する。だから戦後70年や80年で、戦争の総括は終わったとか、気軽に言ってはいけないのだ。
そして、T4作戦が開始後1年足らずで表向き中止されたのは、フォン・ガーレンというカトリック司教が勇気ある批判キャンペーンを行ったことによる(その後も非公式な殺害は続いたと見られる)。「皆さんも私も生産的なときにだけしか生きる価値はないのでしょうか」という告発は、今なお、というより、今の時代にこそ切実に必要とされている正義だと思う。
![](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41thV%2BEATkL._SL160_.jpg)
とにかく衝撃的な事件だったけれど、報道を騒がせたのは数週間ほどだったろうか。すぐにオリンピックや都知事選などの新しいニュースに掻き消されて、今では(まだ半年も経たないのに)人々の関心も薄れてしまったように思う。このタイミングで、本書が刊行される意味は大きい。著者のいうとおり、「事件そのもの」の全容は、これから時間をかけて解明されていくだろう。しかし「事件の波紋」の広がり方については、解明を待つよりも、今すぐ整理や反省を加えておく必要があると思われる。
この事件の特異性は、前述の手紙にある。加害者は「不幸を作ることしかできない」障害者の抹殺が「日本国と世界の為」であると考え、大島理森衆議院議長(と安倍総理大臣に)支援を願い出ている。根底にあるのは優生思想であり、個別のトラブルや怨恨に基づくものでないという点でヘイトクライム(憎悪犯罪)の特質を持つと著者考える。あらためて手紙のほぼ全文を読むと、錯乱や動揺はなく、理路整然と「首尾一貫した考え方」に基づいて述べているように見える。この手紙の内容を知った一部の人々、特に若者が、たやすく共感してしまう気持ちも分からないではない。
著者は、事件に対する反応として、知的障害の子どもを持つ親たちの会「全国手をつなぐ育成会連合会」の会長・久保厚子さん、障害のある子どもを持つ野田聖子さんの話を聞く。さらに障害者当事者の立場から、「自立生活センターHANDS世田谷」理事長の横山晃久さん、日本障害者協議会代表・きょうさんれん専務理事の藤井克徳さん、東京大学教授で全盲・全ろうの障害を持つ福島智さんの意見を紹介する。
横山さんが指摘する「施設の問題」「親の意識の問題」には、ひとことで言えない衝撃を受けた。「施設というのは特別な空間です。誰ひとり来ない。家族も友だちも来ない」と横山さんは言う。しかし障害者がそんな施設を出て暮らそうとすると、職員や家族に阻止される。障害者を社会から隔離し、見えない存在にしておきたいと思う親がいるのである。今回の事件で(一部を除き)被害者の名前が公表されなかったことについても、横山さん、藤井さんは批判的である。
しかしまた、この現実を知ってしまうと、加害者の手紙にある「保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」というのが、妄想や絵空事でないことが分かってつらい。いや、彼らに「疲れ切った表情」「生気の欠けた瞳」を強いているのは障害者の存在ではなく、原因は別にあると考えるべきだけれど。
本書の後半は、ナチス・ドイツの障害者安楽死計画(T4作戦)について。これもいくつかの点で衝撃的だった。第一に、ヒトラーが殺害を先導したのではなく、それ以前から優生思想が世界各国に広がり、劣悪な遺伝子を消すための断種が盛んに行われていたこと、第二に、20万人以上の障害者をガス室で殺害するにあたっては、医師や看護師が積極的・主導的な役割を果たしたこと、第三に、障害者殺害によって大量殺戮の手法を確立したことが、ユダヤ人の虐殺につながったこと、などである。
ドイツ精神医学・精神療法・神経学会の会長は、2010年にT4作戦の総括・謝罪談話を発表したことについて「自分の恩師が死に絶えてやっと言えた」と語ったそうである。ああ、人間ってこういうものだな、と絶望的な気持ちで共感する。だから戦後70年や80年で、戦争の総括は終わったとか、気軽に言ってはいけないのだ。
そして、T4作戦が開始後1年足らずで表向き中止されたのは、フォン・ガーレンというカトリック司教が勇気ある批判キャンペーンを行ったことによる(その後も非公式な殺害は続いたと見られる)。「皆さんも私も生産的なときにだけしか生きる価値はないのでしょうか」という告発は、今なお、というより、今の時代にこそ切実に必要とされている正義だと思う。