見もの・読みもの日記

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医学史と科学史と美術史/小田野直武と秋田蘭画(サントリー美術館)

2016-11-23 23:55:05 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画』(2016年11月16日~2017年1月9日)

 噂を聞いて、ずいぶんチャレンジングな展覧会だなあと思った。こんなマイナーなテーマでお客が入るんだろうかと心配したが、立地がいいのか、そこそこ入っていた。江戸時代半ばの18世紀後半、「秋田藩士が中心に描いた阿蘭陀風(おらんだふう)の絵画」ゆえに現在「秋田蘭画」と呼ばれている作品群の特集である。中心的な描き手である小田野直武(1749-1780)のほか、秋田藩主の佐竹曙山(1748-1785)、角館城代の佐竹義躬(1749-1800)などの作品を紹介する。

 秋田蘭画は、ひとことでいえば、かなりヘンな絵である。日本と中国と西洋が融和し切れずに共存しており、その結果、どこでもない幻想の風景が現れている感じがする。小野田の『不忍池図』(秋田県立近代美術館)は、湖畔に置かれた紅白の牡丹の鉢(と草花の鉢)を大きく描き、遠景に湖上の弁天堂と向こう岸の森がぼんやり見えている。凍りついたように静謐で、あまり生命を感じないのだが、牡丹のつぼみに小さな蟻がいるなんて気づいたことがなかった。

 風景画に比べると、人物画はかなりエキセントリックだ(嫌いではない)。微妙にリアリズム描写の佐竹曙山『蝦蟇仙人図』、安っぽいポスターのような田代忠国『三聖人図』など。後期(12/14-)展示の作者不詳の『関羽像』は、むかし見たことがあり、こんな江戸絵画があるのかと忘れがたかったものだ。古い名作絵本の挿絵のようでもある。

 小野田の写生帖や青年期の習作も面白かった。佐竹曙山の写生帖には、円山応挙展で見たのと同じ品種と思われる、赤と緑のツートンカラーのインコが描かれていた。佐竹曙山とは「博物大名つながり」のある細川重賢の『毛介綺煥(もうかいきかん)』は、オオカミ、マンボウからワニの剥製(紅毛人持来とある)まで、多彩な博物スケッチを貼り付けたもの。永青文庫所蔵というが、見た記憶がない。

 初めて認識したのは、平賀源内が秋田に招かれた(銅山開発のため)ことが、秋田蘭画を生み出したと考えられていること。のちに江戸に出た小野田直武は、杉田玄白らの『解体新書』の扉絵と挿絵を描く。源内が玄白に直武を紹介したと言われているそうだ。そして、源内の知人には南蘋派の画家・宋紫石もいた。展覧会冒頭に、関連人物の住まいをマッピングした江戸地図があって、杉田玄白と宋紫石が、同じ「日本橋通南4丁目」に住んでいたというのには、ほんとに息が止まるほど驚いてしまった。医学史とか科学史とか美術史とかを別々に考えているようだと、江戸の文化人ネットワークの全体が見えてこないのだな、と思った。

 石川大浪・孟高『ファン・ロイエン筆花鳥図模写』(秋田県立近代美術館)も興味深い。徳川吉宗はオランダ商館に5点の油彩画を注文し、うち2点が本所の五百羅漢寺(明治時代に目黒に移転)に下賜された。これはその1点を模写したものだという。縦2メートルを超す大幅で、原画もそのくらい大きかったのだろう。大きな花瓶に多種多様な花がうずたかく盛られており、床には木の実と果物、派手な羽色の鳥がそれをついばみ、花の間から顔をのぞかせている。オランダの植物画といえば、なんとなく原画の趣きは想像できる。こんな西洋画の大作が江戸の町中にあったというのも知らなかった。
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