〇国立劇場 人形浄瑠璃文楽 平成31年2月公演(2月2日)
・第1部『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)・石部宿屋の段/六角堂の段/帯屋の段/道行朧の桂川』(11:00~)
文楽2月公演の初日に行った。第3部の『壇浦兜軍記』に人気が集まっているが、あえて外して第1部と第2部を見てきた。『桂川連理柵』は菅専助作。桂川の川岸で38歳の男性と14歳の女性の遺体が発見された事件をもとにしている。プログラムの解説を読んだら、江戸時代の内から、実は殺人事件だったという説もあるそうだが、年の離れた男女の心中物として親しまれてきた人気曲である。
信濃屋の一人娘・お半は、伊勢参りの帰り、石部宿(滋賀県湖南市)の宿屋で、隣家の帯屋長右衛門と同宿する。その晩、丁稚の長吉に言い寄られて怯えるお半を、長右衛門は「子供のことだから」と思って一つ布団に入れてやったのが過ちの始まり。もともと、お半は「隣りのおじさん」長右衛門を憎からず思っていたのだが、長右衛門には全くそんな気がなかったのに、ひょんなことから男女の関係になってしまう。むかしは分からなかったが、このへんの人情の機微が、何ともリアル。二人の関係を知った長吉は、腹いせに長右衛門の預かり物の脇差を盗み出す。
お半は身重になり、長右衛門との仲が人々の噂にのぼるようになる。長右衛門の妻・お絹に横恋慕する儀兵衛は、この醜聞をネタにお絹に言うことを聞かせようとするが、機転を利かせて長右衛門の窮地を救う。報われないけど、カッコいい女性だ。単なる貞女ではなく、内心の葛藤を包み隠したような御高祖頭巾姿が印象的。
やがて帯屋にお半が忍んで来る。転寝する長右衛門にお半が「長右衛門様、おじさん」と、か細い声で呼びかけるのは原作のセリフの一部改変だそうだ。「おじさん」の危険な色っぽさ(近代的な感性かな?)。長右衛門は早く帰るように促すが、お半が落としていったのは死を決意した書き置き。長右衛門は後を追う。「道行朧の桂川」の幕が上がると、桂川を背景に、お半をおんぶした長右衛門。「白玉か何ぞと人の咎めなば露と答えて消えなまし、物を思ひの恋衣、それは昔の芥川、これは桂の川水に、浮き名を流すうたかたの、泡と消えゆく」というこの歌詞。ああ、これは江戸の伊勢物語(芥川)なのだ、と痺れる。追手の気配を感じ、心中を決意したところで幕。
クライマックスの帯屋の切は、咲太夫と燕三。今回は下手の端の席だったが、咲太夫さんの語りはよく聴こえて、物語に入り込めた。人形が、前半は出遣いでなく頭巾・黒衣で遣っていたのは、近頃めずらしいような気がした。
・第2部『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)・大経師内の段/岡崎村梅龍内の段/奥丹波隠れ家の段』(14:30~)
近松門左衛門作。京都烏丸通り四条下ルの大経師(暦の頒布を許された特権的な商家)の妻おさんが、手代茂兵衛と関係し、処刑された事件に基づくもの。冒頭に「すでに貞享元年甲子の十一月朔日」という詞章があって、あ、新しい暦の頒布でてんやわんやしているというのは貞享暦か!と気づく。
大経師以春の妻・おさんは、実家の父親のため金策の必要に迫られており、手代の茂兵衛に相談する。茂兵衛は引き受けて店の金を用立てしようとするが、手代の助右衛門が見つけて騒ぎ立てる。すると下女の玉が、自分が頼んだことだと罪をかぶって事をおさめる。玉は以前より茂兵衛に思いを寄せていたが、茂兵衛はつれなくあしらっていた。一方、大経師以春は、たびたび玉の寝所に忍び込むなど、無理に言い寄っていた。いや、江戸時代の生活、怖いわ。雇い主から奉公人へのセクハラなんて普通だったんだろうな。第1部の『桂川連理柵』は、奉公人が主人の娘に暴行を働こうとした話だし…。
玉の話を聞いたおさんは、身代わりに玉の寝所で休むことにする。夫の以春が忍んできたら懲らしめるつもり。一方、茂兵衛は、自分を助けてくれた玉の思いに応えようと、その寝所へ忍び込む。そして二人は暗闇の中、人違いから過ちを犯してしまう。以春が帰宅し、差し入れられた行灯の光で真実を知り、茫然とする二人。この「大経師内の段」は舞台の使い方にも変化があって面白い。
次の「岡崎村梅龍内の段」は、玉の伯父・赤松梅龍やおさんの両親が登場し、口では厳しく責めながら、生きのびてほしいと願う人情が聞かせどころ。現代人にはちょっと冗長の感もあり。「奥丹波隠れ家の段」は、茂兵衛の故郷の奥丹波に隠れ住む二人のところに正月の門付け万歳がまわってくる。おさんを見て、大経師の奥さんだと言い出す万歳。それやこれや、ついに役人たちがやって来て、二人を捕えて引き立てていく。しかし、おさん茂兵衛は奥丹波でひと月くらいは過ごせたのだろうか。犯した罪に怯えながらも水入らずの生活は楽しかったか、いろいろなことを考えてしまう。
『桂川連理柵』は伊勢物語だったが、これは冒頭に自由気ままに走りまわる猫(三毛)が登場し、「それは昔の女三の宮、これはおさんの当世女」という詞章がある。こちらは源氏物語。文学の伝統って面白いなあ。
東京公演のプログラムは、児玉竜一先生の「上演作品への招待」が面白いのだが、「鑑賞ガイド」のページもあり、1つの作品の解説が2箇所に分かれてしまっているのはなんとかならないものか。
・第1部『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)・石部宿屋の段/六角堂の段/帯屋の段/道行朧の桂川』(11:00~)
文楽2月公演の初日に行った。第3部の『壇浦兜軍記』に人気が集まっているが、あえて外して第1部と第2部を見てきた。『桂川連理柵』は菅専助作。桂川の川岸で38歳の男性と14歳の女性の遺体が発見された事件をもとにしている。プログラムの解説を読んだら、江戸時代の内から、実は殺人事件だったという説もあるそうだが、年の離れた男女の心中物として親しまれてきた人気曲である。
信濃屋の一人娘・お半は、伊勢参りの帰り、石部宿(滋賀県湖南市)の宿屋で、隣家の帯屋長右衛門と同宿する。その晩、丁稚の長吉に言い寄られて怯えるお半を、長右衛門は「子供のことだから」と思って一つ布団に入れてやったのが過ちの始まり。もともと、お半は「隣りのおじさん」長右衛門を憎からず思っていたのだが、長右衛門には全くそんな気がなかったのに、ひょんなことから男女の関係になってしまう。むかしは分からなかったが、このへんの人情の機微が、何ともリアル。二人の関係を知った長吉は、腹いせに長右衛門の預かり物の脇差を盗み出す。
お半は身重になり、長右衛門との仲が人々の噂にのぼるようになる。長右衛門の妻・お絹に横恋慕する儀兵衛は、この醜聞をネタにお絹に言うことを聞かせようとするが、機転を利かせて長右衛門の窮地を救う。報われないけど、カッコいい女性だ。単なる貞女ではなく、内心の葛藤を包み隠したような御高祖頭巾姿が印象的。
やがて帯屋にお半が忍んで来る。転寝する長右衛門にお半が「長右衛門様、おじさん」と、か細い声で呼びかけるのは原作のセリフの一部改変だそうだ。「おじさん」の危険な色っぽさ(近代的な感性かな?)。長右衛門は早く帰るように促すが、お半が落としていったのは死を決意した書き置き。長右衛門は後を追う。「道行朧の桂川」の幕が上がると、桂川を背景に、お半をおんぶした長右衛門。「白玉か何ぞと人の咎めなば露と答えて消えなまし、物を思ひの恋衣、それは昔の芥川、これは桂の川水に、浮き名を流すうたかたの、泡と消えゆく」というこの歌詞。ああ、これは江戸の伊勢物語(芥川)なのだ、と痺れる。追手の気配を感じ、心中を決意したところで幕。
クライマックスの帯屋の切は、咲太夫と燕三。今回は下手の端の席だったが、咲太夫さんの語りはよく聴こえて、物語に入り込めた。人形が、前半は出遣いでなく頭巾・黒衣で遣っていたのは、近頃めずらしいような気がした。
・第2部『大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)・大経師内の段/岡崎村梅龍内の段/奥丹波隠れ家の段』(14:30~)
近松門左衛門作。京都烏丸通り四条下ルの大経師(暦の頒布を許された特権的な商家)の妻おさんが、手代茂兵衛と関係し、処刑された事件に基づくもの。冒頭に「すでに貞享元年甲子の十一月朔日」という詞章があって、あ、新しい暦の頒布でてんやわんやしているというのは貞享暦か!と気づく。
大経師以春の妻・おさんは、実家の父親のため金策の必要に迫られており、手代の茂兵衛に相談する。茂兵衛は引き受けて店の金を用立てしようとするが、手代の助右衛門が見つけて騒ぎ立てる。すると下女の玉が、自分が頼んだことだと罪をかぶって事をおさめる。玉は以前より茂兵衛に思いを寄せていたが、茂兵衛はつれなくあしらっていた。一方、大経師以春は、たびたび玉の寝所に忍び込むなど、無理に言い寄っていた。いや、江戸時代の生活、怖いわ。雇い主から奉公人へのセクハラなんて普通だったんだろうな。第1部の『桂川連理柵』は、奉公人が主人の娘に暴行を働こうとした話だし…。
玉の話を聞いたおさんは、身代わりに玉の寝所で休むことにする。夫の以春が忍んできたら懲らしめるつもり。一方、茂兵衛は、自分を助けてくれた玉の思いに応えようと、その寝所へ忍び込む。そして二人は暗闇の中、人違いから過ちを犯してしまう。以春が帰宅し、差し入れられた行灯の光で真実を知り、茫然とする二人。この「大経師内の段」は舞台の使い方にも変化があって面白い。
次の「岡崎村梅龍内の段」は、玉の伯父・赤松梅龍やおさんの両親が登場し、口では厳しく責めながら、生きのびてほしいと願う人情が聞かせどころ。現代人にはちょっと冗長の感もあり。「奥丹波隠れ家の段」は、茂兵衛の故郷の奥丹波に隠れ住む二人のところに正月の門付け万歳がまわってくる。おさんを見て、大経師の奥さんだと言い出す万歳。それやこれや、ついに役人たちがやって来て、二人を捕えて引き立てていく。しかし、おさん茂兵衛は奥丹波でひと月くらいは過ごせたのだろうか。犯した罪に怯えながらも水入らずの生活は楽しかったか、いろいろなことを考えてしまう。
『桂川連理柵』は伊勢物語だったが、これは冒頭に自由気ままに走りまわる猫(三毛)が登場し、「それは昔の女三の宮、これはおさんの当世女」という詞章がある。こちらは源氏物語。文学の伝統って面白いなあ。
東京公演のプログラムは、児玉竜一先生の「上演作品への招待」が面白いのだが、「鑑賞ガイド」のページもあり、1つの作品の解説が2箇所に分かれてしまっているのはなんとかならないものか。