〇上村剛『アメリカ革命:独立戦争から憲法制定、民主主義の拡大まで』(中公新書) 中央公論新社 2024.8
このところ仕事が忙しくて読書レポートが書けていなかったが、11月5日の大統領選挙より前に読み終えていたものである。現実の選挙結果のインパクトが重くて、本の内容を忘れてしまいそうになったが、気を取り直して書いてみる。
アメリカ革命とは、アメリカ合衆国の始まりを意味する。具体的には、植民地時代を前史とし、独立戦争、独立宣言(1776年)から連邦憲法制定会議を経て、帝国化と民主化が拡大する1840年代までの約70年間(その先に1860年代の南北戦争がある)を本書は記述する。
むかし中高の授業では、イギリスからの植民者たちは、本国政府の圧政と重税に怒って立ち上がり、めでたく独立を勝ち得たというストーリーを学んだ。そんなに単純でないことにはうすうす感づいていたが、本書は、見過ごされてきた多くの複雑な視点を教えてくれる。たとえば、アメリカ大陸には、スペイン、フランス、オランダなど、イギリス以外の国々からやってきた植民者もいたこと。イギリス系の植民者にも王党派(イギリスからの独立に反対した)など、さまざまな政治的立場の人々がいたこと。さらに先住民や奴隷の存在も忘却されてきた。
そうしたゴタゴタの状態で独立戦争に勝利したアメリカだが、戦後処理は前途多難で(領土は拡大したが、統治の仕組みが行き渡らず、歳入を得る権限も脆弱)内部崩壊の危機にあった。その唯一の解決策として期待されたのが連邦憲法の制定だった。著者によれば、政治思想史的には、立法者は一人のカリスマであるべきなのに「立法者たち、つまり多くの人間が基本法の制定に関わったにもかかわらず、それでも国家運営が軌道に乗った」ことがアメリカの面白さであるという。確かに4ヵ月に及ぶ会議での、意見の対立(北と南、大邦と小邦)、駆け引き、妥協の顚末は大変おもしろい。案がまとまったあとも、署名を拒否する委員がいたり、各邦の批准会議での論戦というドラマが続く。
そして、ついに憲法が批准されるが、成文憲法が書かれたのは「世界においてほぼ前例のない革新的な出来事である」という指摘も重要だと思った。成文憲法のある国家って、わずか200年ちょっと前に生まれたものなのだな。アメリカ建国者たちは、引き続き憲法の運用、実践という新たな問題に立ち向かっていく。連邦憲法の主眼は、いかに野心を持った邪悪な政治家が登場しても、それを抑えられるような統治機構を確立する点にあったという(いまこの箇所を再読すると背筋が凍る思いがする)。同時に、新たな憲法体制は、初代大統領ワシントンの振舞いを先例とすることで確立された面もある。ワシントンは独立戦争で起死回生の反撃を成功させた軍事の才もあったみたいで、本書でかなり興味が湧いた。
新生アメリカ合衆国では新聞や世論が発達し、民主政(デモクラシー)が徐々に肯定的に捉えられるようになった(建国当時は、むしろ共和政のほうが評価されていた)。一方、ワシントン政権がスタートした1789年にはフランス革命が起こり、国際情勢が国内政治の党派対立を激化させた。また、「内なる他者」先住民の排斥・隷属化には、公的主体だけでなく、利益を求める民間の商人たちも加担した。このように初期のアメリカを「帝国」として理解することは、従来の近代史理解に見直しを迫るものでもある。「実は独立後のアメリカがやっていたことはイギリスの帝国政策の再来」にすぎない、という指摘にも考えさせられた。
最終章、1800年代前半で全く知らなかったのは1812年戦争(第二次米英戦争)。カナダには王党派のイギリ人が多く移住していたが、アメリカ軍はカナダの首都(現・トロント)に攻め込み、焼き払った。カナダ側には、カリスマ的な指導者テムカセが指揮する先住民部族の連合軍がついていたが、アメリカ側も対立する先住民の軍隊を組織した。ああ、こういう先住民部族の軍事利用って東アジアだけではないのだな。
最終的にアメリカは欧州列強から外交的独立を果たし、内政においては、今なお世界のモデルと見做される民主政治体制を確立する。表面的には見事なサクセスストーリーだが、その影の部分を見落としてはならないだろう。