〇加島美術 『小早川秋聲-無限のひろがりと寂けさと』(2019年8月31日~9月16日)
日曜日、テレビをつけたら日曜美術館で『鳥取県・日野町/日南町へ 小早川秋聲のふるさとを行く旅』が流れていて、少し前にこのひとの絵がSNSに流れてきたことを思い出した。そうだ、東京で展覧会が始まるんだった、と思い出して、さっそく行ってきた。会場の加島美術には、一度だけ行ったことがある。私は「見るだけ」の人なので、コレクターのお客様が集うギャラリーに行くと場違いも甚だしいのだが、そうも行っていられない。
今回、加島美術では40点の作品を展示。前後期で展示替えがあるので、一回で見られるのは30点程度か。小早川秋聲(1885-1974)は大正から昭和中期に活躍した日本画家で、従軍画家として戦争画を多く描いた。私がSNSで見たのも、彼の代表作の戦争画『國之楯』だった。日曜美術館(途中から見た)でも、兵士の日常を描いた多くの絵葉書が紹介されていたので、戦争画ばかり残した画家のイメージを持って、展覧会の会場に行った。
そうしたら、1階ギャラリーの入口に飾ってあった作品は、全く違った。あれ?これは小早川じゃないのか?と疑って確かめたら、やっぱり彼の作品だった。そのあと、ギャラリーの中へ観客を導く数枚の作品も、明るく牧歌的な、あるいは平明で爽やかな色調の風景画などだった。そして、油断して振り返った瞬間に、ギャラリーの一番奥の、舞台のような空間に飾られた代表作『國之楯』が目に入る。
大きな作品だ。暗闇に横たわる、ほぼ等身大の軍服の兵士(正確には将校)。手袋をはめた両手を胸の前で組み、腰には日本刀を横たえる。頭部は寄せ書された日の丸で覆われている。兵士は肌を一切見せず、没個性の木偶のようでもある。頭部にはまるで仏菩薩のような円光がかすかに見える。高貴で荘厳でもあり、グロテスクでもあって、相反する感情がいろいろ湧き上がってくる。
ただ会場では、この作品に行く前に左隣の壁に掛けられていた『日本刀』から私はしばらく目が離せなかった。軍服の男が、少し崩した胡坐をかいて、鞘を払った日本刀を眺めている。近代兵士の機能と効率重視の軍装(したがってあまり美しくない)姿でと、無駄な力の抜けた体勢と日本刀の角度の美しさの対比に惚れ惚れしてしまった。
展示は2階に続き、仏画、歴史画、水墨山水、巴里のサーカス団、青空に鯉のぼりなど、多様な題材、多様な技法で描いた作品が現れる。屏風画『薫風』は、梅の木の根元に座る白い髭の老人を描く。ウェブサイトに掲載された画像を見ると六曲一双の右隻で、左隻には鶴が描かれている。鶴と梅を愛した文人・林和靖だろうか。梅の木は、幹をまだらにしている白い苔のようなものが花よりも目立つ。華やかで個性的で、高い絵具をずいぶん贅沢に使っているように思う。そして、いろいろな作品を見たが、どんな題材を描いても品があるのがいいなと思った。
展覧会で売っていた画集『秋聲之譜』(米子プリント社、2000年)を買ってきたが、今回の展示図録ではないので『薫風』のように図版が掲載されていないものもあるのは残念。鳥取県日野郡の日南町美術館は、地元ゆかりの画家として小早川秋聲の作品を集めているという。頭の下がる活動だなあ。ぜひいつか、一度行ってみたい。加島美術の後期にも都合をつけて行く予定。
※9/8補記 後期展示も見てきた。『薫風』は左隻に変わっていた。梅の木の下に首を低くして立つ鶴。これはこれで綺麗だが、なんだか寂しくて物足りない。頭の中で先週見た右隻を想像して組み合わせると、落ち着く感じがした。ギャラリーの方が「(左右並べるには)展示室の広さが足りなくて」とおっしゃっていた。「個人蔵なんですか?」と聞いたら「そうですね」とのこと。なかなか見られない作品を見ることができて幸運だった。