見もの・読みもの日記

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西遊記と明の挿絵本/東洋学への誘い(金沢文庫)

2019-09-15 23:51:51 | 行ったもの2(講演・公演)

神奈川県立金沢文庫 特別展『東京大学東洋文化研究所×金沢文庫 東洋学への誘い』(2019年7月20日~9月16日)+連続講座「東洋学への誘い」第5回「明代における『西遊記』の出版と流伝」(9月15日)

 東京大学東洋文化研究所(東文研)が所蔵する漢籍善本、敦煌遺書、キジル壁画、東方文化学院東京研究所旧蔵資料など約100点と、金沢文庫が保管する国宝『文選集注』や漢籍の利用を伝える鎌倉時代の古文書などをあわせて公開する。 7月から行こう行こうと思っていたのだが、結局、会期最後の週末になってしまった。

 展示の大半は漢籍(仏典を含む)だった。というか、仏典多いなあという印象を持った。宋版くらいでは驚かないが、南北朝以前(5世紀)の『大般涅槃経』には驚いた。字のかたちが唐の写経とは明らかに違った。いわゆる漢籍としては、論語の版本各種、『文選』(令和の元ネタである「帰田賦」の箇所を開けてあった)、宋刊本『咸淳臨安志』など。書籍の専門家がかかわっているだけあって、刊行者、伝来、旧蔵者、版面の見どころなど、展示キャプションが素晴らしく的確だった。分冊ものは、旧蔵者印のある巻頭と、刊行者情報のある巻末を開いて展示するなど、配慮が行き届いていた。

 また漢籍の通俗文学本も多数。有名な『西遊記』や『三国志』に混じって、知らないタイトルもあって、気になった。中国関係は、ほかに貨幣、瓦当、古写真など。『清朝東陵全図』は懐かしかった。キジル、ホータン、トルファンなど西域関係の壁画片や立体の人物像もあった。あとは西アジア関係の写本が少々で、現在の東文研の研究領域からすると、ちょっと展示品が偏っている気がしたが、やっぱり歴史的には中国学の比重が高いのだろうか。

 この日は展示を見たあと、連続講座の第5回(最終回)「明代における『西遊記』の出版と流伝」(東文研・上原究一先生)を聞いた。せっかくなので、私が聴き取ったことをメモしておく。『西遊記』は作者不詳の物語で、明代に百回本という形態が成立した。『西遊記』の明刊本は8版15本が現存する。(A)世徳堂本系:(1)世徳堂本(2)熊雲浜補修本(3)楊致和本?(簡本)(4)楊閩斎梓行。(B)李卓吾本系:(5)丙本(6)丁本(7)閩斎堂本(8)甲本。なお(9)番目として李卓吾乙本を含める説もあるが、講師は乙本は清初刊と考える。

 8版15本のうち7版13本までが、中国ではなく日本に伝来している。通俗文学の中でも、明刊本の中国伝来の比率がこれだけ低い作品は異例であるそうだ。明刊本なんて軽く見ていたが、ずいぶん大事な伝本もあるのだと再認識した。あと世徳本は南京(金陵)で刊行されたが、その後(2)(3)(4)は福建省の武夷山南麓にある建陽で出版されている。建陽は、南京・杭州と並ぶ明代の三大刊行中心だったのだそうだ。版木(木材)や水が豊富だったことが幸いしているという。今は全く面影はないのかしら。行ってみたい。

 それから通俗文学本の挿絵について。明初は双面連式(見開き2ページを連結)で力強く画面の黒っぽいものが多いが、万暦後半(1590年代後半~)の版面は白っぽく、卵型の顔で体形のスリムな人物が多くなる。鳥居清信から鈴木晴信みたいだなあと一人で納得していた。さらに天啓以降(1620年代~)になると、風景描写に力が入り、人物は小さく描くようになる。また手間のかからない短面式が増える。一方、上図下文方式は、元代から建陽の出版物に多い。なお、挿絵の芸術性は明末がピークで、清刊本の挿絵はショボいのだそうだ。

 また、王少淮など、名前の判明している画工もおり、上元王氏という出版の職人集団がいたらしい。講師は、上元王氏の中で、たとえば「馬に乗って逃げる」などの図像が共有され、異なる作品にも使いまわしされていることを指摘していたが、前近代の絵画職人としては当たり前のような気がする。しかし、中国絵画を見るといえば、やはり肉筆画が中心になるので、挿絵や版画の流行や技術革新についての知識も頭に入ると、面白いだろうと思う。

※参考:wikipedia「西遊記の成立史」

※東京大学人文社会科学研究科・文学部:博士論文データベース『「百回本『西遊記』の成立と展開 ―書坊間の関係を視野に―』(上原究一)

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