見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

心の闇の美しさ/文楽・菅原伝授手習鑑、冥途の飛脚、他

2021-02-17 22:51:05 | 行ったもの2(講演・公演)

国立劇場 令和3年2月文楽公演

・第2部『曲輪文章(くるわぶんしょう)・吉田屋の段』『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)・寺入りの段/寺子屋の段』(2月6日、13:50~)

 素人にも親しみやすい名作狂言が多い2月文楽公演。緊急事態宣言の発令もあって、本当に公演が行われるのか半信半疑だったが、無事に開催されて何よりである。座席は、最前列など一部を空席にしていたが、1つ置きは止めて、びっしりお客を入れていた。もちろんマスクは必須、ロビーでの飲食は不可、会話はお控えくださいというアナウンスが繰り返されていたが、このくらいの対策なら許容できる。

 『曲輪文章』は伊左衛門が咲太夫、夕霧が織太夫、端役の男が咲寿太夫で、師弟勢ぞろいが豪華だった。咲太夫さん、声の高さ(細さ)が耳について、低音の聴きどころがなかったように思う。曲のせいだろうか。物語は、伊左衛門の魅力が全然分からないのであまり好きではない。

 『菅原』は久しぶりに聴いた。いつ以来だろうと思ったら、2014年4月の住太夫引退公演以来だった。寺入りに続き、寺子屋の段は、前を呂太夫と清介、後を藤太夫と清友。私は小学生のとき、家にあった「少年少女世界の名作文学全集」の日本編でこの物語を読んだ記憶がある。主君の嫡男を救うため、我が子を身代わりに差し出すというストーリーは、子供ながらに衝撃だった。身代わりになる小太郎が、黙って自分の運命を受け入れた(と語られる)こと、松王丸と女房が「見事じゃ」と我が子の覚悟を称賛しながら悲しみにくれるという、人情の複雑さが強く印象に残っている。その後、大学生の頃に小松左京の短編『闇の中の子供』を読んだときも、「寺子屋」という物語の不気味さと、人間の業の深さを感じた。

 そんなあれこれを思い出していたので、義理と人情の板挟みになる松王丸に同情して、ほろりと貰い泣きしながら、こういう不気味な物語をいつまでもエンタメとして消費していいものか、ちょっと居心地の悪い気持ちになった。

・第3部『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)・淡路町の段/封印切の段/道行相合かご』(2月11日、17:30~)

 本公演でいちばん見たかったのは第3部。この演目は何度見てもよいのだ。淡路町の奥を安定の織太夫と宗助。封印切を千歳太夫と富助。千歳さんは、あまり声を張らない世話物を語るときが好き。勘十郎の忠兵衛は、ふわふわと落ち着かない感じがよい。しかし、自分が物語を知っているせいかもしれないが、封印切の場面では、切るぞ切るぞという気構えが外に現われ過ぎな感じもする。むかし、先代の玉男さんの舞台を見たときは、人形の忠兵衛も、人形を遣っている玉男さんも無表情なのに、その懐から、いきなり小判がチャリンチャリンとこぼれ落ちたことに息を呑んだのである。

 考えなしで軽はずみな恋人の巻き添えになった梅川こそ、いい面の皮であるが、救われない二人の道行は美しくて大好物だ。近松の狂言は残酷だなあと思いながら堪能した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする