〇国立歴史民俗博物館 国際企画展示『加耶-古代東アジアを生きた、ある王国の歴史-』(2022年10月4日~12月11日)
楽しみにしていた展覧会なので、さっそく見てきた。企画趣旨によれば、加耶(かや)とは、日本列島の古墳時代と同じ頃、朝鮮半島の南部に存在した国々をいう。単数の「国」ではないことに注意したい。本展は、大韓民国国立中央博物館の全面的な協力のもと、約220点の資料を展示し、加耶のなりたちから飛躍、そして滅亡までの歴史を明らかにする。日本国内で加耶の至宝が一堂に会して展示されるのは30年ぶりだという。30年前に何があったのか、調べてみたら、1992年に東博で『伽耶文化展-よみがえる古代王国』(京博、福岡市博を巡回)が開催されていた。いや全然、覚えていない。韓国史には全く興味がなかった頃かな…。
展示室に入ると、最初に目に飛び込んでくるのは赤茶色の鉄製の短甲(4世紀)。両胸に蕨手(渦巻)の文様を張り付ける。そのほかにも、大刀、冑、馬冑、鐙、鉄斧、鉄鋌など、多様な鉄製品が並ぶ。馬の顔に被せる馬冑は、中国ドラマの古装ファンタジーに登場する鉄騎軍団を思い出させた。気になって中国周辺の騎兵の歴史を調べてみたら、金(女真族)には重装騎兵がいたのだな。それから、勾玉のかたちの鉄片をたくさん取り付けた鉄鋌も面白かった。棒の先に指して、儀器として用いたものと考えられている。
加耶の基盤は豊かな鉄にあり、特に金官加耶では、製鉄や鉄器製作の工房に関する遺跡が数多く確認されているという。会場では、加耶諸国の遺跡の様子がスライドショーで紹介されていたが、金官加耶の王陵である金海市の大成洞古墳群には、私は2008年に行ったことがあって、懐かしかった。どんな山の中の遺跡かと思ったら、大きな団地のそばだったことはよく覚えている。
土器は、透かし孔を配するなど複雑な形状のものが多かった。銅鏡や水晶の頸飾り、金製品も出土している。先の尖ったしずく型の耳飾りは「大加耶系」のデザインとみなされていて、日本国内でも出土例があるそうだ。
4世紀、加耶諸国の中心であった金官加耶は、海港を通じて中国や倭と活発な対外交易を行っていた。しかし高句麗の一時的な侵攻によって金官加耶は衰退していく。5世紀には、内陸の大加耶が急速に成長し、中国南斉に使者を送り、官爵号を受ける(南斉、ええと梁武帝に滅ぼされる王朝か)。6世紀に入ると百済・新羅が強国化し、562年、加耶諸国は新羅の攻勢により滅亡した。なお『新撰姓氏録』には、百済国人の後裔として「加羅氏」の記載がある。
また、慶尚南道の山清生草古墳群(6世紀前半)には、倭でつくられた須恵器と鏡を副葬した古墳があるそうだ。この地に定着した倭人が、倭の葬送儀礼にのっとって埋葬されたのではないかという解説が興味深かった。これは、たまたま墓所が発見された事例だが、同じように海を渡って、異国の土に葬られた人々は、たくさんいたのだろうなと想像した。