見もの・読みもの日記

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共生の未来を描く/「移民国家」としての日本(宮島喬)

2023-01-22 23:01:33 | 読んだもの(書籍)

〇宮島喬『「移民国家」としての日本:共生への展望』(岩波新書) 岩波書店 2022.11

 移民に関する本を読むのは、望月優大『ふたつの日本』(講談社現代新書、2019)以来だと思う。望月さんも本書の著者も、外国人労働者を「人」として受入れ、共生社会を目指そうという方向性は同じで、共感できるものだった。

 はじめに、コロナ禍を除く過去5年間(2014-2019年)の日本の新規外国人入国者数(観光などの短期滞在者を除く)は年平均で約43万人に上ることが示される。推計によれば、在留外国人は300万人を超えており、(1998年の資格要件緩和を受けて)「永住者」資格を持つ外国人も百数十万人に達している。ちなみに現在、一般永住者の数は特別永住者(在日コリアン)の倍以上になっているという。日本は、生産人口の減少に伴う労働力不足を大きな要因として、もはや実質上の「移民受入れ国」になっているのだ。

 外国人労働者の受入れは、1989年の改正入管法によって90年代に急激に増大した。しかしこのとき、日本政府の方針は曖昧で「単純労働者は受け入れない」と言いながら、技能実習生を実質的な単純労働者として、法的な保護もきちんとした日本語教育プログラムもなく、斡旋業者を介して受入れるなど、「フェア」と言えない点が目立った。

 「研修」「技能実習」などの在留資格者は家族を呼び寄せることが認められていない(短期滞在を想定した資格だから、という理由である)。その他の在留資格の場合でも、経済能力が証明できないと家族帯同は認められない。呼び寄せた妻子に働いてもらえばよさそうなものだが、「家族滞在」の在留資格だと十分に働くことができない(就労時間に制限がある)のだそうだ。短期の低コスト労働力は欲しいが、外国人の定住はなんとしても阻止したいという(日本政府の?財界の?)鉄の意思を感じる。

 ヨーロッパでは、キリスト教的な背景から、結婚を誓った男女(夫婦)が一体で生きることは神聖な義務かつ権利とされ、家族が一体で生活することは基本的な人権だとする見方があるそうだ。ただしこの「家族」は夫婦と子供が基本単位である。日本の入管行政でも、在留資格の「家族滞在」は配偶者と子供に限られているため、年取った親を呼び寄せたいという希望が、なかなか叶わないという。アジア的な家族観に基づく配慮があってもいいのではないかと思った。

 入管当局(≒日本政府)の基本的な考え方は、日本における外国人の権利は、入管法で定められた在留資格の範囲内で認められるとするものだ。この影響を受けて、入管法に違反した外国人は、どのように扱われても文句をいうべきでない、と考える日本人は多い。私も、心情的には不法滞在や不法就労の外国人に同情しつつも、やっぱり法律違反だし…と考えることはあった。しかし、入管法を最上位に置くことで、労働法、社会保障諸法、地方自治法などを停止させ、基本的人権(たとえば労働の権利、教育を受ける権利、家族で生きる権利)を剥奪することが本当に正しいか?という問い直しが、あってよいということを本書から学んだ。

 難民についても同様である。日本では難民申請者の認定審査は出入国在留管理庁が行うが、難民条約の諸規定を固守し「難民」の定義の狭い解釈になりがちだという。アメリカ、フランス、ドイツなどは、自国の憲法や前文に「自由のために活動し迫害を受けた者に庇護を与える」等の理念をうたっており、条約に狭くとらわれない難民の解釈を示すという。ああ、もし日本国憲法を改正するなら、こういう文言を入れてほしい。あと、「友好国」の国民に対しては、政治的判断から難民認定しにくいというのは、分かるけれどなんとかならないものか。

 2015-16年に、ドイツは100万人を超える大量のシリア難民を受け入れたことで社会的混乱を招き、当時のメルケル首相に対する批判が高まったが、数年後には経済界や地方自治体から、受け入れた難民が欠かせない人材、労働力になっているという声が聞かれるようになったという。もちろん言語教育や職業訓練などの支援あっての賜物だろうけれど、日本もこのくらい大胆な移民受入れと統合の努力をしないと、国力の衰退は回避できないのではないかと思う。

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