見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

華南というフロンティア/越境の中国史(菊池秀明)

2023-01-16 23:17:58 | 読んだもの(書籍)

〇菊池秀明『越境の中国史:南からみた衝突と融合の三〇〇年』(講談社選書メチエ) 講談社 2022.12

 中国と呼ばれる地域は、とにかく広大で多様である。本書は、多くの日本人にとって、あまり馴染みのない地域「華南」(福建省、広東省とその周辺)の17~19世紀について叙述する。華南における中華世界の拡大と、その結果生まれたさまざまな衝突と融合の過程を読み解くことは、いま、中国周辺地域(香港、台湾、国内の少数民族および近隣諸国)が直面している問題を理解するのに役立つと著者が考えるためである。

 中国が多様な民族の衝突と融合によって形成されてきたことは、いろいろな文献を読んで徐々にイメージできるようになった。だが、古い時代については、いわゆる北方騎馬民族と漢民族との衝突・融合が主である。宋代以降、華北と江南がそれぞれ特色ある文化圏として成立するに従い、華南が江南に代わるフロンティアとなっていく。しかし清朝末期の太平天国の乱で否応なく華南に目が向くまで、この地域で何が起きてきたかは、知らないことばかりだった。

 福建には4~6世紀から、広東は10~13世紀から漢人の移住が始まり、閩南人、潮州人、広東人、客家人などの言語集団が形成された。18世紀、爆発的な人口増が起きると、華南の人々は広西と台湾に向かった。広西にやってきた漢人移民は、チワン族やヤオ族などの先住民を雇って開墾を推し進め、広西は広東の内地コロニーの様相を呈した。台湾の漢人は閩南人(福建系)が多かったが、移民の流入の繰り返しによって、現在では複雑な他民族社会となっている。移民たちは、様々な生業に並行して取り組む行動様式(搵食=ワンセック)で危機を回避し、成功のチャンスをつかもうとした。ある程度生活が安定すると、科挙合格者を出したり、官職を購入(公的な売官制度があった)して、移民の中から地域のリーダーとなる有力宗族(客籍)が育っていく。

 一方、先住の土着民(土人)にも、漢人の上昇戦略を学び、科挙エリートを目指したり、公共事業に積極的に取り組む人々が出てくる。そして階層上昇に挫折すると、もともと漢人移民の相互扶助組織であった天地会などの異姓結拝組織に加わる者が増えた。いろいろ省略しているけれど、このへんの混沌とした社会、武器による実力行使(械闘=かいとう)の風潮を背景として、清末には太平天国の動乱が始まるのである。

 ページ数は少ないが、本書は台湾の械闘についても触れている。著者いわく、日本人は現在の台湾について、穏やかで親切な人々が暮らす成熟した市民社会というイメージを持っているが、当時(19世紀前半)の台湾は違った。巨大な資本を有する閩南人の商業移民とその労働力となった下層移民、あるいは閩南人と客家、閩南人と原住民などが、複雑で激烈な衝突を繰り返している。

 結論を急いでしまえば、中国というのは、つねに熾烈な競争をかかえた社会なのだ。人々はふつうに生きるために、不断に移動し、変化し、越境し続けなければならない。国家が膨張を望むというよりは、そういうメカニズムが埋め込まれた社会なのだと思う。日本にとっては全く心やすまらない話であるが。そして18世紀の人口爆発が、移動と越境のプッシュ要因であるとしたら、これから人口減によって中国社会は少し変わるのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする