〇戸森麻衣子『仕事と江戸時代:武士・町人・百姓はどう働いたか』(ちくま新書) 筑摩書房 2023.12
歴史的に見れば、絶えず変化してきた人々の働き方。本書は、現代日本人の働き方の源流を江戸時代に求める。その前提として、中世においては、人々が自ら選んだ仕事に従事し、その労働に対して報酬を受け取るという働き方は一般的ではなかった。ある程度の裁量権を持つ自立的な商人・職人・農民は生まれていたが、給金や現物による報酬を介することなく、力による支配を受けて種々の労働に従事する人々が多かった。江戸時代には、人身売買や隷属関係が縮小し、貨幣制度の発展によって、本格的な雇用労働の時代が始まる。
以下、本書は諸身分における「働き方」を順番に紹介していく。はじめに武士階級の旗本・御家人の場合。旗本の上層部は知行取で領地を与えられたが、それ以外は年俸を米で受け取る蔵米取で(米を現金化して生活する)、御家人の最下層はすべて現金で受け取る給金取だったとか、蔵米の受取方法、換金方法、多様な副業(傘張り・版木彫り・植木作り・金魚の養殖)や役得(職場の消耗品を持ち帰る!)など、細やかで具体的な説明がある。
次に足軽・中間・小者などの武家奉公人。江戸での武家奉公人需要の高まりを受けて、人宿(ひとやど)という斡旋業者が成立する。人宿に登録して仕事を求めたのは貧困都市住民や出稼ぎ百姓だった。しかし奉公人の欠落(かけおち≒逃亡)などのトラブルに悩んだ大名屋敷側は、大事な仕事を任せる奉公人には、江戸からさほど遠国でなく大きな藩の存在しない土地(信濃・上総・下総など)で実直な百姓を採用するようになった。逆に短期の軽い仕事には、パート・アルバイトと割り切って人宿を使うようになったというのが面白い。
武士身分は、家格に応じた役職をつとめることが基本だった。しかし江戸時代中期になると、幕府でも藩でも経済的な政策を立案できる人材が必要となってくる。このほか、医学・農学・土木など専門知を極めた町人や百姓が、一時的に、または一代限りの「非正規」の者として武士集団に組み入れられた。しかし幕政改革も19世紀以降の急激な対外危機の高まりには対応できず、武家官僚制は終焉を迎える。
武士役人の働き方については、勤務時間、出勤の管理方法、手当と賞与、採用と退職など、詳細な記述があり、今の裁量労働制に近いという説明は理解しやすかった。在宅勤務もあったみたいだし。袴代・筆墨代・夜食代など、意外と諸手当が行き届いていてうらやましい。通勤は徒歩か馬なので、高齢になると働き続けにくい、というのは納得。
次に町人について。江戸の町人の就業形態で最も多いのは自営業主(職人・振売)、次いでパート・アルバイト(奉公人・召仕など)で、現代のような正規雇用の労働者はごく一部しかいなかった。大店の奉公人は安定した身分だったが、店に住み込むことが原則なので、家族を持つことができず、ほとんどが独身男性だった。逆に、特殊な技術を持たない者が店に通勤する「日雇」は、給金は低いが家族と暮らすことができた。経済的な豊かさと家族との暮らしを両立させるには、自分で店を開くか職人の親方層になることが必要だったという。なかなか厳しい社会である。
最後に百姓。「百姓」とは「村」に住民登録された居住者全てを指すが、本書は農村を中心に述べる。農村地域の労働形態を把握するには、租税制度に対する理解が不可欠で、特に建前と実態の乖離をよく理解する必要がある。たとえば五公五民というけれど、一面に稲を植えるのでなく、より商品価値の高い作物を植えて収穫した場合、あるいは、あぜ道や空き地など検地帳に掌握されていない場所で作物を育てた場合、その収入は百姓のもうけとなるので、実質的な徴収率は50%より下ることが多いのだという。知らなかった! 商品作物(紅花、藍、綿花、茶など)は収穫時期・時間に制限のあるものが多く、規模が大きくなると家族労働では対応できないので、「手間取り」などの日雇労働が必要になる。零細な水呑百姓は、豪農の下で日雇稼ぎをすることで生活を成り立たせた。また農業以外の副業(農間余業)には、草履草鞋小売渡世・糸繰渡世・水車渡世(粉ひき)・大工渡世など、さまざまな業態があった。私は、歌舞伎や文楽の登場人物を思い浮かべて、ああ、あれは〇〇渡世だな、と納得した。
このほか、女性(奥女中、乳母、遊女屋)、輸送・土木分野、漁業・鉱山業についても記述がある。とにかく情報が豊富で、江戸時代の暮らしについての解像度が上がることは間違いない。最後に著者は、江戸時代の働き方が、明治以降どのように変わったかにも注意を促している。「家」と「個」が切り離され、働き方に「個」の要素が強まったことは、プラスの面だけでなくマイナスの面もあるという、ありきたりの結論だが、本当のところ、何が変わって何が変わらなかったかは、ゆっくり考えてみたいと思った。