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源平合戦をあらためて読む/源頼政と木曽義仲(永井晋)

2015-10-02 15:42:48 | 読んだもの(書籍)
○永井晋『源頼政と木曽義仲:勝者になれなかった源氏』(中公新書) 中央公論新社 2015.8

 治承4年(1180)5月の以仁王の挙兵から元暦2年(1185)3月の壇ノ浦の戦いにいたる源平合戦(治承・寿永の乱)は、平氏の滅亡によって終結する。著者は、この戦いを平氏から源氏への単純な権力移行と見るのではなく、標題の二人の武士を通じて、当時の複雑な政治的背景を読み解くことを試みている。

 記述は保元・平治の乱のさらに以前から始まる。頼政の属する摂津源氏が、和歌の教養と辟邪(魔除け)の術に長け、大内守護(御所の内廷の警固)にふさわしい武家という評価を得ていたのに対し、武勇一辺倒の河内源氏(為義-義賢-義仲)は、朝廷・公家の十分な信任を得ることができす、摂関家の武力として勢力を維持するのが精一杯だったことが語られ、鳥羽院政~保元・平治の乱~平清盛の全盛期へと進む。ドラマや小説で何度も親しんできたストーリーだが、語り手が変わると新たな発見があって楽しい。

 鳥羽院が、有能な事務官、地方が生み出す冨を京都に集める国司を積極的に登用することで、統治の安定と空前の繁栄を実現していた点は、あらためて認識した。保元・平治の乱以後、政局は、二条天皇親政派(旧鳥羽院政派)と後白河院政派に分かれる。武家は、前者に源頼政、後者に平清盛がつく。前者は、二条院の崩御によって解体し、その残党は、鳥羽院&美福門院の遺産を継承した天皇家最大の資産家・八条院の御所に出仕するようになる。後白河院の子である以仁王が八条院で養われたのは、旧二条天皇親政派によって「皇位継承を狙う候補」として取り込まれたと見られている。このように、著者は各勢力の「政治的な意志・企図」を重視しているのがとても面白い。

 平清盛は、権力の絶頂に至っても、敢えて京都の武力を独占せず、意図的に源頼政を優遇した。洛中警固を平氏が独占してしまえば、何か問題が起きたとき、責任も平氏が全て追わなければならない。源平並び立つ形式を取ることによって、最終責任は天皇ないし院に預けることができる。鋭い! 用心深い政治家だなあ。「平家物語」に描かれた、横暴な独裁者とは全く異なる人物像が浮かび上がってくる。

 謎の多い以仁王の挙兵について、著者は、以仁王に挙兵の意図はなく、平氏が風聞をきっかけに以仁王の排斥に動き出したと考えている。平氏によって追捕使に任ぜられた頼政は以仁王に合流するが、宇治合戦で敗れる。

 以仁王の令旨をきっかけに(=大義名分として)伊豆では頼朝、信濃では義仲が挙兵した。義仲は破竹の進撃で都に向かうが、注目すべきは、この時期、後白河院が頼朝と接触していたことだ。平氏政権の次を考え、頼朝を後白河院側の武家として帰順させようとしたのである。義仲と組まなかったのは、義仲が以仁王の遺児北陸宮を擁立していたことにもよる。院は皇位継承問題は、断然自分で制御するつもりだった。この後白河院の活躍というか暗躍ぶり、見事である。九条兼実によると、後白河院は平宗盛を呼び、昔のように源氏と平氏が並び立って王家を守護してはどうかと持ちかけた。しかし宗盛は、亡父清盛の遺言や一門の主戦派を慮って、院の提案を拒絶した。「清盛の遺言に従った宗盛の判断は、平家の人々を滅亡へと導く要因のひとつとなったのである」と著者はいう。この宗盛の判断によって、平氏は政治的な復活の機を逸し、代わりに日本文学上に金字塔を打ち立てることになるのだなあ。

 入京後の義仲は、田舎者ぶりをさらして京都の人々の笑いものになったと「平家物語」は伝えているが、著者は、急速に京都の文化を学んだ義仲が、田舎者であることを逆手にとって、有利な交渉をおこなったと考える。たとえば後白河院の使者の猫間中納言に、箸をつけられないような田舎料理を出すことで、話に応じない意思をあらわすなど。この見方は、目からウロコのようで非常に面白い。しかし義仲は、聡明な策略家であるより、やっぱり剛毅木訥な田舎侍のほうがいいなあ。粟津松原の「木曽の最期」が好きすぎて、そう思ってしまう。

 なお後白河院が、義仲の推す北陸宮を退けて、尊成親王(のちの後鳥羽院)を即位させるべく、神意を尋ねる占いを実施したにもかかわらず、神祇官たちが院の意向を読み損ねて、そのどちらでもない親王を奏上したという話には笑ってしまった。全く空気の読めないやつらだなあ。それから、この時期の情勢を兼実が「三国史の如し」と評しているのも興味深い。東の頼朝、京の義仲、西の平氏である。義仲の京都制圧は、一瞬のエピソードのように語られがちだが、当時の人々はもう少し違った感じ方をしていたように思う。

 著者は神奈川県立金沢文庫を経て、現在は神奈川県立歴史博物館にお勤めの学芸員。そのせいもあってか、主に京都や西国が舞台と思っていた「平家物語」の登場人物たちに、いろいろ東国とのゆかりがあることが分かったのも面白かった。頼政は父仲正が下総国国司に赴任するとき、同行しているのかー。義仲の生地はいまの埼玉県比企郡嵐山町で、一時ここに通勤していたことがある。機会があれば、また訪ねてみたい。

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