見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

地域史の証言/慶珊寺と富岡八幡宮の名宝(金沢文庫)

2025-03-04 22:41:11 | 行ったもの(美術館・見仏)

神奈川県立金沢文庫 特別展『慶珊寺と富岡八幡宮の名宝-『大般若経』が語る中世東国史-』(2025年2月7日~3月23日)

 横浜市金沢区に位置する富岡八幡宮と、その別当寺であった慶珊寺(けいさんじ)に関する特別展。東京下町の住人としては、富岡八幡宮と聞けば深川の八幡様しか思い浮かばないので、横浜にも同じ名前の八幡宮があることを初めて知った。

 慶珊寺は真言宗御室派で、寛永元年(1624)に領主の豊島明重(としま あきしげ)が両親の菩提を弔うために建立した寺だという。本展の見どころのひとつは慶珊寺が所蔵する多数の仏像。十一面観音半跏像(鎌倉時代、院誉作)は、いわゆる遊戯坐の像容で、たっぷりと襞を寄せた衣の裾から曲げた右足の足先を見せる。右手は体の横の座面に突き、左手は膝の上に置く。大きな耳たぶと耳の穴が目立つ。優雅だが慶派の作風で、伸ばした背筋が凛として美しい。明治の神仏分離の際、鶴岡八幡宮十二坊から移されたと伝わる。

 隣りには阿弥陀如来立像(平安時代)。抑揚のない棒立ちで、衣の襞の彫り込みが薄く、つるっとして素朴な印象。解説には藤原風とあった。その隣りには愛染明王坐像(江戸時代)。もとは鎌倉・覚園寺にあり、往古の作と考えられていたというが、逆立つ髪の大仰な表現など、近世の作というのが妥当だと思う。

 全く下調べをせずに行ったので、展示の冒頭から「大般若」が繰り返し注目されている理由が分からず、戸惑ってしまった。実は慶珊寺には、中世の大般若経六百巻が所蔵されており、現在でも転読会が行われているのだ(江戸時代には富岡八幡宮の神前で行われていた)。大般若経を収蔵していた唐櫃(と思われるもの)が展示されていたのも面白かった。ちなみに大般若転読については、足利義詮の御教書が残っていたり、後白河法皇が命じたと伝わっていたりする。

 慶珊寺の大般若経は、正中2年(1325)武将の藤原貞泰が寄進したもの、足利尊氏の発願による智感版、さらに後世増補されたものの複合体らしい。そして各巻の奥書には、寄進、書写、補写、修補などに当たった人々の事蹟が記録されており、女性の名前(〇〇比丘尼)も見られる。なるほど、こういうところから中世東国の地域史・信仰史を考えることができるのだな。金沢文庫は2021年から東京大学史料編纂所と共同で、全点撮影と調査研究を実施しているのだそうだ。

 このほか、近代の富岡に関する資料も面白かった。富岡に別荘を構えていた三条実美が、荒木寛畝に描かせたという『富岡別荘図巻』を見ると、松島海岸みたいな景勝地だったようだ。明治や大正の古写真から、金波楼という割烹旅館があったことを知る。地元有志が出資したもので、明治の元勲たちに人気だったという。慶珊寺に伝わる「外国人家族旅寓札」にヘボン、エルドリッジの名前があったのにも驚いた。

 もう1点、富岡八幡宮所蔵の『八幡神像』(安土桃山時代)は、類例を思い出せなくて印象に残った。白い衣(内衣は赤)の束帯姿、赤っぽい靴を履き、手に弓矢を持つ。二本の矢は鏑矢ではないかと思う(鏑矢は八幡神の縁起物)。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 樹木の精霊たち/魂を込めた... | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

行ったもの(美術館・見仏)」カテゴリの最新記事