○張予思『革命とパンダ:日本人はなぜ中国のステレオタイプをつくりだすのか』 イースト・プレス 2015.11
著者の張予思さんは1986年生まれ。東京大学学際情報学府で、2013年に修士号を取得し、現在はテレビ朝日報道局で働いているそうだ。本書は著者の修士論文がもとになっているので、文体は硬い。硬い印象をやわらげようとしたのか、妙にポップな装丁を用いているのが不似合いで、かえって読みにくかった。これは編集者への苦言。著者の指導教官は吉見俊哉先生で、巻末に4ページほどの解説を書いている。
2009年に来日した著者は、日本に充満する「嫌中」の嵐にさらされつつ、賢明にも、その中心にあるのは「中国そのものではなく、中国に対するステレオタイプである」ことを見抜いている。ステレオタイプは認識の負担を軽減する重要手段であって、それ自体、非難されるべきものではない。著者は日本社会における「中国イメージ」(ステレオタイプ)の変遷について考察し、60年代は「革命」、70年代は「パンダ」というキーワードを選び取った。
60年代は、世界中で学生運動と資本主義批判がブームとなり、中国の革命(この場合、文化大革命)に希望を抱く知識人や運動家が多かった。日本でも知識人や大学生は中国の革命に好感を抱いた。もちろん自民党の佐藤政権は、革命中国にぼんやりした悪のイメージを感じていたし、日本共産党は、いろいろな事情(比較的、革命の実態を知り得た)から文革には批判的だった。唯一、社会党は中国の社会主義を見習う理想を掲げたが、日本社会での影響力は衰退していく。
その一方、全共闘学生にとって革命中国はユートピアであり、毛沢東は最後まで(学生運動の季節が終わるまで)ヒーローだった。1969年1月15日の「国際新報」(大阪の新聞らしい)には、東大正門に毛主席の肖像を描いた布が掲げられた写真が載っている。おお! 著書『北京をつくりなおす』で、天安門の毛沢東の肖像画について論じた美術史家のウー・ホン氏は、このこと知っているかなあ。教えてあげたい。左右の門柱には「造反有理」「帝大解体」の文字。私は、何度か東大正門をくぐったことがあるが、こんな時代もあったのだなあ。
当時の日本知識人の革命中国讃美論を読むと、文革の実態は日本に届いていないのかと思っていたが、それなりの取材がされていたことを初めて知った。1966年10月の「サンデー毎日」には「大宅考察組の中共報告」と題して、大宅壮一、藤原弘達ら7人の作家・評論家の現地レポートが掲載されており、「ラッキョウ革命(むいていくと何も残らない)」や「ジャリ(子供の)革命」など文革を痛烈に批判している。ただし、この取材は例外的で、ほかの週刊誌は、紅衛兵の可愛い女子をグラビアで取り上げたりしていたというから、牧歌的なものだ。どちらにしても、60年代の革命中国のユートピアイメージは、ごく限られた日本人にしか共有されなかったと思う。私は、幼かったこともあるけれど、まわりに大学生も社会運動家もいなかったので、一切記憶がない。
一方、70年代のパンダブームは強く印象に残っている。72年10月のパンダ来日から程ない時期に、たぶん上野動物園に見に行ったと思う(私は小学生だった)。本書には、当時の新聞や週刊誌の記事がたくさん引用されていて面白かった。1973年の「別冊 相撲」という雑誌に、「パンダの国」を訪れた大相撲力士の写真が掲載されているが、当時、相撲が好きだったから、この雑誌も見てるんじゃないかな。天安門前で、毛主席の肖像が肩の間に来るように、並んで記念写真を撮る二人の力士の図。
歴史をさかのぼると、パンダは、1930年代にはすでにヨーロッパとアメリカで展示され、ブームを巻き起こしていた。黒柳徹子さんがパンダに関心を持ったのは、この時期、叔父がアメリカから買って来たパンダのぬいぐるみがきっかけであるそうだ。中国から寄贈されたパンダは、必ずその国の首都で飼育・展示された、というのも面白かった。72年12月の総選挙では、自民党がパンダをシンボルにかかげ、バッジを売り出したり、候補者のポスターに使ったりした。最近の自民党=中国嫌いを思うと隔世の感があって、ほんと面白い。パンダは、丸く愛らしい姿とのんびりした動作から、平和な動物のイメージが定着しているが、実は「中国の動物園では、パンダが人を襲う例は少なくない」と著者はさりげなく書いている。この「平和な動物」もひとつのステレオタイプなのである。私はすっかり忘れていたが、中国から来たパンダが、沖縄から送られたサトウキビを喜んで食べている、という報道が当時あった。「中国」「沖縄」という戦争の記憶を消し去る「平和」のシンボルとしてのパンダを、日本の大衆は見たかったのだろう。
蛇足だが、本書を読んでから、私はいつパンダという動物を知ったのか、をずっと考えている。雑誌『an an』(アンアン)は1970年刊行で、表紙に小さくパンダのイラストが入っているが、小学生の私が見ていたとは思えない。パンダって、いつから普通の日本人に知られていたのだろう?
そして、今日、たまたま上野の松坂屋に寄ったら「パンダショップ」のイベントで、1972年にパンダのランラン、カンカンが初来日したときの「檻」が特別展示されていた。へえ~ちゃんと保存されていることに感心した。
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2009年に来日した著者は、日本に充満する「嫌中」の嵐にさらされつつ、賢明にも、その中心にあるのは「中国そのものではなく、中国に対するステレオタイプである」ことを見抜いている。ステレオタイプは認識の負担を軽減する重要手段であって、それ自体、非難されるべきものではない。著者は日本社会における「中国イメージ」(ステレオタイプ)の変遷について考察し、60年代は「革命」、70年代は「パンダ」というキーワードを選び取った。
60年代は、世界中で学生運動と資本主義批判がブームとなり、中国の革命(この場合、文化大革命)に希望を抱く知識人や運動家が多かった。日本でも知識人や大学生は中国の革命に好感を抱いた。もちろん自民党の佐藤政権は、革命中国にぼんやりした悪のイメージを感じていたし、日本共産党は、いろいろな事情(比較的、革命の実態を知り得た)から文革には批判的だった。唯一、社会党は中国の社会主義を見習う理想を掲げたが、日本社会での影響力は衰退していく。
その一方、全共闘学生にとって革命中国はユートピアであり、毛沢東は最後まで(学生運動の季節が終わるまで)ヒーローだった。1969年1月15日の「国際新報」(大阪の新聞らしい)には、東大正門に毛主席の肖像を描いた布が掲げられた写真が載っている。おお! 著書『北京をつくりなおす』で、天安門の毛沢東の肖像画について論じた美術史家のウー・ホン氏は、このこと知っているかなあ。教えてあげたい。左右の門柱には「造反有理」「帝大解体」の文字。私は、何度か東大正門をくぐったことがあるが、こんな時代もあったのだなあ。
当時の日本知識人の革命中国讃美論を読むと、文革の実態は日本に届いていないのかと思っていたが、それなりの取材がされていたことを初めて知った。1966年10月の「サンデー毎日」には「大宅考察組の中共報告」と題して、大宅壮一、藤原弘達ら7人の作家・評論家の現地レポートが掲載されており、「ラッキョウ革命(むいていくと何も残らない)」や「ジャリ(子供の)革命」など文革を痛烈に批判している。ただし、この取材は例外的で、ほかの週刊誌は、紅衛兵の可愛い女子をグラビアで取り上げたりしていたというから、牧歌的なものだ。どちらにしても、60年代の革命中国のユートピアイメージは、ごく限られた日本人にしか共有されなかったと思う。私は、幼かったこともあるけれど、まわりに大学生も社会運動家もいなかったので、一切記憶がない。
一方、70年代のパンダブームは強く印象に残っている。72年10月のパンダ来日から程ない時期に、たぶん上野動物園に見に行ったと思う(私は小学生だった)。本書には、当時の新聞や週刊誌の記事がたくさん引用されていて面白かった。1973年の「別冊 相撲」という雑誌に、「パンダの国」を訪れた大相撲力士の写真が掲載されているが、当時、相撲が好きだったから、この雑誌も見てるんじゃないかな。天安門前で、毛主席の肖像が肩の間に来るように、並んで記念写真を撮る二人の力士の図。
歴史をさかのぼると、パンダは、1930年代にはすでにヨーロッパとアメリカで展示され、ブームを巻き起こしていた。黒柳徹子さんがパンダに関心を持ったのは、この時期、叔父がアメリカから買って来たパンダのぬいぐるみがきっかけであるそうだ。中国から寄贈されたパンダは、必ずその国の首都で飼育・展示された、というのも面白かった。72年12月の総選挙では、自民党がパンダをシンボルにかかげ、バッジを売り出したり、候補者のポスターに使ったりした。最近の自民党=中国嫌いを思うと隔世の感があって、ほんと面白い。パンダは、丸く愛らしい姿とのんびりした動作から、平和な動物のイメージが定着しているが、実は「中国の動物園では、パンダが人を襲う例は少なくない」と著者はさりげなく書いている。この「平和な動物」もひとつのステレオタイプなのである。私はすっかり忘れていたが、中国から来たパンダが、沖縄から送られたサトウキビを喜んで食べている、という報道が当時あった。「中国」「沖縄」という戦争の記憶を消し去る「平和」のシンボルとしてのパンダを、日本の大衆は見たかったのだろう。
蛇足だが、本書を読んでから、私はいつパンダという動物を知ったのか、をずっと考えている。雑誌『an an』(アンアン)は1970年刊行で、表紙に小さくパンダのイラストが入っているが、小学生の私が見ていたとは思えない。パンダって、いつから普通の日本人に知られていたのだろう?
そして、今日、たまたま上野の松坂屋に寄ったら「パンダショップ」のイベントで、1972年にパンダのランラン、カンカンが初来日したときの「檻」が特別展示されていた。へえ~ちゃんと保存されていることに感心した。
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