見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2024年10月関西旅行:竹生島宝厳寺ご開帳

2024-10-14 21:54:15 | 行ったもの(美術館・見仏)

 先週は職場のイベントやあれやこれやで多忙を極めた。私的な時間が全く取れなかったわけではないのだが、ブログを書く気力が残っていなかった。そんな状態だったが、三連休はかねてからの計画によって、関西方面で遊んできた。今回の最大の目的は、開創千三百年記念・竹生島宝厳寺観音堂本尊秘仏御開扉(2024年10月12日~10月21日)である。実は、5月には辯才天堂の本尊秘仏大弁才天の御開扉(2024年5月18日~27日)があったのだが、行き逃してしまった。今月は観音堂本尊・千手観世音菩薩の御開扉である。私は2009年に西国三十三所の特別御開扉があったときに拝観しており、好きな観音さまなのでお会いしたかったのだ。

 1週間前くらいに計画を固めて、長浜から観光船に乗ろうと思ったら、希望の便が全て埋まっていて慌てた。彦根発のオーミマリンは幸い余裕があったので、12:00発の便を予約した。連休初日、東京から名古屋、米原で乗り継いで10:00頃に彦根駅着。時間に余裕があったので、彦根城博物館にちょっと立ち寄ってみる。

彦根城博物館 テーマ展『金のきらめき-輝きの日本美術-』(2024年10月2日~11月4日)

 仏画や金地屏風など、多様な作品が展示されていたが、印象に残ったのは能装束。白地に金糸で文様を縫い取ったものや、装束全体に金糸を織り込んだものなど豪華絢爛。それから井伊家の大旗(馬印)も赤地に金の「井」の字が映える。彦根は好きな町なので、もっとゆっくりしたいなあと思いながら、この日はこれだけ、

 再び彦根駅に戻って、11:30発の無料シャトルバスで彦根港へ。待っていたのは赤備え船「直政」!これは井伊家推しとしてはテンションが上がる。ホームページによれば、2017年の大河ドラマ『おんな城主直虎』の縁で改装されたらしい(写真は竹生島港にて)。広々した湖面には青空と雲の林が映って、夢のように美しかった。

厳金山宝厳寺(滋賀県長浜市)

 竹生島に到着。確か、港から宝厳寺の本堂まで長い石段を登るんだよなあ…という記憶はあったものの、こんなにしんどいとは覚えていなかった。最後は手すりにすがりつくようにして登った。あとで案内チラシを見たら165段あるとのこと。

 階段を登り切ると本堂(弁才天堂)の横に納経所がある。以前、ものすごく並んだ記憶があるのだが、今回はそれほど混雑していなかった。観音堂開扉を目指して来たので「大辯才天」と「千手観音(大悲殿)」のご朱印をいただく。しかし、実は観音堂ではこの期間だけの限定御朱印も頒布しているのでよく考えたほうがよいかもしれない。

 さらに短い石段を登って、三重塔と宝物館を拝観。次は石段を下って、華やかな唐門の前に出る。この奥が観音堂である。

 「唐門」「観音堂」「舟廊下」は、2013~2019年度に檜皮屋根の全面葺き替え・彩色塗り直しなどの修理保存事業が行われたそうで、目に鮮やかで美しかった。「長浜市シルバー人材センター」の蛍光色のジャンパーを着たおじいちゃんが自慢げに話してくれた。

 秘仏観音は、外陣から遠目に拝することもできるが、特別拝観料1,000円を払うと内陣に入れてもらえる。等身大の大きな観音様だが、お厨子の扉が上半分しか開かない(?)ので、腰から下は見ることができない(観音の身の丈はお厨子の扉よりも大きい。つまりお厨子は像が安置された後、その周りを取り囲むように築造されたと考えられている)。それでも前回(2009年)は、上半身はよく見えた記憶があるのだが、今回はお厨子の内部に錦の幔幕が垂れており、残念ながらお姿が見づらかった。厚みのある体躯、みなぎる力強さは、六波羅蜜寺のご本尊を思わせ(前回も同じことを書いている)私の好きなタイプの観音像である。

 解説のお坊さんが「岩の上にお立ちになっていると言われています」と言っていたのも気になった。竹生島、深い湖底から立ち上がる独立峰のような地形も独特だし、いろいろ面白い。

 舟廊下を渡って、竹生島神社(都久夫須麻神社)にも参拝した。名物のかわらけ投げは若者や外国人旅行客で賑わっていた。

 次の秘仏ご開帳予定は2037年とのこと。13年後か。シルバー人材センターのみなさんは「ぜひまたいらしてくださいね、我々は無理だけど」と笑っていらしたけれど、いやー次回も本堂までの石段を登れるくらいの健康と筋力を保っていられるかな、私…。

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2024都会のヒガンバナ

2024-10-06 20:53:20 | なごみ写真帖

今年も近所の小学校のまわりにヒガンバナが咲いた。東京近郊では9月中旬~下旬が見ごろの花だと思っていたので、10月に花を見るのは、少し遅い気がする。真夏のような猛暑がいつまでも続いていたので、そのしわ寄せを受けているのかもしれない。

これは門前仲町駅そばの植え込みで見たもの。日本のヒガンバナは種を作らず、分球で増えるらしいのだが、誰かが植えたのだろうか?

10月に入って、かなり仕事が立て込み気味だが、10月も11月も関西旅行の予定を入れているので、それを糧に頑張りたい。

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紫式部日記絵巻も特別公開/一生に一度は観たい古写経(五島美術館)

2024-10-05 21:13:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 館蔵・秋の優品展『一生に一度は観たい古写経』(2024年9月3日~10月14日)

 今期は『紫式部日記絵巻』の特別展示(10月5日~14日)を待っていたので、今日、ようやく行ってきた。展示室1がかなり混んでいたので、順番を変えて、展示室2から見ることにした。おそらく『紫式部日記絵巻』は展示室2に出ているのだろう、と思っていたのだが、予想は外れた。

 展示室2は、大東急記念文庫創立75周年記念特集展示・第2部「絵巻・絵本」と題して19件を展示する(ちなみに同特集展示・第1部「古文書・古記録」は、今年5月11日~6月16日に行われた。このときはメインの展示が近代日本画だったので見逃してしまった)。大東急記念文庫、漢籍や国書の稀覯本のイメージが強かったのだが、実は近世文学・江戸資料に優れているのだな。それにしても、美麗でサイズの大きい奈良絵本をたくさん持っていて驚いた。奈良絵本は、絵画史的には特に注目もされていないのだろうけれど、このこってりした濃彩の美学が、どこから来てどこへ流れていくのかには興味がある。また文学作品としても「くまのの本地」「おたかのほんち(ものぐさ太郎)」「十二段草子」等々、どれもストーリーがぶっとんでいて面白い。いまどきの中国ドラマの古装ファンタジーに匹敵するんじゃないかと思う。『北野天神縁起絵巻断簡(弘安本)』は「菅公贈位」と「銅細工娘受福」を見ることができた。

 あらためて展示室1に戻って古写経を見ていく。奈良時代の写経では『金光明最勝王経』に目が留まる。奥書に「大周長安三年」「三蔵法師義浄」が「長安西明寺」で制作したという漢訳の事情が記されており、そのまま写されていた。長安3年(703)は則天武后の晩年にあたるとのこと。漢訳に携わった僧侶の名前は「沙門〇〇寺△△」という形式で記されているが、一部「婆羅門」と書かれた者もいた。『中阿含経 巻三十四』には「善光」という朱印(枠無し、古様な字体)があり、法華寺の寺主であった善光尼ではないかと推測されている。

 平安時代の写経では、埼玉県・慈光寺伝来の『大般若経』。奥書に阿倍小水麻呂という人物が災害や悪疫の除去を願って奉納したとあるが、発願者の事蹟は不明で、ただ写経だけが伝わっているのが奥ゆかしい。『紺紙金字観普賢経(平基親願経)』は、見返し絵が着彩。常闇のような紺色を背景に二菩薩(普賢と観音?)が歩いている。ほかに眷属も連れず、舞い散る蓮弁などの装飾もないので、なんだか寒々しい孤独を感じる。これは、慶応義塾(センチュリー赤尾コレクション)所蔵とあった。もう1点、同じ「平基親願経」で、紺紙に雅楽の胡蝶に扮した童子二人を描いたもの(東京国立博物館所蔵)も並んでいた(こっちは、かつて「夢石庵コレクション」展で見ているようだ)。写経の本文は平基親の自筆と見られ、写経生や能書家と異なる素朴な(自然な)文字が並ぶ。

 鎌倉時代の写経では『華厳経(高山寺尼経)』の存在を初めて知った。承久の乱で処刑された貴族の妻たちが明恵を頼って高山寺に集まったのを機縁として善妙寺(この名前!)という尼寺が設けられたらしい。明恵の入寂後、善妙寺の尼たちが追善のために華厳経を書写したもの。幅の狭い冊子(粘葉装?)で、変わったかたちをしていた。

 肝腎の『紫式部日記絵巻』は、展示室のいちばん奥に展示されていた。五島本は、大正9年(1920)に森川勘一郎(如春庵)が発見した巻子本の一部で、全5段の第1、2、4段目にあたる。第5段目は森川家を経て、現在は個人蔵。第3段目は、益田鈍翁を経て、現在は東博所蔵。残りの3段分は、戦後、高梨家を経て五島美術館が収蔵することになったという。展示は原本の詞書・絵画に、加藤純子氏による現状模写も並べてあって、細部まで味わうことができた。何度も見ている作品なのだが、やっぱり大河ドラマの影響で(見てはいないのだが)、斉信といえば、あ~はんにゃか、実資といえば、ロバート秋山か、と役者さんの顔が浮かんでしまうのには苦笑した。あと、酒がまわって乱れた宴会場面、顕光=65歳、斉信=42歳、実資=52歳、公任=43歳、という解説を読んで、ちょっと興醒めしてしまった。

 藤原道長筆『紺紙金字法華経(金峯山埋経)』が展示されていたことも付け加えておこう。ただし、上から7~8文字までで、下半分が欠損している。元禄4年(1691)に出土したと伝わるが、当時はどのくらいのニュースバリューだったのかなあ、知りたい。

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百合はどこから/夏と秋の美学(根津美術館)

2024-10-01 22:46:55 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『夏と秋の美学-鈴木其一と伊年印の優品とともに』(2024年9月14日~10月20日)

 江戸琳派の異才・鈴木其一と、琳派の祖である俵屋宗達に始まる工房の優品を中心に据え、美術作品によって初夏から晩秋まで移ろう季節の情趣を楽しみながら、そこにうかがわれる美意識の諸相に迫る。

 展示室に入ると「夏の訪れ」→「真夏の情趣」→「夏から秋へ」→「涼秋の候」と、季節の移ろいを意識して作品が並べられていることが分かる。しかし連日の猛暑に苦しめられたこの夏を思うと、冷泉為恭が『時鳥図』や『納涼図』に描いたように、衣をしどけなく着崩したり、釣殿で水面を渡る風に吹かれたりする程度で、夏がしのげた時代は、もはや別世界に思われる。

 本展の見どころの1つとなっているのは鈴木其一筆『夏秋渓流図屏風』。江戸絵画らしからぬ、迷いのない明確な濃彩の作品で、白いヤマユリの一群が印象に残る。今回の展示、草花図がいくつか出ているのだが、あちこちにユリの姿があった。尾形光琳筆『夏草図屏風』は、金地の背景に晩春から夏にかけての草花を描いたもの。紅白のタチアオイが中心だが、左隻の白のタチアオイの後ろに白いユリが描かれている。また、伊年印『夏秋草図屏風』は、墨を多用し、色数を抑えて静謐な雰囲気を醸し出しているが、夏景にはたくさんの白ユリ(山百合と鉄砲百合?)が咲き乱れている。この時代、博物学の流行とも相まって、夏の草花への関心が高まったのではないかという解説が添えてあった。

 そうかー。百合は古事記や万葉集にも登場する古い植物だが、絵画の題材としては再発見があったのかしら。なお、万葉集に詠まれた百合の種類を特定することは難しいようだ(参考:万葉の植物 ゆりを詠んだ歌

 本展で初めて認識して好きになった作品は松村景文筆『花鳥図襖』で、展示の4面のうち2面に合歓の木とスズメ、そして白いユリが描かれている。金砂子の霞の中に描かれた草花の嫋やかで上品なこと。松村景文は、本展にもう1件『栗小禽図』が出ていたが、その解説に「絶大な人気を誇った」といいうのが分かる気がした。こうして、ひたすら百合の花を愛でる展示だったわけだが、冒頭に野々村仁清の『銹絵染付百合形向付』が並んでいたことも記録しておきたい。

 展示室2は、「武蔵野は月の入るべき山もなし」と詠まれた歌枕・武蔵野をモチーフにした屏風や工芸品が出ていた。仁清の『色絵武蔵野図茶碗』はよいなあ。左隻のみ展示という『武蔵野図屏風』(江戸時代)は、解説に「月が描かれた左隻」とあるのに、画面は草むらばかりで月の姿がないので戸惑ったが、全体に金色に輝く空が月の存在を示している、と思うことにした。

 展示室5は「やきものにみる白の彩り」。中国、朝鮮半島、日本の白いやきものを特集する。冒頭にあった『白釉突起文碗』(中国・北斉時代、個人蔵)は、西域のうつわの形態を真似たものと考えられるが、やきものと思えない繊細な細工に驚いた。

 展示室6は「名残の茶」。全体を通して、超級ビッグネームの作品が出ているわけではないが、今の日本人が理解・共感できる「伝統」美学をゆっくり吸収することができ、活力のもとになる展覧会だった。

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