素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 深田記念公園から茅ヶ岳へ ▲

2024年04月13日 | 山梨百名山

山名はススキが山麓を広く覆っていたところから『茅ヶ岳』と呼ばれたようです。                                 茅ヶ岳は甲府盆地の北、御岳昇仙峡の奥に位置した古い火山で、長く裾野をひいた優美な姿は、よく八ヶ岳と間違われ、『ニセ八ツ』とも呼ばれ親しまれています。

1971(昭和46)年3月21日、『日本百名山』の著者であります深田久弥氏が、この山を登山中に亡くなられたことで知られ、多くの登山者が訪れる様になりました。

毎年4月の第3日曜日には 「深田祭」 が開催され、記念登山や式典が行われ、全国から沢山のファンが集まるようです。       

今年は、4月21日(日)に開催されます。

深田記念公園駐車場に7時 15分到着。 15分で準備を済ませ7時半出発。

登り始めは赤松林から雑木林へと傾斜の少ない林道を緩やかに登って行く。

駐車場の標高が 940mであり、まだ若葉も見えず殺風景な登山道であるが、唯一山桜が出迎えてくれた。

8時 07分、前山大明神林道を横切る。

登山道は大岩がゴロゴロした涸れ沢(女沢)を登って行く。

両側の尾根が迫ってくると、行く手に女岩(奥に見える黒い大岩)が立ちふさがる。  通過、8時 45分。

かつてはコース中唯一の水場であったが、近年崩壊の危険ありとのことで女岩手前に立ち入り禁止のイエローテープが張られ右手にある巻き道に誘導される。

涸れ沢の一寸広い登山道はここまでで、ここからが急斜面でクヌギやナラの樹林帯をジグザグに頑張って登る。

片側が崩れていたり、落ち葉が深く積もり足を取られたりと緊張する箇所が多かった。 慎重に登り女岩の上部を通過。

茅ヶ岳と大明神岳を結ぶ稜線に近づいて来ると登山道は枯葉に覆われていた。

9時半、稜線に立つ道標が見えた。

稜線の鞍部に出て茅ヶ岳へは尾根を左に進むのだが、右手に見える岩峰に立つと金峰山や瑞牆山を望むことが出来た。

10分ほど展望を楽しみ茅ヶ岳を目指す。

茅ヶ岳に向けて登り出し、5分ほどしたら深田久弥氏が亡くなられた場所に石碑が建ち、お花が添えられていました。 通過、9時 45分。                                死因:脳卒中だったそうです。 享年:68歳  

急坂で岩場の多い登山道を慎重に登る。

10時 05分、茅ヶ岳(標高 1704m)登頂。                                     右手が金ヶ岳(標高 1764m)と中央の白い稜線は八ヶ岳連峰。

展望は 360度良好でありましたが、雲が多く富士山は五合目から上は見えず、南アルプスでも八ヶ岳は見えましたが甲斐駒や鳳凰三山の上部は見えず残念であった。

20分ほど休憩し、10時 25分、金ヶ岳に向け出発。

 

 

 

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▲ 石割山から富士を目掛けてミニ縦走 ▲

2024年03月10日 | 山梨百名山

石割山の開けた山頂からは、富士は 目の前そして左下に 山中湖、右下には忍野八海で有名な忍野村の眺めが広がっていた。

下山は富士山に向かって尾根を下るミニ縦走。                              平尾山(標高 1290m)、大平山(標高 1296m)、飯森山(標高 1191m)、長池山(標高 1178m)と南西に向けアップダウンを繰り返しながら高度を下げ、山中湖の北岸に降りました。

上空に 雲は無く、石割山山頂からの景色は素晴らしかったのですが、風が 強く時折雪煙を巻き上げた突風が吹き、ノンビリできる状況ではなかった。                   そのため写真だけ撮影して、短時間で移動開始。

富士を真正面に見ながら急斜面を下る。                               登山道には積雪があり余りの傾斜でアイゼンを使用すれば問題は無かったが、ロープの設置があり滑らぬ よう利用した。

石割山からほぼ 10分ほど下ったら大分歩き易くなった。

雪道では太陽光線がより以上に眩しく、持参した  サングラスが活躍してくれた。

尾根歩きなので風当たり が強く、周りの木々が少ないと風により雪が落ちてくるが、竹笹の中は暖かった。

地図に表示のない「一ノ砂ノ沢の頭」 標高 1318mを 11時48分、通過。

道は平坦な尾根歩き(東海自然歩道)となり 12時 02分、平野へ下る分岐点通過。

この辺りは快適な尾根歩きで、ずっと歩いていたい感じがした。

展望良く暖かな平尾山 (標高 1290m)に到着。12時 05分。

風もなく雪に埋もれてないベンチが有ったので、ノンビリ 20分の休憩を取り、昼食とした。                                                   カヤトの後ろには石割山が望めた。

12時 25分、平尾山を出発。                                        芙蓉台別荘地を望みながら 、雪の下が凍りついた細い階段を慎重に下る。

下り切るとホッとできる平坦な道が続いた。

平坦な道の見通しの良い所からは、山中湖の東側とその先に三国山が望めた。

この付近の道は変化に富んだ登山道で、先ほど眺めた芙蓉台別荘地の脇を登る木製階段の所は雪深く、登りが厳しかった。                                やっと 登り切り、富士が顔を出した。

13時 20分、今回のミニ縦走で一番山頂の広い、大平山 (標高 1295.5m)に着いた。

広々した山頂からは富士の聳える南西方向の景色が素晴らしかった。  

東海自然歩道の尾根上にある飯森山 (標高 1191m)を通過、13時 55分。

午後になり緩んだ雪を、サクサクと踏み音をたてながら歩くのは、この時期にこそ味わえる快感である。

湖畔近くの樹林帯の中は吹き溜まりになっており、踏み跡を外すと膝くらいまで埋もれてしまった。

14時37分、山中湖畔の長池親水公園駐車場に無事戻りました。

午後の富士山。                                       今回は雪化粧をし、一番カッコいい霊峰富士をじっくり 眺めながら歩くことが出来ました。                                          トレースがしっかり出来ており、滑り止めを用意すればハイキング気分で歩けます。

 

 

 

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▲ 雪の石割山へ ▲

2024年02月28日 | 山梨百名山

これでもか と言うほど雪化粧をした富士山を道連れに、雪山ハイキングをして来ました。

富士山周辺には、富士山の眺めが優れた山が多い。                          その中でも石割山は山中湖と富士山を一緒に眺められるうえ、下山する尾根のミニ縦走は終始、富士山が正面に見えるのです。

周回コースを歩くため、車を山中湖北岸の長池親水公園駐車場に停めた。       駐車場到着、7時 10分。                                         外気温-3.0℃  風があり寒い。車内で登山準備をし7時 45分、出発。

平野への 車道 は雪があり狭く危険なので、サイクリングロードで平野へ向かう。

日当たりの良い所では、小鳥たちが日向ぼっこをしていた。 ホオジロ。

シマアオジ

仲間とおしゃべり。

平野地区のサイクリングロードは日当たりが良く暖かい。

8時 46分、平野から国道 413号(道志みち)を5分ほど進んだ所の左手に赤い鳥居の不動明王社に到着。 左手に進む。

林の中の別荘やテニスコートなどを見送り、林道を進むと右手に黄色の太鼓橋と真っ赤な鳥居が見えてくる。                                        そこが石割山登山口駐車場到着、 9時 03分~9時 18分。30台くらいは停められそうです。

太鼓橋を渡り、真っ赤な鳥居をくぐると先の見えない真っ直ぐの階段が続く。

登り始めは西側の日陰斜面の階段であり、雪の下はガチガチに凍結しており、 スリップしないよう 手摺りを利用し慎重に登った。                              階段は四百段以上あり、三百段位を越えると更に右へと階段が続く。

滑らないように気を張りながらの四百段はきつい。2~3度休憩して登り切った。    登り着いた所が富士見平、到着 9時 35分~9時 48分。                      丁度良く東屋があった。 石碑に「避難小屋」平成4年9月竣工と記されていたが、テーブルとベンチが有り休憩舎の様であった。 10分少々休憩。

富士見平からは、緩やかな林道の様な広い道を登る。

途中のベンチには、どなたかが作られた可愛い雪だるまさんにホッコリ。

10時 32分、石割神社に到着。                             この神社は、石割山の八合目に鎮座し、昔から古事記にある「天の岩戸」伝説の地といわれる神域だそうです。

また、御神体の大岩が『石』の字に似て割れているので、石割神社と名が付いたともいわれ、切り立った大岩には、高さ15m、幅約60cm、長さ約15mほどの隙間があり、その間を3回通れば( 時計回り)幸運が開けると云われているとのことです。     この岩の割れ目から滴り落ちる湧水は、眼病・皮膚病などに効く薬水として伝承され、多くの崇敬者がその御利益に浴しているそうです。

凍結しており、隙間を回るのは諦め山行の無事のみ祈願してきました。       出発、10時 45分。

石割神社を後にすると、道は登山道らしい雰囲気になって来た。

山頂までは僅かであったが、厳しい傾斜であった。

11時 17分、石割山(標高 1413m)に到着。                                     時折、突風 が北側から吹き抜け、物は飛ばされないように注意したが、雪煙が顔にあたり痛かった。

眼下に見える、富士山との間にある山中湖が川の様にひょろ長く見えた。      また、右手遠方には南アルプスの雪の稜線が望めた。

北側には三角点と左手奥の左に杓子山(標高 1597.5m)、右手に鹿留山(標高 1632m)が見えた。

風が無ければ雪のため、太陽の照り返しにより暖かな山頂なのだが、展望が良いだけに風よけが無く、汗が冷えないよう5分で退散した。

 

 

 

 

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▲ 長潭道から羅漢寺山へ ▲

2023年11月15日 | 山梨百名山

羅漢寺山は御嶽昇仙峡の象徴、覚円峰を配下に従え、その最高峰の 弥三郎岳(標高 1058m)山頂は半球状の巨岩花崗岩で360度の展望とスリルが楽しめます。

登山道の一部は、かつて金峰山信仰の修験者たちが歩いた古道 『御嶽道』と重なる歴史の道を歩いて来ました。

昇仙峡天神森市営駐車場に8時 10分到着。 外気温 3.0℃ 立派な トイレあり。                   20分で登山準備を済ませ、8時半 出発。

市営駐車場の近くには、山梨交通の天神森バス停と天神様が迎えてくれました。

市営駐車場からは長潭橋(ながとろばし)を渡って羅漢寺山登山口へ。                       こちらの長潭橋なんですが、大正 14年(1925)に竣工したアーチ橋で、建築雑誌に取り上げられたことがあり昇仙峡玄関口として親しまれている、歴史的に有名な山梨県最古の橋だそうです。 でも、その横には新しい橋の工事が行われていました。

百年近くも、本当にお疲れ様でした。

                                  

長潭橋の周りを見学した後、羅漢寺山登山口へ8時 43分通過。 獣除けの柵を越えて行く。

羅漢寺山登山口を 10分ほど登ると舗装された車道に出て、それを更に 10分ほど進むと羅漢寺山(パノラマ台)への登山道に取り付く。

外道分岐通過、9時 33分。 ここまでが長潭道で、この先から御嶽古道となるらしい。

歌川広重(江戸末期の浮世絵師)も歩いたという静かな古道で往時に想いを馳せる。

樹林帯の道には金櫻神社を参詣した折に、歌川広重が描いたという奇岩や炭焼窯跡などが残り、歴史を感じさせてくれます。

この辺りが広重が描いた外道ノ原。 通過、9時 43分。                                   天保 12年(1841)御嶽古道を歩いて、この付近の景色を描いた場所のようです。

虫喰い岩通過、9時 54分。

太刀の抜き岩到着、10時丁度。 5分休憩。                                          登山道から道標に沿って入ると今迄の樹林の中から風景が一変し、天に向かってそそり立つ太刀の抜き岩と富士山が目に飛び込んできます。

こちらも進む尾根から少し外れた白山展望台 (標高 900m)へ向かう。                             到着、10時 16分。 5分休憩。 南アルプス遠望。

太刀の抜き岩辺りから花崗岩の風化した 白い砂が、幻想的な風景を見せてくれる絶景ポイントが次々と現れます。                                                    金峰山付近に発達した花崗岩帯は、昇仙峡の仙娥滝の上から現われ昇仙峡の両岸を南方に延びています。                                            これらの花崗岩は粗粒の黒雲母花崗岩で時にペグマタイト(巨大な結晶をした花崗岩で鬼御影ともいう)や細粒の花崗岩を含んでいる場合もある。                                しかし一般に粗粒であるため風化しやすくパノラマ台やここの白砂利は、そのような風化によってできたものです。

                                         

またこちらも尾根から外れた白砂山(標高 986m)に向かう。                           到着、10時 50分。 5分休憩。                                            白砂山から羅漢寺山(パノラマ台)方面を望む。

この大岩が最後であった。 通過、11時 07分。

パノラマ台の一角に出た。到着、11時 20分。                                           ここまで来るとロープウェイで上がって来られた観光客が多くて、登山の格好をしているのが可笑しく見えた。

パノラマ台にある八王子山八雲神社に参拝してからロープウェイのパノラマ台駅前を抜け、主峰の弥三郎岳(標高 1058m)に向かう。

弥三郎岳への案内板。

昇仙峡の覚円峰が背負う山『弥三郎岳』へ向かう。

手摺りの無い花崗岩の上を落ちないように山頂へ。

山頂直下に鎮座する弥三郎権現。

半球状の花崗岩の上が目指して来た弥三郎岳の山頂でした。 登頂、11時 40分。                       手摺りがないのに動き回る人がおりビックリ、スリルは感じますが私は首だけ回して、あまり人が来ないうちに下山しました。                                   左に富士山、中央に広がる街並みは甲府市街です。

羅漢寺山はパノラマ台、展望台、弥三郎岳を総称した呼び名のためパノラマ台にも羅漢寺山の標識が備えられています。 

12時10分発の昇仙峡ロープウェイで麓の仙ガ滝駅に下り、秋の昇仙峡を散策しながら天神森市営駐車場に戻ります。

 

 

 

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▲ 縦走の最高峰「鹿留山」へ ▲

2023年05月05日 | 山梨百名山

富士山 展望の山から樹林の山へ縦断する。

杓子山も富士山展望の名山であります。                               山頂の南側は急斜面となり、間を隔てるものも無く忍野の平野の上に聳える富士山はひときわ堂々と感じられます。  

隣り合う鹿留(ししどめ)山(標高 1632m)は対照的にブナやミズナラなどの大木が茂り静かであり、ノンビリしたい山である。                                          忍野の鳥居地峠から三山を縦走して、再び忍野の内野集落へ下る、ダイナミックで変化に富むコースを歩いて来ました。

東に向かって下り、右手のピークを目指す。

ブナ林に覆われた尾根道のアップダウンを繰り返しながら前進。

まだ、若芽の出ない明るいブナ林の中を歩くのが大好きです。 

尾根の途中でコバイケイソウの若芽が見られた。 7~8月には綺麗な白い花が見られます。

子ノ神(ねのかみ)分岐に近くなった尾根上の露岩地から富士が望めた。

足元には可憐なキスミレが春を謳歌していました。

10時 55分、子ノ神分岐通過。 ここから鹿留(ししどめ)山までピストン。

鹿留山まで片道 10分だが、その道中にはミツバツツジやヤマザクラが満開でした。

11時 05分、鹿留山到着。                                         ブナやミズナラに覆われた山頂で、三角点のある所など平らで広々していた。

山頂の中央にはゴツゴツした樹幹のブナの老木が歴史を偲ばせてくれる。

杓子山の展望の良い山頂とは好対照の、こちらの山頂は静かでノンビリ休憩ができた。

再び子ノ神分岐(通過、11時半)に戻り、そこから立ノ塚(たちんづか)峠に向け下る。

露岩混じりの急傾斜だが、部分的にトラロープが設置されているので慌てずに下る。

厳しい下りだが日当りの良い南東斜面であり、ミツバツツジや足元にはエイザンスミレが見られた。

急傾斜の下りが 30分ほど続くが、そこを頑張れば傾斜が緩やかになり右手には富士が見えた。

12時 22分、立ノ塚峠通過。 

道標の反対側の小さな松の根元に一体の野仏がたたずみ、峠の無事通過を迎えてくれた。

ここまで来れば、後は内野集落を目指してノンビリ林道を下る。

無事下山を歓迎するかのように、色鮮やかなボケやカントウタンポポが迎えてくれた。

樹林帯の中の僅かな日差しの中にクサソテツが若葉を伸ばしていた。

立ノ塚峠からの未舗装の林道下りは、登山靴に当たる土が柔らかく歩き易かった。

25分ほど下ったら舗装道に代わり、養鶏場 を過ぎてから車を停めた鳥居地峠までの舗装道歩きは暑くて参った。                                                  13時 45分、無事、鳥居地峠駐車場に戻りました。

上の写真は今回歩いた三座の大きな山塊です。                           明るいベージュの所が野焼きされるカヤト原、その上のピークが高座(たかざす)山、中央のピークが杓子山、右手のピークが鹿留(ししどめ)山です。

 

 

 

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▲ 鳥居地峠から杓子山を目指す ▲

2023年05月02日 | 山梨百名山

富士の湧水で有名な忍野八海の北東に位置し、富士山の好展望台として知られる高座(たかざす)山から杓子山を歩く。

忍野村では駐車場が見当たらなかったので忍野小学校から中学校の脇の道を進み、鳥居地峠にある駐車 スペースに止めた。

鳥居地峠に7時 10分到着。20分で準備を済ませ出発。                            最初は道標に沿って林道を登る。

早朝でヒンヤリと澄んだ空気の中は、木々の新緑 も目に入り清々しい気分で歩ける。

15分ほど林道を進んだら、左手に「杓子山登山口」の案内板が見え、そこに❝注意書き❞があり「4月29日(土)は野焼きにつき入山禁止!」エッと思ったが、今日でなかったので前進。

登山道の脇には沢山のミミガタテンナンショウが見られた。

 

登って直ぐにカラマツ林を抜けるとカヤトの斜面が開け、上部には杓子山の前衛峰ともいうべき高座山が見えた 通過、8時丁度。

左手は雑木林だが右手斜面に一面のカヤト、その下には忍野の町並みが見えた。          雑木林とカヤト原の境に登山道があり、土の道で ほぼ直登、雨上がりなどは 避けたい道である。                                                                                                                                                        急な登山道脇には鮮やかな色をしたボケの花が存在感を示していた。

カヤト原の上部についた。振り返ると大きく裾野を広げた素晴らしい富士が見えた。8時 22分。              29日に「火入れする。」という ❝注意書き❞ は、この一面のカヤト原に奈良の若草山 山焼きの様に燃やすのだろうと思った。                                                春先、枯草を焼き払う野焼きは、その灰が馬や牛の飼料となる草の成長を促し、ワラビやゼンマイなどが顔を出す。春野の風物詩であります。

この高座(たかざす)山(標高 1304m)への山頂直下の急登も、後からの富士山の応援を借り頑張る。                                             8時 35分、山頂に立つ。                                             眼下には忍野集落が、そして富士の裾野の広大さが圧巻であります。小休止5分。

8時 40分、次の目標「大権首(おおざす)峠」を目指す。                            灌木帯の中をわずかに下り、その後はほぼ平坦に近い尾根道を進む。

多少のアップダウンと一ヵ所岩場の通過が有ったが、難なく通過。                   若葉や春の花を探しながらの ❝陽だまりハイク❞ ではなく、この日は暑くて Tシャツで歩いた。  タチツボスミレ    

ミツバツチグリ  

9時 05分、送電鉄塔の下を通過。

鉄塔の先を登って尾根道は続く、木の根や岩に注意しながら。

フデリンドウ   歩いていると見上げるように咲いている、小さく可憐な花です。

 

9時 20分、大権首(おおざす)峠着。 左手より不動湯 からの道と合流。

                                       

この峠より杓子山を目指す。林道から右に分かれ登山道に取り付く。

赤松とカラマツの中をジグザグに登る。足元には可憐なヒトリシズカが咲いていた。 

ハンググライダー離陸台上部からの高座山と富士。

この登りではヤマザクラがあちこちに咲いているのが見えた。

山頂に近づくにつれ周りの木々の丈も低くなり、直登気味にきつい斜度を登る。

10時丁度に杓子山(標高 1598m)山頂に着いた。 山頂に建つ小祠。

展望の良い山頂は広く、テーブルベンチが4つありノンビリ 15分の休憩をとった。      西側には天上山や昨年の12月に登った霜山が続く府戸尾根で河口湖は望めなかったが、手前に富士吉田市街が広がり、遥か遠くには南アルプスが望めた。

とにかく明るい山頂で、先程の高座山からよりも富士山の展望は良好で、富士の左手には山中湖が望めた。

珍しく山頂で3名の登山者とお会いした。                           備えられた 「天空の鐘」 を突き、10時 15分 鹿留(ししどめ)山に向かう。

 

 

 

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▲ 要害山から深草観音経由で戻る ▲

2023年04月24日 | 山梨百名山

要害山山頂付近の城跡を見学し9時 45分、深草観音に向けて尾根道を進む。

尾根上では青空に向かって若葉が芽吹き、沢山の花々が迎えてくれ、木々にはホワイト系の花が、良く目につきました。

マルバアオダモ (モクセイ科)                              乾いた尾根の岩石地などに好んで生え、新枝の先に細かい白い花を房状に沢山つけ、遠くからでもよく目立つ。  

ズミ (バラ科)                                         山地に生える高さ 10mほどの落葉樹。樹肌は黒で荒く裂け、ゴツゴツしている。 

ヤマザクラ (バラ科)                                            低山の林に生える高さ 10~15mの落葉樹。古より桜と言えば、この野生のヤマザクラのこと。 葉が開くと同時に花が開く。   

アケビ (アケビ科)                                            低山や平地の林に生えるつる性の落葉樹。                                    食用にもされる大きさ6~8cmほどの淡紫色の実が熟すと縦に開くことから開実(アケミ)と、名が転じてつけられた。

ヤマブキ (バラ科)                                     落葉低木。春の野にひときわ目立つ花は、直径4~5cmで花びらは5枚。

上ばかりでなく、足元にも目をやると可憐な花々が顔を見せてくれました。

ジュウニヒトエ (シソ科)                                 幾重にも花が重なって咲く姿を、平安時代の宮中の女官が着る十二単に見立てたのが、この名の由来。花は薄紫色で茎は立ち上がり全体に白く細かな毛が多いのが特徴です。

フデリンドウ (リンドウ科)                                   筆と名がつくのは、上向きに咲く蕾の形がそれに似ているからのようです。             花は長さ2cmほどで、日が差す時だけ開き、日がかげると閉じてしまう。  

ミヤマキケマン (ケシ科)                                        豊かな葉の間からすらりと茎を伸ばし細長い筒状の花を沢山つけ、花の先は開いた唇の様にめくれている。花は2~4cmで下向きに咲きます。                                                      華鬘(けまん)とは仏殿の欄間などの装飾具に似ており、深山とは海岸に生える茎が太く葉が厚いキケマンと区別するためのようです。

ニリンソウ (キンポウゲ科)                                        春、沢沿いなどの湿った場所に群生する多年草。根元にある葉は3つに裂けている。    「二輪」と名がつくが、必ず2本花が出る訳ではなく1本のこともある。

イワカガミ (イワウメ科)                                       花弁のふちがフリンジ状に細かく切れ込んだ可愛らしい淡紅色の花を付けるのが多い。    花は1本の花茎に3~6個つける。和名は、主に岩場に生え、葉に鏡のような光沢が有ることに由来する。葉は円形で鋭い鋸歯がある。

ここまで花々を愛でながら尾根を下っていたが、右手の南西斜面が急で滑り易い 箇所があり慎重に歩を進めた。

10時 50分、要害山と深草観音、林道終点の三叉路分岐を通過。                    ここから深草観音そして岩堂峠までピストンし、また戻って来る三叉路分岐である。

三叉路分岐より涸れ沢を登る。

11時05分、深草観音(標高 845m)に着いた。                                    明るい感じに見えますが、実際は昼なお暗きで霊域が感じられる所です。

見上げる大岩の中に祀られた観音堂。

                        

辺り一面に沢山の石仏が見られた。 参拝後の 11時 25分 涸れ沢を登り 岩堂峠に向かう。

                                               蚕種石室跡通過、11時 40分。                              こちらの麓では昔、養蚕が盛んであり、当時は冷蔵庫がなかったため、この山陰の石室で蚕の種を保存していた所だそうです。

11時 50分、岩堂峠に到着。                                       ここからは石和温泉がある笛吹市の方に下れるが、5分休憩し往路を戻る。

岩堂峠からはずっと下りであり、涸れ沢の岩に注意しながら慎重に下った。

昔からの道を示す、石碑の道案内。通過、12時 25分。

山神宮通過、12時 40分。

瑞岩寺参拝、12時50分。                                深草観音堂に安置されていた御本尊は、現在麓の瑞岩寺に保管されているとのことです。   御本尊の高さは一寸八分(5.4cm)と小さいものですが、33年に一度ご開帳される秘仏だそうです。

要害山登山口駐車場に 13時丁度に無事戻りました。

 

 

 

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▲ 山城の要害山へ ▲

2023年04月21日 | 山梨百名山

山梨県甲府市にある山で、山梨百名山に数えられている『要害山』を歩いて来ました。

要害温泉から見ると、こんもりとお椀を伏せたような山容が確認できます。

山中には要害城跡があり、本丸跡は標高 770mで、最高点は東側にある 780mの場所となっている。

県道「甲府山梨線」の仲川沿いにある要害山登山口駐車場に 8時 40分到着。            10分で準備を済ませ出発。 仲川の橋を渡り、5分で登山口に着いた。

西側斜面を登り出し、春先の木々の芽吹きと小さい花々に迎えられカメラを向けるが、日陰であり元気さに今一欠けるように見えた。

マルバアオダモ(モクセイ科) 低山で見られる落葉高木。

オオツクバネウツギ(スイカズラ科) 山地の明るい落葉樹林で見られ、高さ2~3mの落葉低木。

チゴユリ(イヌサフラン科) 日本の山野にも自生する可愛らしい花。

コバノガマズミ(レンプクソウ科) 丘陵地や山地で見られる高さ1~4mの落葉低木。

春の花を探しながら の登りであったが、武田不動尊までは結構きつく感じた。                 武田不動尊前の不動曲輪に9時25分、到着。

不動曲輪の中に堂々とした武田不動尊の石像。

ここから要害山山頂一帯に設けられていた要害城跡が判るように、主郭に至る通路に沿って曲輪や竪堀、堀切、門跡等の標示板が設置されていた。

要害城は永正 17年(1520)に武田信虎(信玄の父)が築いた山城であります。              居館と政庁を兼ねた武田氏館に対し、緊急時に立てこもる詰(つめ)の城としての役割を担っていました。

今川氏との戦闘中に要害城に立てこもった際に、後の武田信玄が生まれたとされる本丸跡には『武田信玄公誕生の地』と刻まれた石碑が建っています。

信虎・信玄・勝頼と三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備されたとのことであります。                                                  城は山腹から主郭に至る通路に沿って、枡形虎口や郭が複雑かつ連続的に付設されているほか、竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めています。

山頂の主郭には、規模の大きな建物が存在したものと推定されています。

主郭部から望む富士。

要害城は遺構の保存状態が極めて良く、記録が豊富に残されているなど戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重な山城であります。

 

 

 

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▲ 岩殿山から稚児落し経由 大月駅へ ▲

2023年04月07日 | 山梨百名山

小山田左兵衛尉信茂と岩殿城。🏯

小山田氏は甲斐の国の東部である郡内地方を武田信玄と同じころ領有しており、武田氏と数回の婚姻関係を結ぶなど武田氏の友国として終始、甲斐の国の発展に尽くしました。

武田三代のころ小山田氏は武田軍の有力な軍事力として連戦を共にし、常に戦の旗頭として活躍した。

小山田氏の主城、岩殿山は周囲が嶮崚な岩壁状となり、更に外堀として深い断崖を囲いめぐらす桂川、葛野川を構え、現在も要害の名をそのままに残している。

広い山頂には岩殿城跡の跡地を示す案内板があちこちに見られた。

岩殿城跡で 35分ノンビリし 9時 15分、浅利登山口に向け出発。

岩殿山から浅利地区に向けての下山口には大岩が現れ、その大岩の間に造られた道を下る。

大岩の間に城門が造られていたという揚城戸(あげきど)跡を下る。9時 20分。

揚城戸跡を過ぎると一気に急な下りが始まり、勢いづかないように慎重に下る。

道案内板が現れ、木の根に注意して進む。

9時35分、標高473mの築坂峠を 通過し、天神山に向け登り返しである。

クサリ場に向かう岩場コースとクサリ場を避けた林間コース分岐を通過。          チョッと冒険してみようと岩場コースを選択し直進する。

岩と岩の狭い登山道にクサリが2ヵ所設置され、慎重に取り付く。

岩を登り進むと、その先に登山道崩落につき通行止めとの標示があり、北側の林間コースに廻る。

この岩が兜岩と言うのだろうか❓                                尾根から北側に入ると急斜面にロープが添えられ、滑り易い土の斜面に先行者の方々が悪戦苦闘しながら下っておられ、「ゆっくりで良いですよ。」と声を掛けた。

下から見上げると、それほど難儀する様に見えないが、バランスの取り難い所であった。

北側を迂回して尾根に出たら、岩殿山が見えた。

陽当たりの良い尾根道ではダンコウバイ やミツバツツジ が出迎えてくれた。

10時 25分、小祠のある天神山(標高 597m)に着いた。

天神山を過ぎると北に進路を取り 、こちらも下ってから稚児落しへ登り返す。

やっと稚児落としが見えた。                                      一見して、この断崖絶壁は凄いと感動したが、余り左に寄り過ぎると断崖で覗けない。

下から見上げると稚児落としの上に人影が見え、あの上が登山道になっているのが判った。

見晴らしが良くてウキウキしながら稚児落しの山頂に向かう。

稚児落しの上部尾根道に出る。10時 45分。                           覗いてみたいが下から断崖絶壁を見たので、手摺りは無いし体の重心は自然に右寄りになった。

稚児落しを過ぎてからは、一気に浅利登山口への下りである。最後の下りは慎重に下った。

浅利地区から県道 512号線を南東に進み、大月駅手前の陸橋より大月駅と岩殿山を望む。

大月駅を 11時 40分通過、岩殿山市営駐車場に 11時 55分、無事戻りました。           標高は低い山だが桜並木を歩いたり、岩のクサリ場や土で滑り易い下りがあったり、断崖絶壁を眺めながら越えていったりとスリル満点の楽しいコースでした。

 

 

 

 

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▲ 畑倉登山口から岩殿山へ ▲

2023年04月04日 | 山梨百名山

桜の季節に岩殿山 (標高 634m)の岩殿城跡を目指す。

3月は調査せずに 訪問し岩殿山山頂を踏むことができなかったが、今回は桜の時期に合わせてリベンジ戦である。

岩殿山へは側に強瀬(ごわせ)登山口、側に岩殿登山口、側に畑倉登山口、西側に浅利登山口と4つの登山口があり、現在(2023年3月)は強瀬と岩殿の2ヵ所は登山道崩壊につき通行止めとなっています。

それなので今回は畑倉登山口から登り、浅利登山口へ下山するコース取りをしました。

岩殿山市営駐車場に7時 10分到着。10分で準備を済ませ出発。                       駐車場は岩殿山の南側に位置し、国道 139号線を反時計回りに畑倉登山口に向かう。            畑倉登山口通過、7時 50分。

登り始めて直ぐに鬼の岩屋分岐に出た。7時 55分通過。

分岐より「鬼の岩屋」に直ぐ着いた。8時。                             鬼の岩屋は大月にある桃太郎伝説の一つだそうです。6ヶ所ある岩屋の5番目。

ここは、かつて栄えた修験道場・円通寺の新宮として十一面観音を祀った懸け造りの堂宇があったとのことです。                                                 数ヶ所ある岩殿山の洞窟のうち一番大きい、この「新宮洞窟」 は岩殿山の鬼が棲み家にしていたと言い伝えられています。

鬼の岩屋付近にはポツポツとカタクリの花が見られた。

8時 02分、畑倉神宮の小祠 に参拝し、岩殿山への登山開始。

登り始めは桜の出迎えを受けながら進む。

落葉した雑木林の中を登りながらも、少しずつの春が感じられるのは嬉しい。

北側の畑倉登山口から岩殿山へ一気に 250mほどの標高差を登るので、結構きつい。

多少きつくてもミツバツツジや常緑低木のアセビ、それに落葉樹のキブシも見られた。

九十九折りの登山道を登っていると、何となくもうソロソロ山頂かな❓ って感じがした。

8時40分、岩殿山山頂 本丸跡に立つ。電波塔も見えた。

岩殿城は急峻にして険しい断崖をめぐらし、攻めにくく守り易い戦国時代の難攻不落を誇る名城であった。                                                 午後、晴れて来たので桜咲く丸山公園から岩殿山を見上げた所です。

その上、南方の桂川下流には相模、武蔵の国。                                 大月市街と手前、桂川。橋のたもとの岩殿山市営駐車場に自分の車も見えました。

北方の葛野川上流には秩父などの山並みを一望におさめ、かつ烽火台(のろしだい)網の拠点として近くの国々の情報を即座に収集できる重要な場所に築かれていました。

現在この城跡には、一番高く展望の利く所に本丸、その下に二の丸・三の丸、更に蔵屋敷・兵舎・番所・物見台・馬屋・揚城戸などの建物跡のほか空濠・井水・帯郭・馬場跡の案内板が随所に立てられています。

岩殿山山頂より三の丸展望台までの尾根は、広々した軽いアップダウンの道で桜並木の中を歩くのは、とても気持ち良く桜の有ることにビックリしました。

天気も徐々に回復傾向にあり、これぞ春のハイキング。

三の丸展望台から見た、桂川と中央自動車道路。

三の丸展望台には東屋や乃木希典(まれすけ)陸軍大将の漢詩の石碑がありました。

まだ続きます。

 

    ※ 次は兜岩~天神山~稚児落しを経由して大月駅に戻ります。

 

 

 

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