素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

🏞 新緑の丹沢湖(三保ダム)公園 🏞

2021年04月21日 | 春景色

丹沢湖は神奈川県内の水道用水等として利用されている大変重要な水瓶です。

丹沢湖は神奈川県西部に位置し、丹沢山塊 西丹沢の山々に囲まれ自然豊かな清流である世附川と中川、玄倉川が合流した所の湖であります。

その合流地点に、昭和49(1974)年5月から三保ダム建設が始まり、出現した人造湖であります。

自然を大切にした美しい湖で「かながわの景勝50選」・「全国ダム湖100選」・「関東の富士見百景」などに選ばれています。

丹沢湖の北側には、約400年前に武田 信玄が傷病兵を入浴療養させた湯として伝えられる『信玄のかくし湯』と呼ばれる中川温泉があります。                   泉質は弱アルカリ性で 美人の湯とも云われています。

中川温泉から更に北の西丹沢最深部へ進むと、樹齢2千年といわれている古代杉の『箒杉』(全国名木百選)を見ることができます。                             樹高 約45m、根回り 約18mで国の天然記念物に指定されています。

丹沢湖の中央部に架かる永歳橋のたもとに、丹沢湖の歴史が判る「丹沢湖記念館」やダム建設に当たり湖底に水没した世附地区の約120年前の民家が移築復元され、当時の生活用具などが展示された「三保の家」があります。

三保ダムについて  

     形式    土質しゃ水壁型ロックフィルダム

     建設期間  昭和49年5月~昭和53年7月

     有効貯水量 5450万立方メートル

     目的    洪水調節、上水道用水の確保、水力発電

     満水位標高 321.5m 

 

       水没移転     223世帯 

   ※ 訪問、ありがとうございます。

 

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🏞 厳島湿生公園 🏞

2021年04月01日 | 春景色

弁天様の近くに湧き出る清水は丹沢山からの伏流水で、村人はこのを大変大切にしていました。

それは古くから下井ノ口や五分一(ごぶいち)のお百姓さんの田畑に引かれる農業用水だったからだそうです。

井ノ口の弁天様として親しまれてきた厳島神社周辺が、平成15年(2003)に あずまや、トイレ、駐車場が完備された公園として生まれ変わりました。

豊富な湧水に恵まれ、国の絶滅危惧種に指定されたホトケドジョウのほかアブラハヤ、カワセミ、コガモ、トンボ、ホタルなどの多くの生き物が生息しているとのことです。

貴重なカサスゲの群落やガマの群落もよみがえり、ヤマザクラ、コナラなどの植物を植栽したことで、昔の豊かな自然の姿が復活しています。

周囲を湧水で囲まれた厳島神社は「弁天様」と呼ばれ、昔から親しまれてきました。

神社のある島は、北側の広い大地に降った雨が集まって、直径200m位の渦を巻き、その中心が堆積して円形に形成されたといわれています。

祭神は 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と倉稲魂命(うがのみたまのみこと)だそうです。

昭和20年(1945)代頃まで島の東側には老松が、西側には老杉が外側に傾いた姿で生えていましたが、今では松も杉も姿を消してしまい、樫と桜が枝を張っています。

 

※ 訪問、ありがとうございます。 

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🌸 第22回まつだ桜まつり:2020 🌸

2020年02月19日 | 春景色

春の芽吹き始めた華やかな山を形容する言葉に『山笑う』という言葉があります。 木々の芽がいっせいに吹き出し、山肌を思い思いの春色に染め分ける頃の事とのことですが、まだ山は冬の装いです。

ただ2月ともなると、静岡県伊豆半島東岸の南部、賀茂郡にある河津町の早咲き桜「河津ざくら」がテレビを賑わせています。

桜といえば春。

                                                     桜は美しく花開くその時まで、一年をかけて準備をし、見事に咲き誇ります。春は心ウキウキしますね。

                                                                                                                                                                   冬ごもりをしている虫が這い出して来る『啓蟄』も、もう直ぐです。

啓蟄が来る前にカメラ片手に動き回る虫が、松田山の春を追いかけてきました。

足柄平野の北に見える松田山の中腹にあります、西平畑公園。 桜の種類は「河津桜」です。

「関東の富士見百景」に選定されているのだそうです。

ノンビリとハイキング気分で歩けます。小田急線の新松田駅北口から徒歩約2~30分です。

                                          松田山の麓からは急坂や階段になりますので、お車の方は酒匂川臨時駐車場に止められシャトルバスで会場(西平畑公園)へ向かわれると良いです。

                                          公園内にも駐車場は有りますが、駐車料金1台1,000円です。                       また、公園に入るには桜まつり協力金として16歳以上の方は200円の支払いが必要です。

公園内には子供さんに大人気の「ふるさと鉄道」が走っています。                   山岳鉄道の「シェイ式蒸気機関車」と小田急の「ロマンスカー」で実物の1/6スケール5両編成。乗車には大人300円、子供200円の乗車券が必要です。

                                              晴れの暖かな日にのんびりお出掛けになられてみたらいかがでしょうか?売店も休憩所もあります。                                           

桜まつりは3月8日(日)まで開催されていますが、今が最高の見頃であります。

 

訪問ありがとうございます。 

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🌸 秦野戸川公園のアジサイ 🌸

2019年06月14日 | 春景色

神奈川県立 秦野戸川公園 は神奈川県西部の水無川上流に位置する広さ 50.7haの都市公園です。

公園は表丹沢の山々と秦野盆地に囲まれ、公園の中央には丹沢の山すそから流れる水無川が川遊びゾーンになっています。

高さ 35m、長さ 267mの公園のランドマーク『風の吊り橋』でつながれた水無川両岸には「子供の広場」・「バーべキュー場」・「自然観察の森」・「多目的グランド」・「お茶室」などがあり、美しい丹沢の山並みを背景に一日中楽しめます。

6月中旬から 7月中旬には、園内のアジサイが色づき始めて、これからが見頃となり、五千株のアジサイが皆様のお越しをお待ちしております。

 

丹沢讃歌                                               山塊にひそむ雄大なロマン

丹沢を心のふるさととする音楽愛好者らの情熱により誕生した『丹沢讃歌』は昭和 59年に児童文学者の森 一歩氏が作詞、秦野市音楽協会会長の加藤 正二氏が作曲されました。

それ以来、丹沢山開き式や丹沢音楽祭で多くの市民・岳人によって歌い継がれています。

丹沢の鬱蒼と茂る原生林は人々に豊かなを与え、変化に富んだ多くの渓谷は清冽な水を運び、時には荒々しく、時には穏やかに四季折々に表情を変えながら、その山裾に広げています。

 

 

 

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🌸 春 🌸

2019年03月15日 | 春景色
DABADA(ダバダ) SG承認品 軽量アルミ製 トレッキングポール 2本セット Amazon限定キット付 アンチショック機能付 【軽量220g コンパクト最少56.5cm】
季節・気候により道がぬかるんでいたり、落ち葉が積もっていたり、凍結して滑り易くなっているなどで体のバランスが取り難い時、危険が回避できると共に体の軸をぶれにくくさせ、足首、ふくらはぎ、膝、太もも、股関節、腰への負担軽減ができます。
使用時は前後の方に接触しないよう、気配りも必要です。

はあけぼの。や(よ)うや(よ)うしろくなり行く、山 ぎは(わ)すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。                                          《枕草子》  清少納言

口語訳 ⇒ 春は曙。しだいに空が白(しら)み、稜線に紫の雲がなびくのがよい。

日本の春といえば、お花見だろうと思います。                              全国各地の人気お花見スポットでは、の木のたもとに陣取り宴会をする人々でごった返す。 外国人観光客の増加に伴い、「春に日本を旅するならば見逃せないイベント」と認知されるようになっているようです。

ドンチャン騒ぎの無礼講のように思われがちな花見ですが、その昔は神聖な儀式であったようです。 歴史は遠く、はるか古代に遡る。

                                           日本人が田畑をはじめ自然と密接に関わって、ささやかに生きていたその時代。       山神として古代人に崇められていた「サ神」「サガミ様」が宿る「座(くら)こそがサクラであったとのことです。

 

サクラは、過酷な冬 が終わり暖かい季節と農作の開始を告げるものであり、五穀豊穣の象徴と思われていた。                                                人々は桜が咲くと、山神が降りてきたことに感謝を捧げ お供え物をし、その年の豊作を祈った。この儀式こそが、花見の起源だそうです。

その後、奈良時代に入ると、宮中や貴族の行事として、を愛でながら酒宴を開く現代の花見の原型がつくられていったようです。                           中国の影響が色濃かった背景もあり、好まれていたのは大陸伝来の梅であったが、これも平安時代に入ると桜に戻っていく。

                                           江戸時代には一般庶民にも花見の風習が広がり、江戸幕府は上野公園や隅田川など各地で桜の名所を整備し花見を奨励したが、大多数の庶民にとってはそれこそ高嶺の花だった。      それでも春の訪れを楽しもうと、長屋暮らしの人々も「貧乏神を祓うため」に、精一杯の宴を楽しむことがあったようです。                                       そんなエピソードがもとになったのか、いまでも「長屋の花見」という落語の演目があります。

貧しいながらユーモアたっぷりに花見をする江戸庶民の様子が活写されるが、その姿にはどこか格差が広がるばかりの現代社会が重なります。

      ※参考図書⇒ 彩図社「日本のしきたり」

 

 

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🌼 松田町寄ロウバイ園 🌼

2019年02月08日 | 春景色

 

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軽くて持ち易く、アウトドアや旅行用などに普段使い易い便利な折りたたみリュックサックです。 収納サイズ18Lで125gと超軽量で強度もあり、汚れや崩れに強いナイロン素材。        防水ファスナーを使用し、少々の雨には対応できます。

 

丹沢 山塊の南側に位置する松田町寄(やどりき)地区、こちらで蠟梅を見て来ました。

ぶらりと立ち寄れる里山の風景。

寄ロウバイ園は地元の方々が平成 16年に、標高 380m付近の荒廃農地を整備し、平成 17年度 寄中学校卒業生が 250株のロウバイを記念植樹したのが始まりとのことです。

250株から始まった「寄ロウバイ園」も今年で 11年目を迎えて3,000株の 20,000本以上、敷地面積 13,000㎡以上と日本最大級のロウバイ園だそうです。

園誕生のきっかけとなった寄中学は今年度で閉鎖され、春からは隣の中学に統合されるそうです。多くの地域で少子化のためやむなく閉鎖統合されてしまうところが増えています。    仕方ないことかも知れませんが、母校が消えてしまうことは本当に寂しいですね。

園内は甘い香りがあふれ、花もつぼみも蠟細工のような光沢があります。

濃い黄色は『満月蠟梅』、淡いレモン色は『素心(そしん)蠟梅』。

私が訪問したのは 2月 4日(月)で入園番号 16,963番でしたが、9日のタウンニュースには 2万人を超えたと発表されていました。

寒い時期でも春を告げる色鮮やかな花を、結構遠方から見に来て下さるのですね。      卒業記念に植樹された卒業生もこんなに有名になり喜んでいると思います。

開花時期は 1~2月。葉の出る前に直径 2cmほどの香りの良い花を下向きに付けます。

                                               冬空の青に、下から見上げる黄色がとても鮮やかなコントラストに驚きます。

 

 

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▲倉見山とクマガイソウ▲

2018年04月30日 | 春景色

ゴールデンウィークの中、そして卯月最後の祝日月曜日に山梨県南都留郡西桂町のクマガイソウ観賞ルートを歩き、倉見山 (標高 1256m)に行って来ました。

コースとしては先に目的の「クマガイソウ」 を見ようと反時計回りの周回コースで全参加者 30名の大型パーティーとなりましたが、予想外に他の登山者が少なく順調に歩くことができました。

町民グランドの下にある登山者専用駐車場に車を止め、あるいて10分の 10時 55分にクマガイソウ群生地に到着。(育成保護地 ) 

                                                『クマガイソウ』って、どんな花かご存知ですか                                  多分知らないのは、私のみであろうと思いますが、忘れないように本で調べたことを書き留めておきます。

                                                 ラン科の多年草。日本各地の山地の樹林下に生える。                              高さ 30cm。春、葉間に花柄を直立し紅紫の細点ある大きな袋状の白花を開く。          花の形が「熊谷次郎直実」の背負った母衣(ほろ)に似ているところからこの名があるようです。

    

観賞後は洞谷(どうや)ルートを登り、落合平を 11時 20分に通過。                                             堂尾山公園に 11時 55分に到着。

                                             午前中は天気が良く気温上昇、でも運良くここまでは樹林帯の中の登山路で、涼しい風を 感じながら歩くことができた。                             大分傷んだ東屋があり、登山路が十字路の分岐点であった。                場所も広く、昼食時間として 30分取った。新緑の中でありそよ風が 気持ち良かった。

                                                                                                                                             NPO法人『丹沢自然保護協会』委員の方の参加もあり全ての花に精通され、その場で分岐点を外れた場所に自然のクマガイソウを発見、直ぐ教えて頂いた。

                                                                                                                                                                                         育成地のクマガイソウは樹林帯の中の薄暗い場所で、その様な所を好む花かと思っていたら、自然のものは陽当たり の良い場所で生き生きとしており、それも群生 ビックリしました。

まだ、相定ヶ峰という尾根に出るまで約 1時間半は掛かるので時間通り 12時 25分出発。     この時期になると、木々には若葉、登山道脇には小さな花々が顔見せ歩きながらも楽しい。

フデリンドウ やエビネラン、自分一人なら 気付かないけど、周りの皆さんが教えて下さるので手帳にメモし写真と撮った。

こちらの道標は方向のみで時間や距離の表示がなかった。

予報通り午後になったら雲が一面に現れたが、どうにか富士山は雪を被った山頂部分も見えた。

13時 50分、相定ヶ峰に出た。                                                                                                            78歳の方は「エッ」・「まだ山頂じゃないの 」や、途中でも「ヒイ ヒイ」・「ハア ハア」と声を出し、前を歩かれる女性に「うるさい」と怒られたり、また逆に「悲鳴の ような声を聞き、私は頑張れました。」と女性が御礼を言ったり、とても楽しい方々でした。

相定ヶ峰では 5分の立ち休憩を取り、目的の山「倉見山」を目指した。                                  ここから倉見山へは大きく下ってから登り返しである。

                                            78歳のおじさん「エッ 早く吊橋でも造ってくれよ。」と 嘆かれていた。                               45リッターのザックを背負われ、文句を 言いながらも、ご婦人方には中々の人気でした。

倉見山登頂、14時 10分。  山頂は尾根上に長く、分散して 25分の休憩を取った。              山頂からは富士山 の展望が良かったが、青空で無かったことが残念であった。                    下山は往路を戻らず周回コースとしたので、厄神社向けへの道を下山道とした。

下り出して直ぐに分岐点にぶつかり、三ッ峠駅・厄神社方面への進路を取った。           新緑の中の下りは気持ち良いけど、斜面に作られたジグザグの道が、道自体 滑り易い砂道で斜めなのである。  

                                               足を滑らせでもしたら、転げ落ちる可能性もあり、ゆっくり慎重にと声を掛けた。       20分ほど下り、これくらいなら心配することなく、皆さんなら大丈夫と思える道となり、最後尾から前方を 気にしながら慎重に下った。

さすの平 着、14時 50分。  何もなく皆さん元気に、ここまで下れてホッと。

                                            厄神社までは後 20分、下に見える住宅の屋根が大分大きく見えるようになってきた。               10分ほど下ったら林道が確認できた。

厄神社に15時半、全員無事下山。 綺麗なヤマフジが、無事下山に花を添えてくれました。

                                                 車を止めた町民グランド下の駐車場まで、皆さんとブラブラ散歩しながら向かった。    駐車場 着、16時。お疲れ様でした。         

 

 

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🌼 春の江戸歴史ウォーキング 🌼

2018年04月20日 | 春景色

千代田線 の根津駅で下車。                                                                                                            山 より苦手な都会に出たので、まず山歩きの基本に徹した。                            最初は、スマホ がありGPS機能を使い現在地が確認できれば、問題ないと考えていたが画面がクル クルと動いてしまい「エッどっちが北なのだ 」と混乱。                        沢山の機能があっても使いこなしていないと、意味なしである。                        そんな事もあろうかと抜かりなく準備をしていった、地図とコンパスが大活躍してくれた。                                                                                                                                                                     山でこそ、あまり使わない地図とコンパスが、都会で便利さを再確認できた。

早速この時期 3,000株のツツジが咲き誇る  根津神社  を参拝。                                                 まだ 10時であったのに沢山の方が見学を兼ね参拝に見えられていました。

                                                   根津神社は日本武尊が 1900年近く前に創始したと伝えられる古社。                                            東京十社の一社に数えられ現在の社殿は宝永 3年(1706)の創建だそうです。

                                                                  社殿 7棟は現存する江戸に建てられた最大の神社建築で、国の重要文化財に指定されています。

                                                                                                                                                  主祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、大山昨命(おおやまくいのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)とのことであります。

  文明年間(1469~1486年)太田 道灌により社殿が造られました。

ツツジは宝永 3年、根津神社が千駄木の旧地より御遷座する以前、ここが徳川六代将軍家宣(いえのぶ)の生まれた屋敷地であった時に植えられたのが起こりで、300年以上の歴史があります。

ガイドの方より『根津権現かいわい浪漫ちっくマップ』という新聞紙半面ほどの大きな地図を頂き、その中に所狭しと文学者、歴史学者、政治学者、名僧、大名等々沢山の似顔絵が表示され、東京とは京都から都が移って以降、万人が求めた憧れの地であったように感じました。

神社より根津裏門坂に出て日医大つつじ通りを西に向かい、細い路地を何回か曲がり夏目 漱石旧居跡(猫の家)向かいました。

                                             夏目 漱石 本名:金之助。 慶応 3年~大正 5年(1867~1916)小説家。           この地に、漱石がイギリス留学から帰国後の、明治 36年 3月から 39年 12月、現在の西片1丁目に移るまで、3年10ヵ月住んだ家があった。                                当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の筆をとった。                                                                                                                       その作品『吾輩は猫である』の舞台として❝猫の家❞と呼ばれ親しまれました。

                        

吾輩は猫である。名前はまだ無い。                                       どこで生まれたか頓(とん)と見当がつかぬ。                            何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いてゐた事だけは記憶している。        吾輩はここで始めて人間といふものを見た。

                                                                                                この地で、『倫敦塔(ろんどんとう)『坊っちゃん』『草枕』などの名作を次々に発表し、 一躍文壇に名をあらわした。 漱石文学発祥の地である。                              旧居は、愛知県犬山市の「明治村」に移築保存されているとのことであります。

                          

この日 4月 20日は日中夏日となり、コンクリートジャングルは山よりも暑く、白い建物が多いので酷く眩しく、目も体も疲れた。

                                            そこで近くにあった「小石川植物園」にむかった。                                  初めて寄った所ですが、正式名も歴史も凄い植物園であることに驚きました。                正式名称は『国立大学法人東京大学大学院理学系研究科附属植物園』といい、植物学の教育・研究を目的とする東京大学の教育実習施設なのだそうです。

こちらの 植物園 は日本最古であるばかりでなく世界でも有数の歴史をもつ植物園の一つで、今から約 300年前の貞享元(1684)年に徳川幕府が当地に設けた「小石川薬園」に源を発しており、園内には本植物園の長い歴史を物語る数多くの由緒ある植物や遺構があります。           面積は161,588㎡(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地など地形の変化に富み、これを利用した多様な植物配置が行われています。

その中に細かく遊歩道があり、途中にはベンチが設置されているので、日影でノンビリ都会にいることを忘れました。                                                                                                                     アカマツ、ハナミズキ、サワグルミ、カエデなど大きな木が沢山あり、これから暑い 夏には最高の避暑植物園です。

 

 

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🌸 吉野山桜紀行 🌸

2017年04月15日 | 春景色

  吉野  

❝桜の国で春を迎える至福❞                                       千三百年の昔、役行者が厳しい修行の末に感得した蔵王権現の姿を、山桜に刻み祀ったことから、ご神木としても大切にされてきました。                               『一目千本』といわれる風景そのままに、山桜が見渡す限り広がり、下千本から中千本、上千本、奥千本へと咲き上がるさまは、まさに日本屈指の桜の名所と呼ぶにふさわしく、感動的です。

                                                             通常であれば、吉野山の花見は近鉄吉野駅付近の下千本から坂道を登りながら中千本、上千本そして中には西行庵のある奥千本まで登って折り返すといったコースを歩かれる方がほとんどであると思いますが、私達は花見客を兼ねたハイカーであり、吉野山の最高峰「青根ヶ峰」を奈良県東部の“あきつの小野スポーツ公園”から目指し、奥千本から下りながら吉野の桜を愛でるコース取りをしました。

西行庵を 12時 15分に出発し、杉林の薄暗い道を下り金峯神社に12時半に到着。       ここからは観光地らしい雰囲気が出てきた。

                                                金峯神社の鳥居を抜けると奥千本のバス停があり、益々人が増え休むたびに人員点呼をした。

上千本の上部にある吉野水分(みくまり)神社に到着、13時。

                                                   境内は参拝者でごった返しており建物鑑賞や参拝を素早く済ませ、全員まとまって移動した。

上千本でもビックリするような満開の桜は見られず、水分神社のすぐ下にある花矢倉展望台から蔵王堂の方を俯瞰する景色には「オッ~」と声は出るが、

                                                                                                                                                内心、今一であった。13時 10分。

やはり見頃は中千本から下のようである。

                                                                                                                                                     例年の開花時期予想で行けば、もう桜は終わりの時期であり交通規制も解かれ、4m有るか無いかの道に車が 走ってくるので、人と車の大渋滞でした。

道の両脇はお土産店が並び人があふれていた。                                                                   その中で観光ポスターや吉野の写真を飾っている建物に気づき立ち寄ったら、地元のおばちゃんが声を掛けて下さり「裏に行ってみなさい。」と言われ、皆で入らせて頂いたら、向いの船岡山斜面の桜が素晴らしかった。13時40分。

                                                 おばちゃんは「今年は例年より10日くらい遅いね。」と話して下さった。ありがとうございました。

吉野に来たら、ここを参拝しなくてはと金峯山寺 蔵王堂に向かい全員で参拝した。

                                               スケールの大きさにビックリである。14時20分。

                                               吉野山の尾根にひときわ高くそびえる金峯禅寺 蔵王堂。

                                               修験道の開祖『役行者(えんのぎょうじゃ)によって奈良時代に開かれた金峯禅寺の本堂(国宝)で、高さ約 34m。木造古建築では東大寺大仏殿に次ぐ大きさだそうです。

                                               山岳宗教の荒々しい雰囲気を漂わせている御本尊の「蔵王権現」は高さ 7mの巨像であります。

中千本から下千本へと下ってくると狭い参道に参拝者があふれ、皆さんと逸れないように近鉄吉野駅に向かった。                             皆さん山歩きよりも疲れたようでした。 本当にお疲れ様でした。

 

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🚃 御殿場線“山北の桜 ”🚃

2017年04月12日 | 春景色

かつて鉄道の町として栄えた 旧国鉄の山北駅、その直ぐ南側の一角にSLのD52が展示された“山北鉄道公園” があり、町のシンボルになっています。

山北駅の沿線には約 130本の桜並木が存在し、この春には一気に咲き乱れ、一見の価値は十分にあります。 現在『やまきた桜まつり』が開催されています。

開花時期には桜のトンネルができ、その中を抜けてくる電車を撮ろうとカメラマンが沢山見えています。                                                                                                 素人としては、満開の時は どこを撮っても絵になる感じがします。

 

1889年に東海道本線が開通し、山北駅が開業。

                                                     町などによると、ピーク時には駅員ら関係(国鉄)職員が 650人程度おり、山北は鉄道の町として繁栄を極めていました。                                                                           駅弁では「鮎ずし弁当」が有名であったようです。

ところが、1934年に熱海と函南をつなぐ『丹那トンネル』が開通し、東海道本線は小田原~熱海経由に代わり、従来の区間は「御殿場線」に変わり、さらに単線化されるなどして次第に衰退していったのです。

今は現代病に侵され、少子高齢化や人口減少といった課題に直面しているとのことであります。

往時の賑わいを取り戻そうと、町は地方創生事業の一環として、山北鉄道公園に静態保存されていた蒸気機関車D52-70号機を自力で動くように整備しました。

                                                      動力はボイラー復元による石炭燃焼ではなく、大型コンプレッサーを 2基搭載して、圧縮空気を動力源とした方式を取っています。   なので力強い黒煙は出ません。

                                               運転距離は公園内の現行軌道を 12m延長しただけの短い距離ですが、旧鉄道の町として当時は機関区や転車台もあり一時期は東海道本線でもあったので 大井川鉄道のように、御殿場線でも国府津駅~御殿場駅位まで蒸気機関車が力強く走る姿を夢見ています。

 

                           

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