2000年に始まった「平成の大修理」が昨年、2009年11月に完了し金堂を覆っていたやぐらも取り外され、堂々たる威容を現した。
今年も、つい先日奈良県桜井市の大型前方後円墳「桜井茶臼山古墳」の石室を覆っていた土の中から13種81面分の銅鏡の破片が331点も出土したと新聞紙上に発表されました。 昨年に続き今年も「せんとくん」忙しくなりそうですね。寝てられませんよ
井上靖の名作『天平の甍』は、唐の高僧「鑑真」と彼の招聘(しょうへい)に命をかけた日本の留学僧たちを描いた大河ドラマ。 失明という苦難にあいながら日本を目指し、仏教者が守るべき戒律を始めて伝えた鑑真の功績は非常に大きいものであります。 その鑑真和上が住んでいられたのが、この唐招提寺(とうしょうだいじ)であります。
★中国が誇る名僧『鑑真』て、どんな人 ★ 668年、唐の揚州生まれ。14歳で出家した鑑真は、戒律の大家として唐の国内でも指折りの高僧であったそうです。 そんな鑑真が、遣唐使として唐を訪れていた日本の栄叡と普照から、朝廷の「伝戒の師」として招請を受けたのが54歳のとき、当時の日本は仏教未開の地であり、高僧の渡日に周囲が反対するなか、鑑真は仏法の伝達こそ我が使命と信じ渡航を決意。
12年の歳月をかけ65歳のときに6度目の航海で日本にたどり着く。 この間に多くの弟子と自分の視力を失ってしまったようです。
日本での最初の5年を東大寺で過ごし、残りの5年を唐招提寺で過ごした鑑真は天皇をはじめ多くの人々に戒を与えた。 その後、渡日10年目に唐招提寺で入寂されたようです。 御影堂内の鑑真和上坐像は、死の直前に弟子たちが造られたとの事です。
平成の大修理が終わったと聞き、鑑真和上坐像が拝観できるかと楽しみにしていたが、毎年6月6日の開山忌の前後数日間のみ公開との事で見ることは出来なかった。残念
仕方なく鑑真の廟である開山御廟を参拝した。 境内一の静かな場所で、墓前には鑑真の故郷である揚州から送られた沢山の花が植えられていました。