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「新潟ブルース」つながりであれば、残る古町について触れるところだが、あまりに安直なので土木遺産の方向に!
萬代橋が、新潟市民のシンボルならば、長岡市民のシンボルは?そう、「長生橋(ちょうせいばし)」ですよね。長岡花火でも、ナイアガラなどが仕掛けられる橋である。
現在の長生橋は三代目。これは萬代橋と同じだが、竣工は1937年(昭和12年)だから、8歳年下。でも長さは850メートルと万代橋を上回る。
下路式カンティレバー(ゲルバー=片持ち橋梁)鋼トラス橋という構造で、しかも13径間を持つのは非常に稀で、というか他にはないのではないかと思うのだが、そこまでマニアックでないし、調べきれないところがあるので明言は避けたい。
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しかしながら、初代の長生橋となると1876年(明治9年)に完成しているので、これは万代橋の初代より10年早く架橋されたことになる。
それまで信濃川は長岡城の守りの要となっていたが、戊辰戦争により長岡城が落城(1868年)。その後、川を境に川西・川東に分かれていた長岡の町を、一つに結び付けるために架橋された。
この辺の信濃川は、流量も多く流れも速いため、架橋前には渡し船の事故が頻発。念願の橋であったこともあり、これら市民の思いが受け継がれ、今なお愛される橋となっているのではないか?
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上の写真は、初代の長生橋の建設に力を尽くした広江椿在門の功績を称える碑。橋の西詰に設置されている。功績を忘れないように!
そしてもう一枚は、市民有志がで組織された現長生橋の80周年の記念事業において、親柱にロゴマークを配したプレートが設置されたもの。
まあ、これらも市民が長生橋を愛してやまない証というものですかね?現在83歳となりますかね。
2013年(平成25年)、土木学会選奨土木遺産に認定。
長生橋は、ライトアップされているというのですが、ちょっと夜長岡まで出向くチャンスがないので、長生橋を愛する会と新潟県が設置した看板でお許しを。(この看板も西詰に設置されています。)
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