goo blog サービス終了のお知らせ 

無煙映画を探せ  

映画のタバコシーンをチェック。FCTC(タバコ規制枠組条約)の遵守を求め、映画界のよりよい発展を願うものです。

共喰い

2013-11-27 | 2015以前の映画評


「共喰い」 R15 青山真治監督 ×× PPホープ

 原作は田中慎弥の芥川賞受賞作です。
昭和63年、17歳の遠馬(菅田将暉)は父(光石研)とその愛人と暮らしています。別れた母(田中裕子)は川のほとりで魚屋を営んでいます。父親には暴力的な性癖があり、遠馬は恋人と神社の神輿倉に隠れて逢うたびに、自分にもその血が流れていることにおびえています。母は元夫の愛人が暴力の犠牲になっていることを知っていて、「最初に私が殺しておけば良かった。」と悔やんでいます。はたして遠馬は血の闇に打ち勝つことができるのでしょうか。
 タイトルの「共喰い」を映像で的確に表現した場面は映画ならでは、です。また、ラストの車(ネタバレになるのでどんな車かは秘密)のナンバーが「4122」(良い夫婦)というのはすごいシャレでした。これも映画だから表現できる深い意味ですね。
 タバコは、母親役の田中が何回かホープ(PP)を吸います(×)。それだけでなく高校生の遠馬に「吸うか」と勧める場面もあります(×)。遠馬が吸わないというところも時代の変化を表現していました。ホープ、すなわち「希望」を吸うという設定も皮肉ですね。また、昭和時代の地味なタバコの自動販売機が映りました。あの自販機と比べると最近の自販機がいかに広告塔になっているか平成生まれの若者にも理解できるかも。
 印象に残った場面は、母親は空襲で左腕の手首がなくしますが、魚屋を営むための特殊な義手を付けています。刑務所の中で訪ねて来た息子に向かって、「戦争を始めたあの家のあの人より先に死ねない。」とつぶやきます。もう一つ、神社の境内から刑事に連行されるとき、血で汚れているため鳥居をくぐりません。でもその前の場面では中庭でタバコを吹かし、境内を汚染させたことには無自覚でした。
 そして、川はすべてを飲み込み流して行くのでしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日子と修一の場合

2013-11-27 | 2015以前の映画評


「今日子と修一の場合」 奥田瑛二監督 ×× PPエコー

 3・11前後の今日子(安藤サクラ)と修一(柄本佑)のそれぞれを描いています。
 今日子は生活のため働きはじめた保険会社で性的暴力を体験し、それが原因で家を追い出され、スーツケースひとつで上京します。出会ったのは売春斡旋業のトオルでした。トオルの言いなりに働かされる今日子をあの地震が襲います。一方、修一は母親への暴力を止めようとした弾みで父親を殺してしまいます。刑期を終え刑務所から出所した修一は工場で働き始めますが、修一にもあの日が訪れます。二人に共通しているのはふるさとが流されてしまったということです。流された街を歩くことで新しい人生に向かって行くのでした。
 ふたりはほとんど関わらないという脚本が新鮮です。しかし、観客は二人を通してあの日を再考することになるのです。
 タバコは、売春組織の男と修一に嫌がらせをする工員がエコー(PP)を喫煙します(××)。スーパーバイザーの安藤和津さんはどういう助言をしたのでしょう?確かタバコの害については講演などでも話されていたのではないでしょうか。
 印象に残った場面は、冒頭の電車が交差するところと後半の今日子と修一が無言のまますれ違うところです。淡々とした孤独な人々の流れが津波に流された大地に漂っていました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする