そういえば一昨日、本を購入しました。なんだかちょっと気持ちが落ち込んでいたので(暗いニュースが多くて・・・)、「一番大事なこと」という本を。
タイトルだけで決めたので(家に帰ってこいと連絡があったのでゆっくり見れなかった・・・)、きっと心癒される本なのかな~と思っていたら、「環境問題」についての本でした(笑)。kanekoは環境に優しい人間になります。まずは、ゴミの分別か?
なんてこと想いながら読んでいたら、これが結構今のkanekoの気持ちに合った内容なわけで。環境問題で「自然」と「人工」が対比され、その中で人間自身の身体も「自然」であることが記されていた。当たり前の話しなんだけど、人間の身体は「人工」的なものではない。人間には必ず「死」が訪れる、それも100%の確率で。しかし、その「死」がいつ来るかを誰1人として知ることはできない。意識は「人工」だ。様々な知識を入れてきてそれで考え方が作られていく。生まれたままの状態で一生過ごしていくことはできない。ある意味「人工」的に作り出されたものになる。
「人工」的なものと「自然」の一番の違いは「ああすれば、こうなる」という単純に式で表すことができるかどうか。水素と酸素を化合すれば水ができるというように、「絶対」が存在するのが「人工」なんだと思う。水自体は「自然」だが、それを化学で作り出そうとすれば「人工」になる。でも、「自然」に対してはそううまくいかない。いきなり竜巻が発生することがあるし、予測のつかないところで様々な偶然が重なることがある。人間がアプローチをかけてもどうにもならないことの方が多い。
何がいいたいかというと人間の「身体」にアプローチをかけている「トレーニング」というのは、あくまで「自然」に対してのアプローチであり、「絶対」は存在しない。「この練習をすれば100%この部分が強くなる」というものはない。1つの結果に1つの取り組みでは成立しない。気象条件、精神的な部分、睡眠時間、食べ物、練習強度、練習するタイミングetc.が複合的に絡み合って、「競技力」になる。技術的なアプローチも1人1人違うし、その効果も違ってくる。「正しいトレーニング」なんてものはないんですよ。理論的に間違っていると思われることでも、実はそれがどこかの部分でプラスになるかも知れない。
今自分がやっていることが「正しい」か「正しくない」かなんてことは結局誰にもわかりません。大きく道を踏む外していなければそれは「正しい」ことなのかもしれません。その「正しい」は誰かと比較して決めるものではなく、最終的に自分自身の判断になる。ここで注意すべきは「周囲が認めてくれない自己中心的な判断」は「正しくない」ということだろう。全ての人が認めてくれなくても良いと思う。しっかりとした「理解者」が存在しているのであれば、それはきっと「正しい」んだと。先日ある人に「きっと間違っていない」と言ってもらった。何気ない会話だったけどそれがすごく嬉しかった。それは「何か」に対してではなく、「全てのこと」に通じる部分なんだと思う。kanekoの信じる「道」はきっと間違っていない。そう自分自身に言い聞かせています。最近の日記の内容だけ見ると「練習」のことだと勘違いされるかもしれませんが、それだけではなくkanekoは色々なことをやっているので「全て」に対しての考え方です。「教育」に関してもそうだし、「仕事」に対する取り組み方もそう。それが「kanekoらしさ」だと。
すみません、ちょっとまじめな話しになってきました?kanekoのblogではきっとこういう事は求められてはいないんだろうけど、今日はお許しを。最近の暗いニュースで少し気分が滅入っていたのは確か。
そういえば、うちの奥さんから電話がかかってきたらうちの選手はものすごい気になるようです。「何て言われたんですか?」としつこいくらいに聞かれます。うーん、恐るべし。「牛乳買ってきてって言われましたか?」とか聞かれますが、そんなことめったにないですから。以前、「合い挽き買ってきて」と言われて鳥の合い挽き(?)を買って帰って怒られたことならありますが・・・。基本的にkanekoにお使いを頼むことはありません。たいてい「良く似た違うもの」を購入してしまうので、頼られていません(笑)。いつも聞かれるのは「何時に帰る?」くらいのものです。
タイトルだけで決めたので(家に帰ってこいと連絡があったのでゆっくり見れなかった・・・)、きっと心癒される本なのかな~と思っていたら、「環境問題」についての本でした(笑)。kanekoは環境に優しい人間になります。まずは、ゴミの分別か?
なんてこと想いながら読んでいたら、これが結構今のkanekoの気持ちに合った内容なわけで。環境問題で「自然」と「人工」が対比され、その中で人間自身の身体も「自然」であることが記されていた。当たり前の話しなんだけど、人間の身体は「人工」的なものではない。人間には必ず「死」が訪れる、それも100%の確率で。しかし、その「死」がいつ来るかを誰1人として知ることはできない。意識は「人工」だ。様々な知識を入れてきてそれで考え方が作られていく。生まれたままの状態で一生過ごしていくことはできない。ある意味「人工」的に作り出されたものになる。
「人工」的なものと「自然」の一番の違いは「ああすれば、こうなる」という単純に式で表すことができるかどうか。水素と酸素を化合すれば水ができるというように、「絶対」が存在するのが「人工」なんだと思う。水自体は「自然」だが、それを化学で作り出そうとすれば「人工」になる。でも、「自然」に対してはそううまくいかない。いきなり竜巻が発生することがあるし、予測のつかないところで様々な偶然が重なることがある。人間がアプローチをかけてもどうにもならないことの方が多い。
何がいいたいかというと人間の「身体」にアプローチをかけている「トレーニング」というのは、あくまで「自然」に対してのアプローチであり、「絶対」は存在しない。「この練習をすれば100%この部分が強くなる」というものはない。1つの結果に1つの取り組みでは成立しない。気象条件、精神的な部分、睡眠時間、食べ物、練習強度、練習するタイミングetc.が複合的に絡み合って、「競技力」になる。技術的なアプローチも1人1人違うし、その効果も違ってくる。「正しいトレーニング」なんてものはないんですよ。理論的に間違っていると思われることでも、実はそれがどこかの部分でプラスになるかも知れない。
今自分がやっていることが「正しい」か「正しくない」かなんてことは結局誰にもわかりません。大きく道を踏む外していなければそれは「正しい」ことなのかもしれません。その「正しい」は誰かと比較して決めるものではなく、最終的に自分自身の判断になる。ここで注意すべきは「周囲が認めてくれない自己中心的な判断」は「正しくない」ということだろう。全ての人が認めてくれなくても良いと思う。しっかりとした「理解者」が存在しているのであれば、それはきっと「正しい」んだと。先日ある人に「きっと間違っていない」と言ってもらった。何気ない会話だったけどそれがすごく嬉しかった。それは「何か」に対してではなく、「全てのこと」に通じる部分なんだと思う。kanekoの信じる「道」はきっと間違っていない。そう自分自身に言い聞かせています。最近の日記の内容だけ見ると「練習」のことだと勘違いされるかもしれませんが、それだけではなくkanekoは色々なことをやっているので「全て」に対しての考え方です。「教育」に関してもそうだし、「仕事」に対する取り組み方もそう。それが「kanekoらしさ」だと。
すみません、ちょっとまじめな話しになってきました?kanekoのblogではきっとこういう事は求められてはいないんだろうけど、今日はお許しを。最近の暗いニュースで少し気分が滅入っていたのは確か。
そういえば、うちの奥さんから電話がかかってきたらうちの選手はものすごい気になるようです。「何て言われたんですか?」としつこいくらいに聞かれます。うーん、恐るべし。「牛乳買ってきてって言われましたか?」とか聞かれますが、そんなことめったにないですから。以前、「合い挽き買ってきて」と言われて鳥の合い挽き(?)を買って帰って怒られたことならありますが・・・。基本的にkanekoにお使いを頼むことはありません。たいてい「良く似た違うもの」を購入してしまうので、頼られていません(笑)。いつも聞かれるのは「何時に帰る?」くらいのものです。