kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

水曜日の練習

2014-01-24 | 陸上競技
あれこれあって本当に時間がありませんでした。いや、自分の過去のことを書かなかったらもっと早くこの記事がかけていたような気がしますが。まー基本的に自分の好きなように書いているので気にしていないといえば気にしていないのですが記憶が曖昧になること自体が問題です。早く書いておかないと忘れてしまうのです(笑)。

水曜は走練習の予定としてしました。朝は午後のためにドリル。ここも基本的なものを実施ですね。午後からは検定の課外があるのでなかなか全員が揃いません。私自身も検定の指導があるので練習に最初から行くことはできません。選手には指示を出してダイナマックスを使った練習をさせました。まずはなれるというところからスタートです。それだけで十分かなと。課外が1時間程度あるのでそれが終わるまでは任せることにしました。

練習は2時間で出来るところまでやるという流れ。とにかく急かしながらやっていくという感じでした。本来なら一番頑張らなければいけない時期なのですが色々な事情があるので仕方ない部分かなと思います。限られた時間の中で最大限のことを行うしかありません。それでも動きの確認はしなければいけないと思っていたので時間を割きました。これが本当にいいのかどうか分かりません。それでも私は必要だと考えて行いました。将来的にプラスになると信じて時間をかけてでもやっていけことが重要だと思います。

この日の練習でもスティックを使った練習を入れました。縦の動きを横の動きに変えていく練習です。月曜日に廊下で行った練習を屋外で行いました。とにかくここには時間をかけたい。年明けからやったきたことを次の段階に少しずつつなげていきたいと思っているからです。ここにはかなりの時間を要します。スピードを上げるためにはここは外せない要素です。

この時点でかなり暗くなっていました。通常の練習よりも1時間遅れていましたから条件的には厳しい。それでもやっていかなければいけない練習だと考えていました。スティックが見えなくなっていたので練習として効果的だったかどうかはわかりませんが、感覚的なものをつかむという意味では絶対にやっておきたい練習でした。地味な腿上げかもしれませんが絶対に走りにつながっていく信じています。

そのままバトンの並走。さらにバトンパス。ここはこの冬の大きな課題ですからやっておかなければいけません。この日の練習の記憶が曖昧になっているというのが私の中で大問題です。1年生がこれまでと比べて走れるようになってきていたという記憶はあります。そのためバトンパスで足長を変更しなければいけないという状況でした。また、暗くてマークが見えなくなっているので石灰で白線を引いて少しでも見えるように工夫をしましたがなかなか難しかったですね。

時間的に厳しかったのですが120mを吸う本走ることにしました。走練習が足りていませんからやっておかなければいけないという状況でした。一気に走らせることにしたので2本だけ行いました。この中で一年生女子が爆発的な走りをしました。ここ数年、冬期練習で走れている者はシーズンに入っても走れています。練習を見ている中で「間違いないな」と感じた選手はシーズンで前年と大きく違う走りをします。この一年生の120m、「かなり強いな」と感じさせるものでした。正直、めちゃくちゃ強いと思います。2年生を脅かす存在になると思います。大袈裟に書いていると思われるかもしれませんが(笑)。本当に強いなと感じています。これにより大きな競争が生まれるのは間違いないと思っています。1年生の成長を2年生が黙って受け入れるはずはないですから。チーム内で大きな競争が生まれつつあります。こうなると一気にレベルが上がってくると思います。大きな期待ができます。

2時間しか練習ができません。この中でどれだけ集中して練習ができるかぎ大切だと思います。感じとしてはかなり良かったのではないかと思います。1年生の成長が大きな刺激になります。かなり手応えは感じています。もう少し競争が激化すれば面白くなると思います。

覚えている限りを書いています。間違いなく抜けはあると思いますが(笑)。お許しを。
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今の自分があるのは・・・2

2014-01-24 | 陸上競技
前の記事の続き。

大きな失敗をした日の夜、完全に落ち込んでいました。翌日にはマイルの決勝が控えています。このような精神状態ではとても大会に臨めるわけがありません。自分自身で切り替えないといけないのですがそれができるほど大人ではない。「リレー」を甘く見ていた結果がこのようなことにつながったのだと思います。情けない話です。

実はこのマイルにも色々な思いがありました。このマイル、中学時代からの先輩との最後のレースでした。中学時代から尊敬していた先輩。高校3年生になる直前の春休みにこの先輩が大学の合宿で防府の陸上競技場で練習をされていました。当時私は「進学して陸上をやりたい」という気持ちはあったのですが「県外の大学で」と漠然と考えていました。大きな目標があるわけでもなく「競技はしたいな」というレベルの考えでした。そんな時にこの先輩が「うちで陸上やらないか?」と声をかけてくださいました。先輩は軽く言った言葉だったのかもしれません。しかし、当時の私にはこれ以上にない喜びでした。尊敬する先輩から「一緒にやらないか?」と言われる。それにより進学希望は決定。県内の大学へ。単純と言えば単純です。

そんな先輩と一緒に初めて冬季練習を越えて迎えた中四国インカレ。冬季練習中も「お前のメニューに合わせるから思い切りやってみろ」と言われていました。1年生の我の強い私の性格を把握していただいていて「掌の上で遊ばせてもらっている」という部分もあったと思います。そのような先輩と一緒にやってきた。ここは私の中で外せないポイントになると思います。4継の先輩方も同じだったのではないかと今では感じています。そのような先輩方と一緒に迎えた大会、自分の責任で全てを台無しにしてしまった。申し訳なくて顔向けできない。この思いが強くありました。そんな私が学校を代表するリレーに出場する、それも大会の一番最後のマイルを走る。許されるのかどうか。大きく悩みました。

この大会を迎える前にマイルは2走を走りたいと申し出ていました。アンカーは4年生の先輩に走ってもらうほうがいいだろうと考えていたからです。尊敬する先輩が一番最後を走るのが一番良い。どの大会でも男子のマイルが大会の一番最後に行われます。そのアンカーというのは大会で一番最後に声援を受ける立場。そこに最もふさわしいのはこの先輩だと思っていたからです。そのような話を先輩にしたときに「勝負をしに行く」と言われました。「思い出づくりのためではない。勝ちに行くのだからアンカーはお前が行け。」と諭されました。ここにも自分自身の甘さがあったと思います。自分自身の弱さ、考えの甘さを反省しつつ走ることを決意していました。

しかし、今回の大きな失敗により「資格がない」と強く思っていました。多くの先輩方に迷惑をかけた。その状態でマイルを走る。更にはアンカーを走るというのは自分自身を許せないと思っていました。そのような話を夜に先輩に話しました。怒られました。「自分の失敗をどうやって取り戻すのか」という内容でした。ここで逃げたら何も生み出さない。自分が「辛い」と思っているだけでその現実から逃げようとしているだけ。本当の解決にはならないのです。そのことを指摘されました。当然のことだと思います。自分が一番辛いと思っているだけ。自分の責任を放棄しているだけなのです。そこを指摘されました。本当に情けない話です。「アンカーはお前しかいない」「お前が走らなければ勝負にならない」という先輩の言葉。当時の私にとっては本当に大きな言葉だったと思います。

ここで逃げていたら先輩との最後のレースも達成できない。大切なことを見失う前に自分がやらなければいけないことをやる。責任を果たすということができない。どんな状態であれ、やらなければいけないことをやるしかないのです。自分自身の行動に責任を持たなければいけない。自分の犯した失敗はどのような形かで償わなければいけない。最後のマイルを走るということでしかこの時の自分には「挽回するチャンス」はありませんでした。そのことから逃げずに向き合うことの大切さを先輩から指摘されたのです。「当たり前のこと」ですが気持ちが弱っているときには判断ができなくなります。当時、私は指導者に「物事への取り組み方」を指導された経験がありませんでした。全て我流。本当に正しいことは何か、何をやらければ行けないのかという根本的な部分を指導される、考えさせられる経験が著しく不足しいていました。このようなことがあって初めて気づかされる。これ以外にも様々な失敗を繰り返していましたがその度に自分自身を変えていくチャンスを周囲から与えられていたと思います。

翌日のマイル、どんな走りをしたか全く記憶にありません。順位は5位か6位だったと思います。記録は大学歴代1位の記録。当時のチームの記録としてはかなりのモノだったと思います。もう一度写真を載せておきますが、レース直後です。私以外の選手は笑顔、私は「喜び」というよりも「責任を果たせた」「申し訳ない」という感じが出ているでしょうか・・・。



レースが終わって4継を一緒に走った先輩方から「4継、走らなくてよかった。あそこで体力を温存できたからマイルが走れた。よくやった。」と声をかけてもらいました。本当に何とも言えない気持ちでした。自分たちの悔しさを押し殺してでも後輩の声をかけてくれる。本当は4継もある程度の結果が出せていたと思います。それでもそ「4継走らなくてよかった」と言ってくれる。人間的な差を感じました。自分のこのような人間になりたいと強く思いました。

今の自分があるのは間違いなく良い人たちに出会えたからです。それは先輩、後輩問わずです。特に「リレー」に対しての思いが強くなったのはこのレース以後だと思います。「個」ではなく「チーム」として戦うことの大切さを感じました。だからこの写真は自分にとって一番大きな、大切な写真です。今の自分があるのはこの日の出来事があったからといっても過言ではないと思います。多くの先輩方に教わったことをが自分の中に生きている。そう思っています。

まとまりのない文章ですが、書きたいので書きました。ちなみに昨日連絡を取った先輩は右から2人目。一番尊敬している先輩は一番左です。原点に帰れた気がします。頑張ります。

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今の自分があるのは・・・

2014-01-24 | 陸上競技
思うことを書かせてもらいます。誰に断る必要もないのですが今のチームのことを書くことを期待されている可能性もあるので、私的な「想い」を書くというのもどうかと思う部分があるので。まー基本的に私が好き勝手に書いているblogなので良いと言えば問題は全くないのですが。

昨日、facebookで久々に大学の先輩とやり取りしました。どうっていうことない内容。先輩が息子さんと一緒に長距離走を走ったというものにコメントをしただけ。それでも私にとって大きなことでした。なかなか分かってもらえない部分だとは思いますが。今の自分があるのは様々な場所で出会った方々との関わりがあったから。その思いがすごく強くなりました。様々な方の影響を受けて今の自分がいるというのを再確認したのです。



この写真、私が一番好きな写真です。左から二番目が私。まだ19歳(笑)。髪の毛もたくさんありました(笑)。これは先日行った徳島での中四国インカレのリレーの後の写真です。すごくいい表情をしている先輩方。一番右は同級生ですがこの時点でおじさんでした。この時の感じた思いが今の原動力になっているというのは間違いない事実です。そのことを先輩にコメントして強く思い出しました。

この時、大学2年生。まだまだ若かった私は「自分の力を誇示したい」という部分があったと思います。この前に開催されていた県選手権の400mHで初めて優勝。大幅ベスト更新でしたし勢いに乗っていた時期だと思います。今考えるとすごく恥ずかしい気持ちがあるのですが、当時の私はまだまだ何もわかっていないという状況だったと思います。そのまま行われた中四国インカレ、私は4継、マイル、400mHに出場することになっていました。

400mH選手だと自分で思っていたものの「100mを走っても負けない」という気持ちがありました。どう考えてもそれほど速くないですしチーム内でトップという感じではなかった。それでも「走ったら負けない」という根拠のない自信を持っていた。周りからの忠告というのもほとんど聞き入れていなかったのではないかと思います。そんな状態で「4継もメンバーに入る」と調子に乗って挑む。いや、本当はそこまで調子に乗っていなかったと思いますが、今の自分から考えると「バカ」です。もっと冷静に物事を考えることができていなかった。謙虚さが足りなかったと思います。

そのような状態で4継メンバーに選ばれていました。私以外は4年生だったと思います。先輩方の最後の中国四国インカレ。それぞれに想うことがあったと思います。4年生3人、2年生1人のメンバーで臨むリレー。一番謙虚にならなければいけないのは私のはず。それができていなかった。当時から4継では3走を走っていたのですが4継の予選で私のミスで失格。取り返しのつかないことをしてしまいました。先輩方にとって最後。そこの部分を自分自身がどれだけ自覚していたのか。本当に細かいところまで考えることができていたか。そう考えると全く駄目だったと思います。「先輩たちと一緒に走る最後の4継」という気持ちはありました。この人たちと一緒に走りたいと強く思っていたのは事実です。しかし、間違いなく自分の中に「慢心」がありました。大丈夫だろうという思い。これが自分自身の油断となり他の人に多くの迷惑をかけてしまいました。本当に情けなくて情けなくて涙が止まりませんでした。400mHの決勝が迫っていましたが「自分は走る資格はない」と思っていました。自分自身の慢心により多くの人に迷惑をかけてしまったのですから。

そんな中で先輩方が「ヨンパーがある。それに向けてしっかりやれ。」と言ってくださいました。自分たちの「想い」を押し殺してでもこれから走る私のために激励してくれる。小さな小さな私とは全く違う。この先輩たちのための絶対にいい結果を残さなければいけないと強く思った記憶があります。が、このような性格ですから「やってやる」の想いが強くレースに出る。結果、2台目を引っかけて転倒しかける。勝たなければいけないという強い気持ちが冷静さを完全に失わせていました。何とか持ち直したものの無理した部分が出て結果5位・・・。記録も満足できるものではありませんでした。本当に自分自身が情けなくて情けなくて・・・。

今は偉そうなことを言っていますが私自身も「甘さ」があり、「冷静さを欠く」部分がありました。それがこのような結果になった。この日の夜は本当に落ち込みました。その夜の話を書きたいのですが長くなっているので記事を変えます。

完全に「思い出話」になっています。少しお付き合いください。
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