少し思うことを書いておきます。なんとなく頭の中に浮かんできたので。
ここ数年、私の指導の中心が短い距離に大幅に移行しています。私自身は400mHを専門にしていましたし、こだわりとしては短長にあると思っていたのですが気がつくと400m選手は一人もいなくなっています(笑)。なんなんでしょうか。
指導を始めて最初の数年はまずは県総体に出場することが最大目標でした。顧問になって最初の年はジョギング部からスタート。競技をしているという水準とはかけ離れていました。顧問になって3週間で行われた春の支部大会で予選を通過することさえもできない。しんどい状態でしたね。リレーは無条件で県総体に進めるので長距離選手を4継に使って何とか総体に出るというレベルでした。何かしら土台があるところからスタートできるともう少し違ったかもしれません。本当に何もないところからのスタートでした。
翌年、まだ選手が全くいません。数人県総体に進めるようになりましたがまだまだ戦えるレベルではない。リレーを組む中で長距離選手が2人いたのでマイルへ進出。力的には厳しかったものの奇跡的に予選通過。短い距離では太刀打ちできませんでしたが何とか4人いればラウンドを進めるくらいまで行けるのではないかという漠然とした手応えがありました。この秋には部員3人しかいない中でマイルで中国を目指そうというあり得ない目標を立てました。冬季練習を3人で越える中で中国大会を目標とする。とても短い距離や4継では戦えないので自然と距離を伸ばしていたという感じでしょうか。
ショートスプリントで戦うというのは本当に難しいと感じていました。未経験者や100m15秒からスタートする状態でしたから100mで県総体に進むということさえもイメージできませんでした。この当時400mで一番速かった選手が67秒。それでも何とか県新人で準決勝に進めていましたから距離を伸ばせば可能性があると感じていました。「逃げ」と言われたらそうなのかもしれませんが、こだわって戦えないよりはなんとか上に進める手段を探すというのが一番良いと思っていました。
少しずつチーム力が上がっていき、翌年には奇跡的にマイルで中国大会へ。個人でも数人中国大会に進むようになりました。それでも女子部員は4人いるかいないか。距離を伸ばして戦っていくしかない。マイルにこだわりがあったというのも事実ですが「戦える場所」がロングスプリントだったのです。100mで12秒台を出すなんて夢のまた夢。14秒台の選手を何とか13秒中盤に持っていけたらいいなという甘い考えでした。
その後も中学時代長距離をやっていた選手がうちで短い距離をやりたいという流れがありました。短距離をやっていた選手がほとんどいない中で短距離で勝負しようと思うと短長しかないと考えていました。結果的にこれが功を奏することとなり、マイルで県で戦えるようになりました。初めてインターハイに進んだ種目は400m。当時のマイルメンバーには61秒では入れないという今から考えるとハイレベルなチーム状態だったと思います。普通の選手達が戦っていくには400m系しかないと思って指導をしてきました。当時の私にはロングスプリントが全てでした。100mにはエントリーさえない、400mと400mHの枠を争うというチーム状況。今考えると恐ろしい話です。
この子達が3年生の春に100mで13秒2がベスト記録の選手が入ってきました。この時点でうちのチームの歴史の中で最高タイム(笑)。何とか3年生になるまでに12秒台を出させたいと思っていましたが、なんだか良くわからない状態で春の支部大会で優勝、県選手権でいきなり12秒台に突入。驚きでした(笑)。結局、県総体でも6位に入り100mで中国大会出場。秋には県新人で100mと200mの二冠を達成してしまいました。ある程度走れる選手がいてくれるとそれなりに戦えるのだと感じました。それ以後次第にチーム状況が変わっていきショートスプリントのチームに移行していきました。
今では短長0。女子の100mは12秒台に入っても出場枠を確保できない位になるであろうというレベルに来ました。よく分かりません(笑)。憧れであった100mで勝負できるかもしれないチームとなっています。何が変わったのでしょうか?選手がいる時に様々な勉強をさせてもらえたことが大きいのではないかと思っています。初めて12秒台を出した選手が200mでインターハイに進み、その中でどうすれば短い距離で戦えるようになるかを考え、教えを請うために様々な場所に行きました。もちろん失敗もしてきています。そんな中で少しずつ指導が出来る状態になりつつあるのかなと思います。
今シーズンは私にとっても選手にとっても本当に勝負の年になります。あくまで昨年の記録となりますが12秒20の大きなエースと12秒35の小さなエースが同じチームにいます。現在はその2人に刺激を与える1年生もいる。女子は4人しかいません(笑)。そんな中でこれだけの競技レベルで練習できるというのはすごいことだと思っています。憧れであった100m、この種目で全国を狙いたい。昨年もインターハイに進んでいますが今年は勝負できればと考えています。チーム内で激しい今年は競争ができれば可能だと思っています。正直、誰が一番強いのか分からないと思っています。絶対にこの選手が勝つとは言い切れないレベルです。本当に高いレベルでやってくれています。
私自身、4年前の精神状態と大きく異なります。これはまた別の機会に書きたいなと思いますが、少し冷静に物事が見えるようになってきたと思います。数年前は師匠に何度も諭されていました(笑)。少しは大人になってきたのでしょうか。冬季練習もあと1ヶ月を切りました。今年は3月一杯は引っ張りたいと思っていますが、やはり2月末までというのが一つの目安になると思います。選手がどれだけの想いを持ってくれているか。しっかりと取り組んでもらいたいものです。自分たちの中にある可能性を引き出せるのは自分自身。しっかりと心に刻んでもらいたいですね。
ここ数年、私の指導の中心が短い距離に大幅に移行しています。私自身は400mHを専門にしていましたし、こだわりとしては短長にあると思っていたのですが気がつくと400m選手は一人もいなくなっています(笑)。なんなんでしょうか。
指導を始めて最初の数年はまずは県総体に出場することが最大目標でした。顧問になって最初の年はジョギング部からスタート。競技をしているという水準とはかけ離れていました。顧問になって3週間で行われた春の支部大会で予選を通過することさえもできない。しんどい状態でしたね。リレーは無条件で県総体に進めるので長距離選手を4継に使って何とか総体に出るというレベルでした。何かしら土台があるところからスタートできるともう少し違ったかもしれません。本当に何もないところからのスタートでした。
翌年、まだ選手が全くいません。数人県総体に進めるようになりましたがまだまだ戦えるレベルではない。リレーを組む中で長距離選手が2人いたのでマイルへ進出。力的には厳しかったものの奇跡的に予選通過。短い距離では太刀打ちできませんでしたが何とか4人いればラウンドを進めるくらいまで行けるのではないかという漠然とした手応えがありました。この秋には部員3人しかいない中でマイルで中国を目指そうというあり得ない目標を立てました。冬季練習を3人で越える中で中国大会を目標とする。とても短い距離や4継では戦えないので自然と距離を伸ばしていたという感じでしょうか。
ショートスプリントで戦うというのは本当に難しいと感じていました。未経験者や100m15秒からスタートする状態でしたから100mで県総体に進むということさえもイメージできませんでした。この当時400mで一番速かった選手が67秒。それでも何とか県新人で準決勝に進めていましたから距離を伸ばせば可能性があると感じていました。「逃げ」と言われたらそうなのかもしれませんが、こだわって戦えないよりはなんとか上に進める手段を探すというのが一番良いと思っていました。
少しずつチーム力が上がっていき、翌年には奇跡的にマイルで中国大会へ。個人でも数人中国大会に進むようになりました。それでも女子部員は4人いるかいないか。距離を伸ばして戦っていくしかない。マイルにこだわりがあったというのも事実ですが「戦える場所」がロングスプリントだったのです。100mで12秒台を出すなんて夢のまた夢。14秒台の選手を何とか13秒中盤に持っていけたらいいなという甘い考えでした。
その後も中学時代長距離をやっていた選手がうちで短い距離をやりたいという流れがありました。短距離をやっていた選手がほとんどいない中で短距離で勝負しようと思うと短長しかないと考えていました。結果的にこれが功を奏することとなり、マイルで県で戦えるようになりました。初めてインターハイに進んだ種目は400m。当時のマイルメンバーには61秒では入れないという今から考えるとハイレベルなチーム状態だったと思います。普通の選手達が戦っていくには400m系しかないと思って指導をしてきました。当時の私にはロングスプリントが全てでした。100mにはエントリーさえない、400mと400mHの枠を争うというチーム状況。今考えると恐ろしい話です。
この子達が3年生の春に100mで13秒2がベスト記録の選手が入ってきました。この時点でうちのチームの歴史の中で最高タイム(笑)。何とか3年生になるまでに12秒台を出させたいと思っていましたが、なんだか良くわからない状態で春の支部大会で優勝、県選手権でいきなり12秒台に突入。驚きでした(笑)。結局、県総体でも6位に入り100mで中国大会出場。秋には県新人で100mと200mの二冠を達成してしまいました。ある程度走れる選手がいてくれるとそれなりに戦えるのだと感じました。それ以後次第にチーム状況が変わっていきショートスプリントのチームに移行していきました。
今では短長0。女子の100mは12秒台に入っても出場枠を確保できない位になるであろうというレベルに来ました。よく分かりません(笑)。憧れであった100mで勝負できるかもしれないチームとなっています。何が変わったのでしょうか?選手がいる時に様々な勉強をさせてもらえたことが大きいのではないかと思っています。初めて12秒台を出した選手が200mでインターハイに進み、その中でどうすれば短い距離で戦えるようになるかを考え、教えを請うために様々な場所に行きました。もちろん失敗もしてきています。そんな中で少しずつ指導が出来る状態になりつつあるのかなと思います。
今シーズンは私にとっても選手にとっても本当に勝負の年になります。あくまで昨年の記録となりますが12秒20の大きなエースと12秒35の小さなエースが同じチームにいます。現在はその2人に刺激を与える1年生もいる。女子は4人しかいません(笑)。そんな中でこれだけの競技レベルで練習できるというのはすごいことだと思っています。憧れであった100m、この種目で全国を狙いたい。昨年もインターハイに進んでいますが今年は勝負できればと考えています。チーム内で激しい今年は競争ができれば可能だと思っています。正直、誰が一番強いのか分からないと思っています。絶対にこの選手が勝つとは言い切れないレベルです。本当に高いレベルでやってくれています。
私自身、4年前の精神状態と大きく異なります。これはまた別の機会に書きたいなと思いますが、少し冷静に物事が見えるようになってきたと思います。数年前は師匠に何度も諭されていました(笑)。少しは大人になってきたのでしょうか。冬季練習もあと1ヶ月を切りました。今年は3月一杯は引っ張りたいと思っていますが、やはり2月末までというのが一つの目安になると思います。選手がどれだけの想いを持ってくれているか。しっかりと取り組んでもらいたいものです。自分たちの中にある可能性を引き出せるのは自分自身。しっかりと心に刻んでもらいたいですね。