kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

重ねる

2014-03-01 | 陸上競技
最近、ちょっと気分的に盛り上がらない。色々と考えることがあります。「特別なこと」があったわけではない。前の記事にも書いていますが「部活動」について考える中で「自分の生き方」についてちょっと真剣に考えるようになりました。これまで何も考えていなかったのかと言われるとそうでもないのですが・・・。

20年くらい前、私が高校時代。爆発的にMr.Childrenが流行りました。「トレンディードラマ」と言われるドラマにミスチルの曲が多用され街を歩けばミスチルの曲が流れているという雰囲気。その中で私自身もミスチルを聞くようになりました。当時高校生ですからそれほど歌詞の意味を考えながら聞いていたわけではなかったと思います。フレーズが好きだったりリズムが好きだったり。「韻を踏む」というのが多いですから気持ちよく聞こえていたのだと思います。

「Atomic Heart」というアルバムが発売され人気絶頂期を迎える。が、次のアルバム「深海」でこれまでとは全く別の一面を見る。「愛」を歌い続けていたミスチルが「闇」のような部分を歌うアルバムを出しています。人生の転換期だったのだと思います。色々と思うことがあり作成されたアルバムだと。私が大学2年生の時の話です。賛否両論別れる楽曲だったと思います。

その時、音楽番組でレコーディング風景が流れていました。今でもよく覚えています。これまで「愛」を歌い続けていたのになぜこれほど大きな転換を迎えるのか?直前に出した歌が「名もなき歌」で大ブレークしています。このシングルの次に発売されたのが「花」というシングル。全く違います。その「差」は何か?

「愛が全てだと歌えない」と話している姿を今でも覚えています。「愛」があれば全てのことを乗り越えていける、強く生きていけると感じていたが実際はそうではない。「声を大にして「愛が全てだ」と言えない」と。私生活で多くのことがあったのだと思いますが・・・。

歌詞を。「-Memento-Mori-」とは「死を思え」というラテン語だそうです。この当時、深い意味を考えずにいました。今、私の中でこういう部分は大きくなってきています。


花-Memento-Mori-


作詞:Kazutoshi Sakurai 作曲:Kazutoshi Sakurai

ため息色した 通い慣れた道
人混みの中へ 吸い込まれてく
消えてった小さな夢をなんとなくね 数えて

同年代の友人達が 家族を築いてく
人生観は様々 そう誰もが知ってる
悲しみをまた優しさに変えながら 生きてく

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ今

恋愛観や感情論で 愛は語れない
この想いが消えぬように そっと祈るだけ
甘えぬように 寄り添うように 孤独を分け合うように

等身大の自分だって きっと愛せるから
最大限の夢描くよ たとえ無謀だと他人が笑ってもいいや

やがてすべてが散り行く運命であっても
わかってるんだよ 多少リスクを背負っても
手にしたい 愛・愛

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ
ラララ……
心の中に永遠なる花を咲かそう



「負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう」
この言葉がすごく心に残っていました。「自分らしさ」ってなんだろうという感じでしょうか。今まで生きてきた「価値観」だけではなく「本当にこれでいいのか?」と思い悩む。それでも「花」を咲かせる。それってどういうことだろう。当時、若かった私にはそこまで考えが及びませんでした。-Memento-Mori-(死を思え)という言葉の意味さえも考えることはなかった。「自分」しか考えることができなかった大学生でしたから。当然と言えば当然なのかもしれません。

「やがてすべてが散り行く運命であっても わかってるんだよ 多少リスクを背負っても 手にしたい 愛・愛」

「花」は咲いている一瞬の間、美しい色と香りで人の心に残ります。が、実際は長く続かない。全て散りゆく運命(さだめ)なのです。その一瞬でどう輝けるのか?「花」は咲いた後に「種」を残します。その「種」がまた新しい「花」を咲かせる。そうやって「命」が続いていくのです。ここに「感情」が存在するのかどうか?分かりませんが。私は「咲き続ける」ことができない。そう考えたときに今の人生について考える必要があると感じています。

実際、大好きな先生で「自分の人生」について考えて「模索」されている方もいます。休職して「大学院」で新たな出会いと「自分の人生」について考える時間を作られています。よく考えるとその先生が「決断」をされたのも今の私の年齢くらいだったと思います。私には「職を辞して新しい道を進む」という決断ができないと思います。「背負うもの」が大きすぎる。全てを捨ててでも「自分とは何か」を考える時間はない。

そう考えると「時間」というのは大事です。無駄に過ごすことはできない。「人は必ず死ぬ」という部分がある。ここを認識して生きていきたい。「時間」を誰のために使うのか?今まで「自分自身の時間」として使えたのか?そこの部分は大きいと思います。これまで「好きなこと」をやっていました。「陸上競技」が好きです。ここは変わりない。が、本当にそれだけでいいのか?真剣に考えています。

その「答え」がどこにあるのか?正直全く分かりません。見えません。それでも「進む」のか?それとも「新しい道」を見つけるのか?

自分にとっての「花」とは何か?難しいですね。

すみません。まとまりのない文章ですし、書いても面白いと思わない内容。それでももがき続けています。すみません・・・。
コメント
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